皇帝代理
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典医の話では、皇帝は脳挫傷を負っていた。
起き上がることすら不可能なはずなのに、あのように皇位禅譲を己の口で告げたのは、まさに奇跡。これこそが神の託宣だと評議員たちはざわめいた。
皇帝は今度こそ昏睡状態に陥った。
再生液を微細なガラス管を使って、脳の奥に少しずつ流し入れているということだったが、当面、覚醒は期待できない。
半日後、官庁街の中心部に建てられた〝議場〟にて、臨時評議会が開かれ、ヤズデギルドが〝第一の市民〟として皇帝代行に選ばれた。貴族派の約半数が、皇帝の命をかけた推挙を見て、鞍替えしたためだ。
議場は、地面を掘って作られていた。ピラミッドを逆さまにしたような形で、屋根はない。そもそも、帝都は地下にあるため、雨や雪が降るということがないのだ。
ヤズデギルドが、いつものパイロットスーツではなく、真っ白なトーガ姿で、いちばん底にある演台に立った。所信を表明するためだ。
リガは議場穴の縁から、大勢の市民や兵士たちとともに、その様子を見守っていた。背後を振り返れば、すり鉢の斜面に張り付いた無数の家屋の屋根に、住民たちが這い上がっていた。遠くの家々までヤズデギルドの声が届くはずもないが、少しでも歴史的瞬間を共有したいということか。
ヤズデギルドは心を込めて、帝国市民の団結を説いた。
「貴族派も平民派もない。共に手を携え、偉大なる帝国を護り続けよう」
そう締めると、〝穴〟全体に響渡る様な万雷の拍手が湧き起こった。
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戴冠式は一週間後に決まった。
会場は例の中庭だ。全評議員および、周辺都市の有力者、諸外国の使者たちが見守るなか、ヤズデギルドは皇帝機に搭乗し、名実ともに新皇帝となる。
式典に向け、嵐の様な日々が始まった。
ヤズデギルドは、皇帝宮のある〝島〟ではなく、母艦を駐機した軍学校で政務を行った。軍学校は、ヘブロンの強い影響下にある。こちらのほうが、暗殺されづらいと踏んだのだ。
母艦内のヤズデギルドの執務室には、ひっきりなしに軍人や官僚たちが押しかけた。
リガが護衛として背後で見守るなか、ヤズデギルドは物凄い勢いで、伺いを処理し、助言を聞き、政策を定めた。
穴の上層部を暖めるための配管の増設。
皇帝就任の祝として周辺都市に送る熱の配分。
軍学校の入学試験制度の改訂。
ヤズデギルドは、最後の粘土板を眺めながら、背後のリガにいう。
「リガ、約束が間延びしてしまってすまなかったな」
「約束?」
「帝都に帰り着いた暁には、軍学校に入れてやるという約束のことだ」
そういえば、そんな話もあった。
「このあと、軍学校の校長のところに挨拶に行くんだ。すでに話は通っているが、礼儀を忘れてはまずいからな」
「わたし一人で、ですか?」
「もちろん、わたしも同行する、といいたいが、代わりに同行したいという奴がいてな。わたしも時間がない体だ。言葉に甘えることにした」
開きっぱなしだった扉から、ギレアドが颯爽と入ってきた。
「さあ、リガちゃん、未来に向かって歩き出すときだ!」