悪魔は家族を狙う
乃木沢が微笑む。
「安心しろ。俺たちはお前を殺したりはしない。とてつもなく貴重な素体だからな。
ただ、お前は人類の未来をぶち壊そうとした。
そんな人間に人類の宝を管理する権利は与えられない。お前の身体は、今後、俺たちが守る。
お前はこの先、二度と身体を動かすことはない。口を動かすことも、眼球を動かすこともない。
常駐の看護師を複数つけ、お前の世話をさせるよ。お前は何もしなくていい。栄養補給も排泄も、すべて彼らがやってくれる。
お前は完璧な管理体制のもと、完璧な日々をおくるんだ。
生物として最高の幸せだな。
命の不安なく、命をつなぐことができる。
だってそうだろう? 生命の目的とはつまるところ自分の遺伝子を残すことだ。
お前の遺伝子は、うちの製品として世界中にひろがっていく。人類史上、もっとも多くの遺伝子を残した個人はチンギス・ハンだといわれているが、そんなもの目じゃない。
お前の遺伝子から創薬される薬の類は、まず、世界中の金持ちたちに売り出される。個人資産十億以上の人間だけが購入できる値付けになるだろうな。それでも膨大な数だ。全世界で最低でも一億人はくだらない。
で、そいつらの生殖行動を通してお前の遺伝子はさらに下の世代に受け継がれる。で、その子がさらに子を成し、そのまた子が子を作る。
お前は死ぬことはない。たとえ、お前の肉体が滅びても、お前の遺伝子は残り続ける。
お前は人類史上、最高の勝者になるんだ。最高の幸せ者だ」
なにが勝者だ。
ふざけたことを。
ぼくは必死の思いで口を動かそうとした。
乃木沢が窓枠に近づき、腰掛けた。
池袋の摩天楼の空を眺めながらいう。
「お前の遺伝子はどこまでも広がる。何億、何十億なんて数字ですらちっぽけかもな。人間はほんの五千年ばかりで、獣に怯え、木の実を喰らう生活からここまで来た。次の五千年でどこまで行くと思う? 火星を植民しているか? それとも太陽系を飛び出して外宇宙に広がるか?
正直、俺はお前が羨ましいよ。俺がどれほど天才でも、時と空間を越えることはできない。だが、お前にはできる。俺がお前の立場になれるなら、この身体、この命、喜んで捧げるぜ」
そのとき、スマホの着信音が鳴った。
乃木沢がジーンズのポケットから、スマホを取り出した。ゴールドの旧型アイフォン 、背面の傷はぼくのスマホであることを示している。
すでにロックが解除されているのか、乃木沢があっさりでた。
「はい、もしもし。いえ、彼ではありません。同期の乃木沢と申します。いえ、そういうわけでは。じつはいま入院中なんです。その、彼が関わっていた実験で事故が起こりまして。できるだけ早くいらしていただけますでしょうか。我が社の住所は、あ、お分かりですか。はい、そこです。ええ、お待ちしています。では」
彼がスマホを耳から離していう。
「お前のお袋さんだ。明朝までにはここに来るとさ。歳は七十歳か? ずいぶん若々しい声だったな。ひょっとして固定因子はお袋さんも持ってるのか?
お袋さんや親父さん、そのほかお前の家族親類には遺伝子検査を受けてもらわないとな。素体は多ければ多いほどいい。だろう?」




