001 転生スピカ
「……これ……俺が、やったのか……?」
ある森の中で、俺の目の前に身の丈10mはある巨大な灰色の狼の遺体が横たわっている。一体どんな鋭利な刃物で切ればそうなるのか、その胴は真っ二つに斬られていた。
周囲の木々は飛び散った血で赤く染まり、地には巨狼の胴の断面から溢れる血が河のごとく流れている。
俺の横で腰を抜かしている返り血で染まった女が、俺を怯えた目で見上げ悲鳴を上げた。
「ひ、ひいーーーーっ! また魔獣だああ!」
そう叫ぶと女はその場から駆けて逃げ出す。
魔獣……?
俺はふと自分の体を見た。
俺の体は獣のように黒い体毛に覆われ、両手で2m程の長大な漆黒の刀を握り締めている。
その刃は、狼の血でぬらりと赤く染まっていた。たった今斬ったことを示すかのように、刃先からポタポタと血が滴る。
「何だ……何だよこれ……! 何がどうなってんだ……!」
俺は記憶を思い返す――
……
……
……
「……リナ! あの、さ……」
「……なに? イオ」
ミーンミーンミーン……
ジージージー……
2020年、夏。
ここS県M市、地元では有名な縁結びの神社で、俺――星守伊緒は17歳にして一世一代の大勝負に出た。幼少の頃からずっと想い続けた幼馴染の神ノ木リナを部活帰りに呼び出して、今日こそ告白するのだ。
塚森にセミの声が響く。天頂から差す日が、首の後ろをジリジリと焼き、俺の着ている紺の剣道着に汗が滲む。俺とリナは、互いに竹刀と防具袋を地面に置き、社の正面で向かい合っていた。
俺はごくりと唾を飲んだ。
ここに呼び出した時点で、リナは用件が分かっているだろう。この神社は、俺達の通う高校でも「あそこで成立したカップルは来世でも結ばれる」なんて噂されるほど、告白の聖地だからだ。
――ザアァッ……
ぬるい風が枝葉を揺らし、ショートカットのリナの黒髪がそよぐ。リナはやや小さめの耳に左手で髪をかけた。首筋に滴る汗もそのままに、白の剣道着を着たリナは凛とした美しい姿勢で真っ直ぐに俺を見つめている。
俺の心臓が激しく鼓動する。緊張し過ぎて、もう俺の耳にはあれほどうるさかったセミの声も聞こえなくなっていた。
「……リナ、俺、ずっと前から――」
「――ちょっと待って。何か聞こえない?」
「――え?」
――……ゴォォォォオオオオ……――
あまりに緊張して気付かなかったが、どこかから飛行機が迫るような風切り音が響いている。
俺はふと首の後ろを焼く日差しがなくなったことに気付き、空を見上げた。天頂の太陽を何かが覆い、俺達のいる神社全体が日陰となっている。
「何だ、あれ!」
「何っ!?」
俺が指差す先をリナも見上げる。が、気付いた時にはもう遅かった。何か巨大な隕石のようなものが俺達めがけ急速に落下し、あっという間に視野を覆う。全身に轟音が響き、風圧に押し潰される。
逃げても間に合わない! 死ぬ――
――そう思った時、大地から激しい光が立ち上ぼり、視界を白く染めた。
突如、隕石の起こす轟音も風圧も、全ての音と感覚が消え、空白の無の世界に包まれていく。
光が全てを消す直前、俺は見た。リナが俺に手を伸ばし何か言おうとしたのを。
「イオ! ××××――――」
何だ、何て言った――
――そこで俺の意識は途切れた。
……
気が付くと俺は光の奔流が轟々と渦巻く海の中にいた。俺は溺れたように渦に流されているが、不思議と心地よい。例えるなら、まるで柔らかな日溜まりの中、昼寝でもしているような、そんな気分だった。
『……イオ、君は選ばれた……』
突如"声"が頭に響く。それは幼い子供のようでもあり、しわがれた老人のようでもあり、はたまた穏やかな婦人のようでもあり、威厳溢れる武人のようでもある。つまり、万人の声が混じりあったような声だ。声の主の姿は、どこにも見当たらない。
選ばれたって一体何にだよ、というかここはどこで、俺はどうなったんだ? まさか、あの世ってやつか……? 待て、一緒にいたリナは!?
