地球10億個分の生存領域
いっておくが、ぼくは怒っている。
この地獄のような世界のなか、ぼくに優しくしてくれたアリシャが目の前で殺されたのだ。
あの気の良さそうな処理場の所長や、若い作業員たち。それにゴミ山の子供たち。彼らは、ぼくの肉を狙っていたとはいえ、みな、ごく当たり前の純朴な子供だった。
なんなら、あのドストエフだって、人間としては悪い男ではなかった。彼は最後まで命をかけて、都市の防衛に勤めた。
ぼくは、ヤズデギルド率いる白い巨人たちをぶちのめしてやりたかった。やつらの機体をバラバラに引き裂いてやりたい。
ただ、巨人の脳は元のぼくのそれよりも、ずっと処理能力が高い。一瞬の間に複雑な思考をこなせるし、二つ以上のことも同時に考えられる。
ぼくは怒髪天をつきながら、この世界が「ダイソン球」であることに痺れていた。
巨人の脳が持つ完璧な検索力が、七年前に実家の居間で流し見したディスカバリーチャンネルの内容を呼び起こす。
ダイソン球は、アメリカの宇宙物理学者、フリーマン・ダイソンが提唱した一個の文明が究極の段階に達したときに作られる超絶的建造物だ。
恒星の周囲全てを〝超構造体〟で覆い尽くすことで、恒星が発するエネルギーのすべてを利用し、同時に広大な生存領域を確保する。太陽を中心に据えた、とてつもなく巨大な空洞地球といってもいい。
ひとつのダイソン球が備える〝地表〟のサイズは、地球10億個分とされている。
ダイソン球内には海、山、平原、高原、湖、砂漠、地球のあらゆる環境が再現される。もちろん、それにあわせ、動物や植物、昆虫類も用意されている。
百兆を超える人間が悠々と生きられる至高の人工天体。
ただし、この世界は〝不完全なダイソン球〟だ。
ディスカバリーチャンネルでは、恒星のすぐそばに馬鹿でかい板を並べることで、地表に夜をもたらすとされていたが、いま、ぼくが目視する太陽にはそれらしき影は見えない。
板がないせいで、常に昼間なのだ。
まあ、これほど気温が下がっていることを考えると、夜が無くて幸運だったといえる。もし、夜が訪れれば、気温が一気にマイナス百度以下に下がり、夜の中にいる生命体が全滅しかねない。
そもそも、この寒さはいったいなんなのか。
ダイソン球を建造するには、神の如き超科学が必要になる。
如何なる負荷にも耐えうる〝超構造体〟の製造には、〝強い力〟を自在にコントロールする必要があるし、そのためには〝大統一理論〟が完成していなくてはならない。
さらに、地球10億個分の建設材料を集めるには、数百個、いや、数千個の恒星系から資源をかき集めねばならない。
ここを作りあげた文明は、無数の大艦隊をもって銀河全体に広がっていたに違いない。いや、ひょっとしたら、別の銀河にまで届き得た可能性もある。
なのに、彼らが、肝心要の〝気温の設定を間違える〟などということがあるだろうか。
まあ、ダイソン球などというものは、そもそもが道楽だ。効率を考えるなら、他星系への植民を進めた方が、よほど安上がりだ。
案外、〝銀河最高のスキー場〟でも作ろうとしたのかもしれない。
それとも、太古の野蛮な戦争状態を再現するための、一種のシミュレーターとか。
神の考えることなど、誰にもわからない。
いずれにせよ、そんな神々の子孫たちの文明は、地球の産業革命期、いや、中世暗黒期なみの野蛮なものに成り果てていた。
「わたしは船に戻る。第三はついてくるんだ」ヤズデギルドの思念がいった。「第一と第二は、この都市に生き残りがいないか確認しろ。第四は巨人の残骸を集めるんだ。操縦席が残っている場合はかならず先につぶすことを忘れないように。では、かかれ」
頭上では空にあいた穴がゆっくりと塞がり始めた。同時に、吹雪が戻ってくる。
白い巨人たちが集合住宅の残骸をかき分け、あきらかに絶命している遺体を剣で突き回す。
ぼくは怒りに打ち震えていた。
いや、この感情はぼくだけのものではない。
ぼくのなかでリガが片方の操縦桿を握りしめているのだ。
彼女のなかのどす黒い感情が精神感応操縦システムを通して、ぼくに流れ込んでいる。
二機の白い巨人がゆっくりと近づいてくる。
片方の巨人の乗り手が念波でいった。
「いやはや、もののみごとに街が吹き飛んじまったな。おかげで、商売上がったりだ」
もう片方の乗り手が応える。
「まったくだ。都市攻略のあとのお楽しみがまったくないんだからなあ。お、女か? いや、死んでやがる」
「はっはっは。死んでるのを確認するのが今の任務だぞ」
「うるせえ、しっかし、この都市の女はなんだ?どいつもこいつも変な刺青を入れてやがる。これじゃあ、そそられねえよ」
「なんだ?知らんのかお前。ここいらの蛮族どもにとっちゃあ、その刺青が〝人間〟の印なんだよ。そいつがないやつは、みんな〝奴隷〟か〝肉〟だーーって、おい、見ろよ」
「おおお! まじかよ! この巨人、見た目は悪いけどほぼ無傷じゃないか! 手柄だぞこりゃあ」
「静止しちゃあいるが、念の為だ。操縦席はひとなぎしておくか」
片方の巨人が手にした槍を振りかぶった。
そして、リガは両手で操縦桿を握った。