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第六話 孤独な女主人

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皆さんミルクティーのミルクは先入れ派ですか?後入れ派ですか?(自分は後入れ派)




メインディッシュのローストビーフを食べ終え、デザートのプディングを前にしたシャーロットの側で、林は食後の茶を淹れるべく白磁のポットを手に取った。


まずカンカンに熱した薬缶(ケトル)の湯を空のティーポットとカップに注ぎ、茶器を温める。


冷めた湯はすぐに捨て、ティースプーンで茶缶から祁門(キームン)の茶葉をポットに入れ、すぐさま湯を注ぐ。


予め茶器を湯通しすることにより湯が冷めづらくなり、茶葉が開いて香りが立ちやすいのである。


通常食後のお茶を淹れるのは執事であるウィリアムの仕事なのだが、今日はシャーロットの要望で林が茶を淹れることになった。


「西洋式の茶の淹れ方など知らない。きっと粗相をする」と最初は拒んだ林だったが、機転を利かせたウィリアムがリハーサルをしてくれたので、手順は覚えたという次第だ。


ありとあらゆるカンフーの套路を一度見ただけで完璧に再現できる林にとって、茶の淹れ方を覚えることなど造作もないことである。


3分経ったところでカップに茶漉し(ストレーナー)をかけ、高く掲げたポットから琥珀色の液体を注ぐと、清々しい茶の香りと共に湯気が立ち昇った。



「お待たせしました。本日の紅茶は安渓省の祁門でございます」



「ありがとう」



シャーロットは白魚のようなしなやかな指でカップのハンドルを掴むと、すうっ…とカップから立ち昇る湯気と共に一口紅茶を啜った。



「美味しいわ。爺が淹れた紅茶とはまた違った、優しい味ね」


「茶は同じ水、同じ茶葉を使っても淹れる者によって全く違うといいます」


「へぇ…誰の受け売り?」


「父です。私の家は小さな茶館をやっておりまして、香港(こっち)に来る前には私も父をよく手伝っておりました」


「そう…じゃあ、今度は中国式の淹れ方でお願いしようかしら」


「ぜひ。喜んでお淹れしますよ」


林はそう言うと拱手の礼をした。





静寂に包まれる、2人きりのダイニングルーム。


シャーロットが最後にミルクティーを所望したので、林は温めた牛乳をカップに注ぎ、茶葉が開ききって濃くなった紅茶を注ぐと、白と紅のマーブル模様に対流したカップの中に角砂糖を2つ落とし、スプーンでよく混ぜ色を均一にする。



「出来ましたよ」



「ありがとう。何度も悪いわね。しかし…」



「どうかされましたか?何か不手際でも…」



「いえ、そうじゃないの。今日初めて給仕するあなたが、どうして私の好みを知っているのかなって……」



「執事のヴィッカーズさんに聞きました。お嬢様は後入れ派ではなく先入れ派で、砂糖は2つがお好みだと」



「ええ、そうなのよ。こうするとミルクに熱が入らなくて美味しく感じるって、お母様が言ってたから…」



シャーロットはカップのハンドルに手をかけながら、乳白色の中身を見つめて感慨深そうに言った。



「お嬢様のご両親は、現在どちらに?」



「お父様は私が小さい時に離婚しちゃったから居ないわ。お母様は私と一緒に香港に住んでいたのだけれど、数年前に肺を悪くして湖水地方(コッツウォルズ)で療養中。私はお父様が残してくれた会社を継いで、一人で回してるわ」



「そうなのですか……お辛い境遇をお話しさせて申し訳ありません」



家族の話題を出す度に哀しげになってゆくシャーロットの表情を見て林は「ご主人様にこの話題は御法度だ」と察し、いち早く頭を下げた。



「いえ、謝らなくてもいいのよ。それより、あなたのお父様のお話を聞きたいわ」



「私の父ですか…」



林は少し考え、楽しかった仏山での父との思い出に想いを巡らした。



「子煩悩で良い父でした。母が病弱でお産に弱く、生後間もなく妹達がみんな死んでしまったのもあって、一人息子——いや、一人娘の私を可愛がってくれました。ただ、カンフーの稽古と茶館の営業にだけは厳しくて、私が店の手伝いをサボって隠れて酒を飲んだ時や、地元で威張ってたガキ大将をコテンパンにのめした時はこっぴどく殴られましたが……」



林がボロを出しかけた事にヒヤリとしつつも、あれこれ故郷での思い出話を続けると、シャーロットはくすりと笑った。



「くすっ……可愛い見た目に反して意外とお転婆さんだったのね」



「ええ、そりゃもう。何せ武術家の娘ですから。父を立てる為にもいつも男勝りでなければと」



林は偽物の胸を張り、拳で軽く叩いた。



「うふっ…面白い人。またあなたの家族や武術のお話、ぜひ聞かせて頂戴」



「ぜひ、喜んでお話し相手になります」






壁の柱時計が「ボーン」と重厚な音を響かせ、時刻が午後8時を回った事を伝える。


シャーロットはその音色に耳を傾けながら、桃の花びらのような可憐な唇をカップに寄せ、温くなった紅茶を音もなく啜り、こくりと喉を潤した。





* * * *




使用人の夕食は概して遅めだ。


大抵主人の食事に付き添い、皿洗いやテーブルクロスの片付けが終わった後にようやくディナーの残り物からなる賄いにありつけるので、食べ盛りの林には待ち遠しい時間だ。



林はマーガレット、フレデリカと共に磨き上げられた地下厨房のシンクを囲んで即席のテーブルを作ると、料理人が帰る前に作り置きしてくれた賄いのローストビーフマッシュポテト添えを頬張る。



(う……旨い!)



林は口内に広がる重厚な肉の快感に唾液腺が弾けそうになる。


二度の戦乱、そしてその後の大躍進政策の失敗によって故郷は荒廃していたから、比較的裕福だった林の毎日の食事も薄い米の粥が1日2杯。運が良ければ鹹蛋(塩漬け卵)油条(揚げパン)付きがいいところで、肉、それも分厚い牛肉などを食べるのは何年ぶりにもなる。


林は乱雑にナイフで肉を切ると、手掴みで上を向いて肉を口に落とし込み、豪快に食らった。



「ちょっとラム、行儀悪いわよ。フォークを使いなさい」


「おっとこれは失礼。余りに旨いものだからつい気が緩んでしまった」


「あのねぇ…お嬢様の前では要領よくやってたみたいだけど、頼むからボロは出さないで頂戴。もしあんたが男だってバレたら、困るのはあんただけじゃないんだから。それを知ってて隠してたヴィッカーズさんや私たちの信用にも関わるんだからね‼︎」



「まぁまぁ…ラムちゃんはあなたの窮地を救ってくれたんだから。その辺にしといてあげなさいな」



例のシャンパンの件をマーガレットに振られ、フレデリカはばつが悪そうに目を逸らし



「……礼は言わないわよ」



とだけボソリと言った。


林は黙って目を閉じながら付け合わせのマッシュポテトを旨そうに頬張りつつ



「別に期待してない」



とだけ答えた。





使用人(メイド)となって迎えた、香港最初の夜は更けてゆく……。



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