俺の頭の中は湧き起こる疑問符で一気に埋め尽くされた。その戸惑いに応えるように再び声が響く。
『ここは、"星核"……全ての生命の源が還り、また巡り行く場所。私は星核を巡る生命の集合体――星核そのものと言ってもいいだろう。イオ、君は天から降る星に潰され死に、魂となってここへ還ってきた……』
……やっぱり俺、死んだのか……。
……きっと、リナも――
――ああ、俺のせいじゃないか! 俺が神社に呼び出しさえしなきゃ、リナは死ななかった! 何てこった、死んでも死にきれない……!
『……そう、君は死にきれない。その娘と同じように』
……何だって? というかさっきから俺の心は全部読まれてるようだ……俺は一言も喋っちゃいないのに、"声"は応える。いや、それより、その娘って……!
『その娘はまた別の存在に選ばれ、すでに再び生を受けている。君もこれから"転生"――新たな生を受け、その娘と同じ地へ行くのだ』
その娘っていうのはリナのこと、だよな? リナは生きている……? 俺はまた、会えるのか……!
『……私に出来るのは、ただ君の"本質"を高めることだけだ。君は君の自由意志に基づいてその娘を護ればいい。それが結果的に私の願いに繋がる』
本質って何だ? 護るって、リナは何かに狙われてるのか? あんたの願いって……いや、何が何かわからないが、とにかくリナにまた会えるのなら! 俺は何だってやってみせるッ! そして、今度こそ想いを告げるんだ……!
『……その意気だ。意志の強さは、そのまま君の強さになる……よく覚えておくといい。さあ、そろそろ時間だ。君の転生先座標に、もうじきその娘が現れる』
何だって!? それは早く行かないと……!
そう思った瞬間、俺の感覚が、意識が、バラバラに崩れ光の渦に溶けていく。魂は一度解き放たれ、周囲の光の奔流を取り込み、また"俺"のカタチに再構築されていく――
……
……
「転生、したのか……?」
目を覚ました俺は起き上がり、辺りを見渡す。どこか森の中にいるようだが、明らかに縁結び神社の塚森ではない。縄文杉のような根本が苔むした巨大な木々がそびえ、まるで屋久島のようだ。
次に自分の体を確かめた。生まれつきの濃茶髪に、剣道で鍛えた体。紺の道着までそのままで、特に転生前と変わった所は無いように見える。
俺が状況を確認していると、突如どこかから女性の悲鳴が聞こえた。
「……もしかしてリナかっ!?」
俺は視野が狭くなるくらい必死になって、木々の間を縫うように悲鳴のした方へ走る。
護れって言ってたのはこのことか……? 何があろうと、俺が護るッ! 今度は絶対死なせないッ!
この時、俺は必死すぎて気付かなかった。俺の「護りたい」意志に呼応したのか、いつの間にか俺の濃茶髪は延びて黒い鋼の体毛となり、全身を覆っていることに。
やがて、前方の少し開けた場所に女性の影と何か大きな灰色の獣を見つけた。俺はリナを護らんと、考えるより先に獣の横腹の辺りに飛び込みながら、何も持っていないのに無意識に上段に振りかぶる。
すると俺の両の手の平から黒い鋼の体毛が無数の小さな蛇のごとくザワザワと延び、一瞬にして鍔のない漆黒の刀を型どっていく……!
俺は右足を前に強く踏み込み、無我夢中でその刀を巨狼の横腹めがけ振り下ろした――
――……サンッ……――
――嘘みたいな手応えだった。まるで素振りでもしたかのように何の抵抗もない。
巨大な狼の胴は恐ろしく綺麗な断面で2つに分かたれ、一瞬の後、斬られたことに気付いたかのように血が噴き出した――
……
――そして、今に至るというわけだ。思い返しても、何が何だか訳がわからない。
やがて握り締めていた漆黒の刀は、黒い毛に戻りパラパラと風に消えた。
逃げた女は、リナと似ても似つかない顔だった。今思えば、声も全然違う。
俺が呆然と立ち尽くしていると、後ろから金属をガチャガチャと鳴らし誰かが近付く気配がして、俺は振り向いた。
「――!? あの強大な魔王の使いが両断されているッ!? 黒き魔獣よ、一体何者だッ!」
迫り来るのは2人の人間だった。1人は今叫んだ立派な銀の鎧を纏ったいかにも位の高そうな騎士、そしてもう1人は――
「……リナ!?」
――見間違うことなきリナ本人が、そこにいた――