太陽は動かなくなりました
市長の娘はドストエフにベタ惚れになっており、いまや彼しか見えないという雰囲気ではあったが、ぼくの整備をさぼったりはしなかった。
むしろ、はじめてここに来た時以上に熱心にぼくを調整していた。
装甲は、これまでに鹵獲した敵巨人が身につけていたより軽量かつ頑丈な金属でできたものに交換してくれたし、コクピットの配線もドストエフに合わせてより細かな〝同期〟を行った。
負傷箇所は徹底的に再生槽に漬け込んで修復したし、武器だって、ドストエフと相談し、単なるブロードソードから片刃の日本刀のような形状のものに切り替えた。
だが、彼女が頑張れば頑張るほど、どうしたわけかぼくのパフォーマンスは落ち、ドストエフが操縦席で首を捻る回数も増えた。
市長の娘が来てから五度目の出撃は、都市の周りの巡回任務だった。本来、ドストエフは隊長として免除されるものだったが、稼働している機体が減ったため、彼とぼくがやらざるを得なかった。
ぼくは、もう一機の巨人とともにゆるやかな丘を登っていた。
ゆるやかといっても、これは巨人視点での話で、丘の高さは二百メートルはあったろう。
「隊長、どうすんすか?」モニターのなかで、もう一機の巨人の操縦士ジャムリが通信システムごしにいった。赤毛のヒゲモジャのむさい男だ。清潔感はないが、この極寒の世界ではヒゲは実用的なものなのだ。ドストエフのように綺麗に刈り込んであるほうが珍しい。
ドストエフが瓶に入った酒を飲みながらいった。
「どうする、とは?」
ドストエフの精神はアルコール成分の影響でゆらぎがある。ごくわずかにだが精神操縦のリンクが切れるので、ぼくはときどきつまづきそうになる。
「市長の娘さんっすよ」と、ジャムリ。「結婚すれば、一生安泰じゃねっすか。次期市長さんだ」
「おい。街までは十分離れているが、万一ということもある。念波通信に切り替えろ」
ドストエフがコクピットのどこかを操作する。
「で、お嬢さんの話しか?整備士になりたいと相談してきたときはたまげたが、いい結果になったな」
ぼくもたまげた。ドストエフの声がこれまで以上にクリアに頭の中に響いている。いや、彼が脳内で組み立てた会話のための言葉そのものを感じとっているらしい。
おまけに、ジャムリのそれまで伝わってきた。
「いや、まさかアリシャを追い出すたあ、たまげましたよ。あのガキ、腕はよかったから、俺に回してくれてもよかったのに」
ようは浅い精神感応を複数の巨人間で行っているのだ。
ぼくは自分の思念をドストエフに送ろうと念じたが、いつものように何か障壁のようなものにブロックされた。
「ふん。俺は〝おじょうさんは若いのに整備の才能がある〟といって引き込んだんだぞ? それなのに、彼女より若く、才能ある人間にハンガー内にいてもらっては困るんだよ」と、ドストエフ。
「へ、とかなんとか、いずれは戻す気なんでしょうが」
「当たり前だ。お嬢様は整備がド下手クソだからな。たしかに知識はある。経験もついてきた。だが、結局のところ、巨人の操作に生まれつきの才能が必要なように、整備にもセンスってものが必要なんだ。お嬢様にはそいつがカケラもない。操縦者が俺でなければ、何回死んでるかわからんぞ。まあ、もう三ヶ月もあれば、市長公邸にお戻りいただくことになるから、それまでの辛抱だがな」
「戻す?」
「ああ、俺と毎晩やってるんだぞ?じきに腹ボテになるさ」
「隊長ってば鬼畜だねえ」
「彼女も俺の子を生みたがってるんだ。愛だ、愛」
二人が話している間に、ぼくは丘の頂上にたどり着いた。
眼下に〝都市〟が見下ろせる。
都市は巨大な円形をしていた。直径はおよそ五キロだ。外周を黒く高い壁が取り囲んでいる。壁のすぐ外には張り付くようにしてバラック小屋が立ち並んでいた。きっとアリシャはあのなかのどこかにいるのだろう。
都市全体はもうもうたる蒸気に覆われている。
壁の内側に立ち並ぶ集合住宅は、中央の5本の〝塔〟から伸びた無数の配管を通して蒸気熱の供給を受けている。だが配管にはそこかしこに亀裂があるらしく、あちこちで漏れ出しているのだ。
住民は貴重な熱を逃さないように、建物と建物の間に布の屋根をかけているが、それでも隙間から立ち上ってくる。
中央の5本の塔の間には球状のドームがある。
これまでに聞いたドストエフたちの話を総合すると、あそこにこの都市を支える反応炉〝樽〟がある。
樽こそが都市の要、恐るべき冷気から人々を守るエネルギー源だ。
樽を狙い、都市には常に熱盗賊が押し寄せる。
無謀にも人間のみで攻めてくることもあるが、たいていは巨人でやってくる。
破壊された巨人の血の跡が、都市の周りに点々と残っている。そこに、都市の人々が雪に吸い込まれた血液を回収しようと群がっていた。
この世界は本当に不思議だ。
巨人のような超科学の塊を運用しているくせに、その文明は野蛮極まりない。
整備士たちも、経験則から巨人の装甲や筋肉、操縦システムを保守しているだけで、バイオテクノロジーに精通しているというわけではない。
ここはどこなのだろうか。
ぼくは城壁の外で雪合戦をしている子供たちを見ながら思った。
あの子供たちの振る舞いはぼくが生まれ育った世界の子供たちと同じだ。
となると、やっぱりここは地球なんだろう。
しかし、そうなると、この巨人の存在と、聞いたこともない言語はどういうことなんだろうか。ずっとずっと先の未来に意識だけ飛ばされたとでもいうのか。
それに、あの太陽はどういうことなんだ。
ぼくの気持ちがドストエフにわずかながら伝わったのだろうか。彼がぼくに天を見上げさせた。
空は雲に覆われているが、太陽の光は雲を超えて空の真ん中で、どうにか小さく輝いている。
ぼくの知る太陽と違い、白く、弱々しい光だ。
しかし、いつでも輝いている。
ぼくがここにきてから何ヶ月か経ったが、まだ一度も〝夜〟になったことがないのだ。
いや、それどころか、あの太陽は天球のど真ん中から一度たりとも動いていない。