ぼくのパイロットはおっさん!?誰か助けてください
ぼくは地獄に転生した。
その朝、ぼくは勤務先のバイオベンチャーに行くために東武東上線に揺られていた。つり革につかまり、ぼんやりと窓の外を眺める。まだ八時だというのに真夏の太陽はぎらつき、世界を白っぽく輝かせる。天気予報によれば、今日は三十二度まで上がるらしい。遠く、濃い青空の下に富士山が小さく聳えていた。
まもなく和光駅とのアナウンスがあった。有楽町線に乗り換える駅だ。ぼくの隣に立つ大男が、ふうふう汗をかきながらドアに近づく。
ブレーキがかかり、車体が揺れる。
瞬間、ぼくは雪原に立っていた。
猛烈な吹雪が辺りを包み込んでいる。風は逆巻き、上から下から雪をぼくに投げつける。
暗い。さきほどまでの晴天は、一面黒と灰色の雲に取って代わられた。
住宅街とビルは消え去り、雪の平野と寒々しい岩山がどこまでも続いている。
何が起こったのか。
これじゃあ、遅刻してしまう。
我ながら社畜ぶりに笑ってしまうが、このとき、まっさきに浮かんだのは朝一番の会議のことだった。一週間かけて作り込んだ新しい生殖医療商品の企画書を常務と部長にプレゼンせねばならなかったのだ。
ぼくは懐からスマホを取り出そうとして、さらなる困惑に包まれた。
身体が動かない。金縛りどころではない。指一本動かすことができないのだ。
意思を総動員しているのに、ぴくり震わすことすらできない。
脊髄損傷、そんな言葉が頭をよぎったが、首から下の感覚はちゃんとある。だが、あらためて意識を向けると、いつもの肌に当たる布の感触がおかしい。ユニクロの快適シャツとパンツのセットを着ているはずなのに、何かゴムの膜のような物が貼り付いている感触がある。それも、指先から頭の先まで、身体の全てを覆っている。
なにがどうなっているのか。
悪夢にしてはあまりにもリアルだ。
事態の異様さが我が身に染み込み、ぼくは悲鳴をあげた。いや、あげようとした。
じっさいは口も舌も動かなかった。
天が光り、雷鳴が鳴り響いた。
腹の芯まで震える。
とにかく、どうにかして動かないと。こんな猛吹雪の中にいたら、あっという間に凍死してしまう。いまのところ寒さは感じないが、すでに体温が低下しきっているだけかもしれない。体感温度は外気温と体温の差異から生じる。外気温と体温が近いほど、人は暑いと感じるし、離れているほど寒いと感じる。
眼前の光景からして、外気温が0度以上ということはなさそうだ。ぼくの体温は何度だ? 20度か?30度か?
動け、足、動け、動け、動け、動け!
念じていると、いきなり足が、手が、身体が動いた。
くるりと回れ右する。
やった! という思いはなかった。
不可解な感覚に襲われていたからだ。
いま、ぼくの手足は動いたし、それはたしかにぼく自身の意思によるものだった。
問題は、そのぼくの意思だ。
ぼくは回れ右しようだなんて考えていなかった。ぼくがやろうとしていたのは足を動かすことだった。なのに、いきなりぼくの意識の一部が、体全体を動かしたのだ。
まるで、ぼくの意識がふたつに分かれたかのようだった。ぼくのいうことを聞く意識と聞かない意識。
これはいったいなんなんだ、と思った瞬間、答えが与えられた。
ぼくのなかにもう一人いる。
二重人格などではない。何か、ぼくとはまったく別の存在がぼくと意識を、この体を共有しているのだ。いや、共有ではない。この体を自在に動かしているのは、その何者かであり、ぼくではない。意識を集中すると、相手の存在をより詳細に感じ取れた。
男だ。名前はドストエフ、歳は三十八。偉丈夫で、身長は百八十五センチ、体重は九十五キロ。〝都市〟を守る防衛部隊の隊長だ。過去の戦闘で右目を失っており、敵方からは〝隻眼〟と呼ばれ畏怖されている。
ぼくはドストエフと会話したり、目視で視認したわけではない。
ただ、彼の意識の表層から、彼の表面的な記憶や思考が流れ込んできたのだ。
彼の思考は「日本語」ではなかった。英語でもなくフランス語でもなく、中国語でもない。ぼくがまったく知らない言語だ。にも関わらず、ぼくはそれを理解することができた。外国語であるという感覚はあるが、まるでもう長いこと慣れ親しんだ言葉であるかのように感じられる。
もちろん、ドストエフの言語ではセンチなどという長さの単位はない。彼は自分の身長を2.9リメルと認識していた。185センチというのは、ぼくが無意識にメートル法に置き換えて認識したものだ。
おそるべき思考速度!
