死の天秤
大豪邸が、母艦めがけて崩れ落ちてきた。
母艦の操舵士は反射的に家から逃れるよう舵を切ったが、これは裏目に出た。元から幅のない道だ。母艦の船首部分は歩道を突き破り、中空に突き出す形となった。
群衆が悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ヤズデギルドが「退避だ!全員艦内に戻れ!」と叫ぶ。
甲板に出ていた兵士やパイロットたちが我先にと艦内部に通じる出入り口に突進する。
膨大な量の瓦礫が、船を宙に押し出すように激突した。
母艦が激しく揺れる。
リガは叫び、甲板から振り落とされまいと手すりにしがみついた。
ヤズデギルドが「全員何かに掴まれ!」と声を張り上げる。
船の前後についていた巨人たちが大慌てで船体にとりつき、道に引き戻さんとするが、さきほどの豪邸と隣り合っていた家々までが崩れ落ち、船体めがけて押し寄せてくる。
船のエンジンが激しく唸り、煙突から蒸気が吹き出した。全速後退をかけているのだ。だが、船体は容赦なく崖からはみ出していく。
⭐︎⭐︎⭐︎
格納庫のなかでは、〝先生〟が、揺れで左右に振られながら、「操縦士は自分の機体に乗り込め!操縦士のいない巨人は固定しろ!」と指示を出していた。ラーメンの汁がどんぶりから溢れるように、ぼくの再生槽から、再生液がどばどば外に溢れだす。
耳障りな警報音が激しく鳴りはじめた。
先生が伝声管に耳を押し付けたあと、大きく手を振って吠えた。
「装甲だ!装甲をあげろ!船が落ちかけている!動ける機体はすぐに外に出て、艦を繋ぎ止めるんだ!」
⭐︎⭐︎⭐︎
甲板の上では、リガが、両舷の装甲板がつぎつぎと開いているところを間近で見ていた。
ヤズデギルドが頷く。
「冷静な判断だ。片方だけ開くと重心が崩れかねないからな」
⭐︎⭐︎⭐︎
先生は、左右対称に並んだ再生槽から、二機ずつコンビで出撃させた。巨人たちは左右同時に立ち上がり、双方とも右舷側、道の方向にあるハッチから外に出ていく。
左舷側の巨人の一機が中央の作業通路に足を引っ掛け、めちゃめちゃに破壊した。
ぼくはといえば、パイロットのリガが甲板にいるので、例によって指一本動かせない。傾いた再生槽のなか、巨人の肉眼で、開いたハッチから〝穴〟の全景を見つめていた。
母艦が傾いているせいで、下方までよく見える。
現在の位置は底から千メートルほどか。
母艦がぐらりと揺れ、未固定のぼくの体が、ずるりと下にズレた。
背筋にぞわぞわした感覚が走る。
〝穴〟はすり鉢型であり、道は渦を巻く様に続いているので、落下した際は、一段下の道、もしくは住宅に叩きつけられることになる。
高さはおよそ百メートル。
ぼくの身体が人間サイズだとすれば、生身の人間が十メートルほど落ちるのと同じだろう。四階建てのビルと同じ高さだ。
骨折や内臓破裂は避けられないし、頭から落ちれば、即死だろう。
以前、ドストエフに操られているときは、死んだ方がマシだ、と思ったものだが、いまは覚悟ができていない。悲鳴をあげたいが、声帯がないので声は出ない。
母艦はじわじわと宙に向かって進み、止まった。
⭐︎⭐︎⭐︎
母艦は全体のおよそ半分を宙に突き出して止まっていた。船体全体が微かに揺れている。とてつもなく際どいバランスだ。
どうにか踏みとどまれたのは、艦内から発進していった巨人たちのおかげだ。彼らが元からいた8機の巨人と共に、船体を掴み、あやういところで道に繋ぎ止めている。
甲板の上で兵士たちが沸いた。
ヤズデギルドが手を叩く。
「まだ安心するな! 全員、慎重に艦尾方向に移動しろ!」
と、母艦が再び大きく揺れた。
船を掴んでいた巨人の一機が、船の重さに耐えきれなくなったのだ。腕の筋肉繊維がちぎれ、装甲から血が吹き出している。
ぼくはリガのなかに恐怖が広がるのを感じた。
彼女は、支えきれなくなった巨人に見覚えがあった。
あれは、ギレアドの機体だ。
「やめてください!」と、リガが叫んだ。
ギレアドの機体は〝奮闘むなしく〟手を船体から離し、天秤の釣り合いが崩れた。
母艦は急激に傾き始めた。