006 枝≪ブランチ≫
表通りにある大きな木造2階建て、両開きの木の扉の上には、世界樹と周囲の森が描かれたと思われる看板が掲げられている。ブランチって、森に関わる職業なのか? とにかく、入ってみよう。
扉を開けると、中は集会所のようだった。斧を担いだ厳つい男や全身を鎧に包んだ剣士らしき者、ローブを纏い杖を持った老人、太股に短剣を差したやたら妖艶な女……老若男女、様々な人が壁の掲示を見たり、卓につき数人組で話し込んだり、思い思いに過ごしている。
部屋の奥には木製のカウンターがあり、受付らしき女性が数人座っていた。俺がカウンターに近付くと、そのうちの1人――栗色の髪をアップにまとめた、20代くらいの眼鏡の女性が俺に気付き話しかける。
「……初めての方ですね、ご用件は枝登録でしょうか?」
「そのつもりですが……実はブランチのことがよくわかっておらず、教えてもらえませんか」
眼鏡の女性の丁寧な物言いに合わせ、俺は正直に聞いた。知ったかぶりして、後で聞くに聞けなくなるとまずい。ルカの言いぶりだと田舎から来る者も多いらしいし、ここで聞いても不自然じゃないだろう。
「ええ、もちろんご説明します。命に関わることですからね。少しお時間かかりますので、そちらへお掛けください」
……え、いま穏やかな顔で不穏なこと言わなかった? 命に関わる? ああ、ブランチが何なのか何となく分かってきたぞ……よく見れば、ここにいる人達は皆何らかの"武器"を持っている……
俺が椅子を引いて腰かけると、眼鏡の女性が革の手帳や書類をカウンターに広げ、説明の準備を始めた。
そう言えば、俺はこの世界の文字や言葉が自然と理解できている。その手帳や書類にはローマ字を崩したような記号が並んでいるが、まるで日本語を読むかのようにすっと頭に入ってくる。魂が再構築される際、その辺りの知識を入れられたのかもしれない。
「改めまして、本日は私ティエラが対応させていただきます」
「イオと言います、よろしくお願いします」
「それではイオ様、まず枝とは、文字通り世界樹を守るため魔獣を打ち払う"枝"となる者を指す言葉です。具体的な任務としては、樹帝国の領土もしくは魔の領域に巣くう魔獣の討伐や、魔獣と出会う危険のある雑務の代行、護衛など多岐に渡り、その依頼はあちらの掲示板に貼り出されます」
ティエラは壁の掲示の方を手で示す。多くの人が壁を見てるのは、依頼が貼られてるからだったのか。
ブランチの仕事は大体予想通りだったが、世界樹を守るためってのはちょっと引っ掛かる。国や民を守るんじゃないのか? 言葉の綾かな……
「これらの依頼は、樹帝国に住む個人や団体、時には国からも申し出があり、こちらのギルドに届きます。ギルドでその依頼の危険度や報酬の適切さを精査し、依頼人と調整した上で貼り出されるものです」
俺は時々相槌を打ちながら聞く。ティエラの話し方は非常に丁寧で聞き取りやすい。俺の身なりから樹都に不慣れな者であると見て、優しく話してくれているように感じる。
「ギルドでは、この依頼とブランチの適正なマッチングを図るため、ブランチの階級制度を設けています」
ティエラは手帳の2ページ目にある階級表を指差した。そこにはこう書いてある。
……
枝の階級表
白金等級(枠に収まらぬ者)
金等級(特に優秀で数々の功績を収めた者)
銀等級(優秀で下位等級の範となる者)
銅等級(一般的な依頼がこなせる者)
鉄等級(修練の中途にある者)
……
「初めは皆"鉄等級"として活動していただき、依頼の達成具合を見て適宜等級を設定させていただきます。依頼の難度によっては、銅等級以上のブランチのみ受け付けるなど制限を設けています。これは、依頼者の利益とブランチの安全のための処置ですのでご了承ください」
いきなり高難度の依頼は受けられないってことね……俺が目指すのは白金等級だが、まずは地道な依頼からこなす必要がありそうだ。
「また、ギルドではパーティー単位での等級設定も行っています。個人個人では基準を満たさなくても、補い合い総合的に基準を満たすパーティーは相応の等級にあると見なします。ブランチの任務はどれも危険が伴いますので、ぜひパーティーを組まれることをおすすめします」