ぼくは二桁の足し算ですら計算機を使っていたのに!
天才にでもなったのか?
そういえば、さきほどから妙に頭がよく回る。
驚嘆すべきことは、さらにあった。
彼はぼくの〝なか〟にいたのだ。
心の中ではない。
彼は、文字通り、ぼくの胸郭の内部に座っているのだ。正確には、ぼくの肋骨の一部は通常の人体とは異なる形に変形しており、鳥の嘴のように前方に突き出している。そこに戦闘機のコクピットのような椅子が据え付けられており、彼はどっかと腰を下ろしている。
ぼくの身長は百七十五センチだ。百八十五センチの人間がそのなかに入るなどありえない。彼は小人か何かなのか?
答えは目の前に〝立っていた〟。
ぼくの眼前に、鎧兜を身につけた戦士がいたのだ。
全身が灰色の装甲で覆われ、素肌が出ている箇所はひとつもない。関節も細かなプレートメイルと鎖帷子のようなものでしっかりとガードされている。手には円形の盾と斧。
ふつうの人ではない。
まず、手の長さが明らかに異常だ。ぼくが考える普通の人間の腕の倍はある。
身体は尋常でなく重いのか、足が踏みしめる雪面は大きく凹んでいる。
なにより身のこなしだ。まるでロボットかブリキ人形のようにぎこちない。あらゆる関節がさびついているのか。ガタガタ揺れながら、一歩ずつこちらに近づいてくる。
ぼくまではあと二十歩ほど。
相手がまた一歩踏み出した。その足元で小さな豆粒のようなものが動いている。ぼくの尋常でない視力は、豆粒の頭に生えた二本の耳をしっかり捉えていた。
ウサギだ。いや、ウサギにそっくりな恒温動物だ。
ぼくは何度目かわからない衝撃を受けた。
ダンゴムシほどの大きさに見えるあれが、恒温動物なはずがない。実験用マウスの胎児よりも遥かに小さい。母胎内ですらあれよりは大きいだろう。
ドストエフは百八十五センチあり、ぼくの中に座っている。
答えは自明だ。
ぼくだ。ぼくがとてつもなく大きいのだ。
おそらくは全高二十メートルから二十五メートル。
ぼくは巨大生体人型兵器とでもいえる存在なのだ。
目の前の敵がさらに近づき、斧をゆっくり横なぎに払った。
なんてのろい動きだ。
こんなもの、二、三歩下がればかんたんに避けられる。
だが動かない。
パイロットであるドストエフの思考が遅いのだ。ぼくの身体は、ぼくの焦りをよそに、ナマケモノのようなスローさで横に動き始めた。
刃がせまってくる。
動け!身体!動いてくれ!
ドストエフも必死に回避しようと体を動かしている。ただし、動かしているのは彼の体ではなく、ぼくの体だ。
刃はもう目と鼻の先だ。
ドストエフがコクピットで叫んだ。
この馬鹿野郎!ぼくは心の中で怒鳴った。あんたは別に刃を喰らうわけじゃないだろう!
刃がぼくの脇腹の装甲を吹き飛ばし、肉を割いた。
アイロンを押し当てられたかのような熱さのあと、痛みが弾けた。
口が開いていれば絶叫したろう。
ぼくはかろうじて命を拾った。
刃は腹部の骨に弾かれて、内臓を傷つけるには至らなかった。
信じがたいが、ぼくの身体は腹筋のひとひとつに沿うように、腹骨とでもいうべき骨が存在していた。
ドストエフが「もらったぞ!」と叫び、ぼくは握っていた剣をふるわされた。腹部の肉がさらに裂け、おそろしい痛みが全身を駆け抜ける。だが、ぼくの身体はそんな痛みなど存在しないかのように動く。ドストエフの意思に従って動く。
クソ野郎。ドストエフは痛みを感じてない。どうやらぼくから彼に向かっては、思考や感覚は流れていない。いや、途中で堰き止められているとでもいうべきか。
ぼくの剣は相手の首にめり込み、一挙に切り落とした。
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本作は読みやすくはありますが、ハードSFなので、おそらく書籍化などは到底望めないでしょう。でも、自分含め、こういうのが好きな人は絶対にいると思うので、地道に更新していきたいと思います。
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