巨人の心と溶け合えば、二度と戻って来られない
リガがアリシャにお尻を押されて、ぼくの胸に這いあがった。
よろけながら、転がり落ちるようにしてコクピットに入る。
しばらくすると、ぼくの身体感覚全体が急に研ぎ澄まされた。朝、夢の中から現実に戻り、身を起こす直前のような感覚だ。
動ける!そんな気がしたが、ぼくの手も足も固まったままだ。
所長や作業員たちは、とくに期待もしていないのか、こちらから目を切って、あーだこーだ話している。
アリシャだけはじっとぼくの様子を見つめていた。
動けそうな感覚が消えた。
ぼくはまた石像に戻った。
胸元からリガが這い出してくる。
彼女が笑顔で聞いた。
「どう?動いたかな?」
アリシャが小さく首を横に振った。
「残念だけどダメだったみたいね。ちょっと別の手を考えてみるわ」
若い作業員が横からいう。
「いっそ精神逆流防止機構を止めちまうってのはどうかな? 操作感度があがれば、素養があんまりなくてもいけるんじゃないか?」
アリシャが泡を食ったようにいう。
「ダメダメ!そんなことしたら、万が一、巨人を動かせたとしても、巨人の感じた感覚がそのまま乗り手に反映されるよ。精神の力ってのは怖いんだから。もし、巨人が腕を切り落とされたら、乗り手の腕も操縦席のなかでちょんぎれるわ」
「うおお」と作業員が自分の二の腕をこすった。
アリシャが付け加えた。
「それに、もっと怖いことだってあるんだから。わたしの師匠がいってた。何十年か前の防衛戦で、ものすごく強い敵に迫られて、やむを得ず、当時の隊長機の防止機構を外したんだって。操作感度は最大限にあがって、隊長の機体は隊長の身体そのものだといえるくらいに一体化したそうよ。無線から聞こえる隊長の声は悦びに満ちてたとか。
隊長機は、敵の巨人が止まって見えるくらいになめらかに、美しく動いたとか。たった一騎で十機以上の敵を打ち倒して、都市は救われたんだって。
でも、戦いの終盤から、無線越しに聞こえる隊長の声はどんどん怪しくなっていったそうよ。これまでに聞いたことのない言葉を話し始めて、〝世界の真実〟を見つけたとかいって。
格納庫に戻ってきても、隊長は操縦席から出てこなかった。
師匠たちが無理矢理こじ開けたら、隊長は、もう完全におかしくなってたんだって。尿を垂れ流しながら、自分の首を自分の手で絞めてたとか」
気づけば作業員たちは静まり返っていた。
就寝時間をつげるホーンが鳴り響き、みな、重い足取りで家路についた。
アリシャとリガの二人は相変わらずぼくのそばに張ったテントで寝泊まりしている。
病気がちなリガはテントの中にひっこみ、アリシャが外で調理をする。
細い蒸気管の上に置いた蒸し器で、合成肉に火を通し、ぼくが見たこともない赤色の葉物野菜を手でちぎる。
リガがいった。
「ねえ、おねえちゃん。さっきの話なんだけど、なんで逆流機構を止めた人は頭がおかしくなっちゃったの?」
アリシャが皿を雪で洗いながらいう。
「師匠は、巨人にも心があるからだっていってた」
「巨人に、心?」リガがテントから顔を出した。「じゃあ、この子はわたしたちの話を理解してるってこと?」
その通りだ。ドストエフの心に長いことふれていたおかけで、ここの不思議な言語も理解できるようになっている。
アリシャがぼくを見た。
「どうかなあ。師匠はいってたよ。巨人の心は誰にも分からないし、分かろうとしちゃいけない。巨人の心は怒りと悲しみに満ちていて、触れた人の心をドロドロにしてしまうんだって。巨人は狂っていて、狂った心が流れ込んでくるんだって」
いや、たしかにぼくは怒り狂っていたし、痛みに怯えているけど、狂ってはいないような気がするのだけど。
アリシャがいった。
「〝たまご〟こそが鍵だっては気はするんだよね〜。あ、防止機構のことよ。操縦席の背面の箱に入ってるの。操縦者の認証も〝たまご〟が受け持ってるし、改良次第だと思うのよ」
「無理はやめてね。ほんとうに」リガが不安げにいう。
「大丈夫。わたしにはあんたがいるんだから。死んだりイカれたりするような真似はしないわ。それよりーー」
アリシャがリガをじっと見た。
「リガ、あなた、この子を動かせるのにわざと動かさなかったりしてない?」