貴族になろうよ
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ぼくの傷は再生液のおかげで、翌々日にはかなり回復したが、リガはそうもいかなかった。彼女の傷は身体の内側から生じたため、医師にできる手当も、温湿布くらいだった。
そういうわけで、彼女はベッドに横たわり、窓を流れていく景色を眺めるほかなかった。
外は、かわり映えのない雪景色が続いていたが、一日に一つのペースで〝都市〟が現れた。どの都市も大小の差はあれ、最初に見た帝国圏の都市と同じように、城壁に囲まれ、蒸気を吹き出し、パイプラインのようなものが母艦の進行方向に伸びている。
リガが、見舞いに来たヤズデギルドに尋ねたところ、帝都から伸びる蒸気管だということだった。
ギレアドは、ヤズデギルドが何かいったのか、密約の日以降、現れなかった。
母艦が進むにつれ、都市が現れる頻度は半日に一つになり、やがて一時間に一つになった。
このころになると、都市の大きさはエスドラエロンの数倍にまでなっていた。交易用と思しき大型雪上艦と、橇を引いた商人たちが、ひっきりなしに城門を通過し、白い装甲の帝国の巨人たちが、門の横で神像のように構えている。
都市の人々は母艦に気がつくと、城壁の上や外に出てきて手を振った。中央の塔から蒸気を高く噴き上げたり、ホーンを盛大に鳴らす都市もあった。
ある都市の前を通ったときなどは、あらかじめ全住民と巨人たちが、母艦の進路のそばに並び、〝ヤズデギルド陛下万歳!〟と書かれた横断幕を掲げていた。
ちょうど病室には、ヤズデギルドと老将のヘブロンが見舞いに訪れていた。
ヤズデギルドは窓を開き、身を乗り出しながら、都市住民に手を振って応えた。
走行音以上の大歓声が響く。
リガはヘブロンにいった。
「すごい人気ですね」
ヘブロンが頷く。
「殿下は常に民のために戦い続けておるからな。みなそのことを知っておるのよ。
帝国は年々、寒冷化が進んでいる。
何年か前には、皇帝陛下はじめ、主だった皇族が熱を帝都に集中させようとした。だが、それは周辺都市に送っていた熱供給を断つことであり、そこに住むもの全員を見捨てるということだ。
唯一、殿下だけが反対なされた。すべての帝国市民が生き延びる道を探すべきじゃとな。
皇帝陛下は、もし周辺の民を救いたいのなら、敵対する国々から〝反応炉〟を奪い取ってこいと命ぜられた。
難しい話じゃ。反応炉を持っとる国は強いからの。だが、殿下とワシらは、わずか四十日で〝流浪の王国〟を攻め落とした。
皇帝陛下は、自らが成したことだと触れ回ったが、市民は、本当は誰が救ってくれたのかはわかっておる」
外で、ヤズデギルド万歳!と、大合唱が響いた。
ヘブロンが白い髭をなでた。
「その後、寒さは厳しさを増し、さらなる反応炉が必要になった。
周辺都市の民は、前回のことから、いざとなれば皇帝は自分たちを見捨てると悟っておった。互いに連携をとり、帝都に攻め登るような動きさえ見せた。
皇帝陛下はあわてて彼らに伝達した。主要な皇族と彼らが抱える軍団に大遠征をさせて、反応炉を奪ってくるとな。さらに、もっとも功のあった皇族に継承権第一位を与えると。
反乱の機運は収まった。これはもう、ヤズデギルド殿下を次期皇帝に指定するに等しいからの。
みな、殿下を信じておったのよ。殿下ならば、必ずや敵を打ち倒し、反応炉を手にしてくれるとな。
そして今、殿下は旅を終えて戻って来たのだ」
「それは、めでたい、ですね」
リガが平坦な声でいった。帝国民のために犠牲になったのは、彼女の姉、友達、故郷なのだ。
母艦は進み続け、大歓声は遠のいた。
ヤズデギルドが窓から顔を引っ込めていう。
「リガ、そうめでたい話でもないのだ。もっともつらく、困難な戦いはこれからだからな」
ヘブロンが顔をしかめた。
リガがいう。
「暗殺、ですか?」
「そうだ」と、ヤズデギルド。「兄弟たちはこれまで以上にわたしの命を狙おうとするだろう。家族同士が血で血を洗う争いを繰り広げることになる」
つまり、ギレアドは、ヤズデギルドの兄弟の誰かに従っているのだろう。
ヤズデギルドがリガの肩を叩いた。
「我が軍団は精強だが、先日の暗殺者の件もあったように、心から信じられるものは少ない。そんななかで、リガ、お前という存在を得たことは何よりの救いだ。お前は、わたしの兄弟たちに接触したはずがないからな。ヘブロン、ギレアドとともに、引き続きわたしを支えてくれ」
ヤズデギルドの瞳がリガをまっすぐに捉えている。
「わたしはただの蛮族ですよ」と、リガ。
ヤズデギルドが首を横に振る。
「お前は誰よりも心の綺麗な娘だ。お前が近くにいてくれるだけで、わたしがどれほど救われているか」
「しかし、たしかに、蛮族というのはいただけませんな」ヘブロンがいう。「殿下は、帝都に戻り次第、リガを軍学校に入れるおつもりなのでしょう? あそこは入学者の家格を重んじますからな」
「お主のいうとおりだ。誰か適当な貴族の養子にでもするか」
「ご冗談でしょう?」と、リガ。
ヤズデギルドが真顔でいう。
「いや、リガ、これはいい考えだぞ。貴族の娘となれば、お前は兵役なしに、即、帝国市民となれる。まあ、わたしがお前に課したことの〝償い〟としては、まだまだ足りないがな」
毒見係をさせたことを、そこまで気に病んでいるのか?
リガが手を振る。
「償いだなんて。わたしは殿下に救われた身です。殿下はわたしに何も負ってなどいません」
ヤズデギルドが小さく微笑んだ。
「もう旅も終わる。そろそろ本音で話さないか?」