パーティーか……俺はまだ自分の力がよくわかっていない。もしまた人前で魔獣化してしまったら、俺が討伐対象として命を狙われるだろう。まずはソロで挑むしかないな。
「概要は以上です、何かご質問はありますか?」
「いや、特に」
「ではこの手帳――"枝の巻"を差し上げますので、お時間のある時にお読みください。今お話しした内容や、より詳しい説明が記載されています。また何か気になる点がございましたら、いつでも私共にお聞きください」
「わかりました」
俺はティエラから手帳を受け取り懐にしまった。
「それでは、登録手続きに移らせていただきます。こちらの登録申請書に必要事項をお書きいただけますか」
ティエラが1枚の紙と羽根ペンを差し出す。
どれどれ、何を書けばいいんだ? 名前、性別、年齢……この辺は問題ないな。
俺はすらすらと書き進める。が、最後の項目で筆が止まった。
「"使用可能な樹法"……? これ、書かなきゃダメですか」
「……? はい、ブランチとしての資質を端的に示す項目ですから。強靭な魔獣に対して、人族は世界樹の奇跡たる樹法の力がなければ歯が立ちません。どんな武器が扱えるかより、余程重要な項目です」
そこまで言うと、ティエラは俺を怪しむような顔で見た。
「……まれに能力を隠したがる方もおられますが、ギルドとしては依頼者、ブランチ双方の利益のためにも正確な能力の把握が必要ですので、これは必須項目としております」
「あ、いや、隠すつもりはないんだけど……」
これは困った。
ティエラの口振りから察するに、ブランチは樹法が使えるのが当たり前、大前提なようだ。樹法ってあれだよな、リナが使ってた魔法みたいなの。リナが出来るなら俺にも出来るのかな……とりあえず何か書かなきゃブランチになれないなら、書くしかない。
そこで俺は、その欄に唯一知っている樹法を書いた。樹法の名前なんて、あの時リナが叫んだやつしか知らない。
だが、これが大失敗だった。
「――ぐっ、"大地噴炎陣"ッ!?!? あの聖女様と聖樹士様しか使えないと言われる赤系最上級樹法を使えるんですかッ!?」
それまでずっと穏やかだったティエラが突然ガタッと立ち上がり、大声をあげて驚いた。
まずった! そんなすごいやつだったのか……
その大声に周囲もざわつく。
「お、おい、あの新人、大地噴炎陣が使えるらしいぞ……!」
「そんなわけあるか、最上級樹法のひとつだぞ!?」
「いやしかし、申請書にそんなひどい嘘書く奴いねーよ」
「そりゃそうだ、じゃ、ホントに……?」
だあああ、視線が痛い。嘘なんです、すいません……と言いたいが、俺は何が何でも白金等級のブランチになるんだ。他に書けない以上、これで押し通す!
「はい、何か問題が?」
俺は精一杯冷静に努めて、言葉を絞り出した。リナと結ばれるためなら嘘のひとつやふたつ、抱え込んでみせる。
「い……いえ、問題ありません。これは書くのを躊躇うのもわかります、取り乱してしまい大変失礼致しました」
ティエラは深々と頭を下げ謝罪した。俺の良心がちくりと痛む。ああ、こちらこそすいません……
「……ではこれで申請書を全て記入いただきましたので、本日の手続きは終了です。明日には認識票が出来ていますので、また取りにお越しください。それで登録が完了し、ブランチとして活動いただけます」
「わかりました。ティエラさんの丁寧な説明、とてもわかりやすかったです。ありがとうございました」
俺は立ち上がり、ギルドの出口へ向かう。周囲の視線が痛い。モーセみたいに俺の前は人が避け道が開いた。
こそこそと俺のことを話す声が聞こえる。
「おい、あの新人うちのパーティーに誘おうか、どこも欲しがるぞ」
「いやいやいや、最上級樹法の使い手がうちなんかに来るかよ」
「つーか、ホントかな、やっぱ怪しいよな……」
ああ、やりにくいなあ……これでますますソロでやるしかなくなったぞ。ええい、ままよ!
扉を開け外に出ると、日はとっくに沈んでいた。表通りの石畳は、街灯や通り沿いの店の灯りでオレンジ色に染まっている。ふと空を見上げると、街を覆う世界樹の七色の葉が、星のように瞬いていた。綺麗だ……
ぐ~~……
ロマンをかき消す腹の音が、ルカとの約束を思い出させる。たしか、店の名前は"酔いどれの幹"だったな。
俺はルカの食堂酒場を探し夜の表通りを歩いた――