あの、誰もぼくを動かせないんですけど
再生槽こと露天風呂の湯はすべて抜かれた。
アリシャらの会話によれば外気温はマイナス十二度だが、体内の熱発生機構や防寒皮膚が効果を発揮し、ぼくは寒さはまったく感じなかった。
ぼくのコクピットにはアリシャが潜り込んでいた。
ごそごそと配線を切ったりつないだりしている。
空になった風呂のふちからは、リガと所長、それにほかの職員たちが興味深げに覗き込んでいた。
遠巻きに、浮浪児たちもこちらを見守っているほか、身なりのよさげな男数名も椅子に座ってぼくを見ていた。
彼らが着ているのは黒いスーツのような衣服だ。ただしネクタイの代わりに分厚いマフラーをしている。胸元には四つの尖塔をイメージした銀色のバッヂ。おそらく、彼らが、所長のいっていた議員たちなのだろう。
所長が「まだかー?」という。
アリシャは「いまからよ!」と、答える。すぐに、ぼくは自分の体温があがるのを感じた。どうやら彼女が〝エンジンに火を入れた〟らしい。
ぼくの身体についていた水滴が水蒸気にかわり、もやとなって立ち登る。
観客がどよめいた。
「じゃあ、いくわよ!」アリシャが叫ぶ。
ぼくは、ドストエフが〝接続〟してきたときのことを思い返した。もうすぐ、ぼくとアリシャの心がつながるのだ。
ドストエフのとき同様、ぼくから、あちらに思考を送ることはできないだろうが、なんとかして感謝を伝えられればいいのだけれど。
それと、あんまり過酷な戦闘には参加させないでほしい。
議員たちが、「成功すれば、まさに偉業ですぞ」「あれほどひどい状態から巨人を再生できるとなれば、この都市の権勢はますます高まりますな」「市長派の切り崩しの契機になる」といっているのが聞こえる。
リガが両手を胸の前で握っている。
所長の表情は硬い。
ぷおんぷおんと管楽器らしきメロディが、都市のどこかで響いた。
風が処理場を吹き抜けていく。
何も起こらない。
ぼくはただ寝転んでいるだけだ。
所長の顔がさらに険しくなった。
見物人たちがざわつきはじめる。
アリシャがコクピットから出て、胸部装甲の上に立った。
彼女は首を横に振ると「ダメだった」といった。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
所長が雪の上に、鉄の棒で配線図のようなものを描いた。
「巨人だからって、精神操作にこだわる必要はないんじゃないのか? 機械式巨人てのもいるんだろう?」
関係者全員が、僕の横で額を突き合わせていた。
アリシャと所長、それに作業員全員と市議会議員。
アリシャが肩をすくめる。
「機械式なんてのは数千年前の御伽噺だよ。わたしじゃ、そんな複雑な装置は作れないよ」
作業員の若い男が口を出す。
「そもそも、君の適性はどうなんだ?」
「それは、正直あんまりないかも」
いや、あんまりない、どころではない。
彼女はまるっきり無だ。
若い男が「誰かほかのやつが乗ってみるのはどうだ?」という。
所長が頭をかいた。
「どうかな。俺は巨人に詳しいわけじゃねえが、認証の問題もあるのかもしれねえぞ。巨人は主人を一人と決めたら、そいつが死ぬまで、そいつしか乗れねえとかなんとか」
「てことは、旦那、こいつにはドストエフ隊長しか乗れないってことか?」
アリシャが首を傾げる。
「ドストエフさんは、認証は解除したっていってたけど」
「ともかく、確認してみよう」若い男が、露天風呂の淵からぼくのコクピットによじ登った。彼がなかに入ってくる。
が、何も起こらなかった。
いや、アリシャのときとは異なり、なにか背筋がむずがゆくなるような感覚はあった。
だが、手足は動かない。
しばらくすると、若い男ががっくりした表情で出てきた。
そこから、ほかの見物人のほぼ全員がコクピットに乗り込んだ。所長も、市議会議員たちもだ。
誰一人ぼくを動かせなかった。
尖塔が、ぶおおおお!と夕刻を知らせるホーンをならした。
所長がため息をついた。
「まあ、適性ってのは、数百人とか数千人に一人らしいからなあ。ここにいる全員に適性がないのは、十分あり得る話だよな。気合いでどうにかなってくれりゃと思ったんだが」
彼はリガに目を向けた。
「そういやあ、お前さんはまだ乗ってなかったっけな」