私は貴方が大嫌いだ
一生シリーズお待たせしました!
皆さんが思っていたカイスとは違うかもしれません…どうぞお手柔らかに。
始まりはノルンステ王国の端にある名もなき小さな村。
そこの村長の娘が僕、カイス・チェリスアの生母だ。
村長の娘である母は村の中で一番美しく、平民にしては魔力量が多い希有な少女だった。
そのせいか村長をはじめとした村民全体に大事にされ、母は平民には不相応な高飛車な女になってしまっていた。
17歳になり、世間でいう年頃の娘になった母は村の男と自分は釣り合わないと村長に訴えてツテをたどり、とある貴族の男と出会うことに成功した…いや、まんまと釣られたとでもいうか。
その貴族の男こそ、チェリスア伯爵。
僕の父であり、出世と保身にしか興味のない男だった。
父にとって母は都合のいい女だった。
当時父の正妻は既に子供を産めない身体になってしまっていたので、身分は高くはないがそこそこ魔力を持ちスペアを産んでくれる女が父には必要だったのだ。
世間知らずで愚かだった母は父の企みに気付かぬまますぐに恋に落ちた。
元々身分不相応な考え方をする人だったから、父が甘い言葉を囁けばすぐ夢中になって自分をお姫様だと思い込んでしまったのだろう。
私を身籠るまでの少しの蜜月は母を更に盲目にさせた。
父に正妻がいると知った上で子供さえ出来れば自分を正妻にしてくれると信じていたのだ。
そしてついに私を身籠った時、父は母の期待を裏切り母の前に二度と姿を見せることはなかった。
しかし、それでも母は愚かにも健気に父を想い続けた。
流石に呆れた村長は村の外れの一軒家を用意し、母と僕をそこに住まわせた。
いわゆる、厄介払いというやつだろう。
しかしそんなことにも気づかなかった母は僕を育てながら来る日も来る日も父を待ち続けた。
村の人々は母のそんな様子を気が狂ったと言い、次第に家の周囲にすら寄り付かなくなった。
そして僕が5歳になる頃には家を訪ねるのはただ一人だけ。
父の命令で時々食事や生活用品を持ってくる執事らしき男だけになった。
思えば母が正気だった姿なんて一度も見たことがない。
生まれてからずっと母の口癖を狂ったように聞かされていた。
それはまるで物語に出てくる悲劇のヒロインのような言葉だった。
「伯爵様は何か事情があってこられないのよ。きっと正妻が邪魔してるんだわ、なんて忌々しいの。
彼はね、まだ私を愛してるの。」
幼いながらに母は狂っているのだろうと誰かに言われずとも理解した。
母は僕を見ると愛おしげに見つめ撫でてくれたが、それは決して僕自身を愛しているわけではなく、僕を通して父を見ていただけだった。
その証拠に母は僕をみると必ず父の名前を呼ぶ。
僕は父の名を呼ばれる度に、母を哀れんだ。
ある意味、僕は生まれた時から母を母親として認識していなかったのだろう。
僕にとって母は捨てられたことに気付かず父を想い続けるただの可哀想な女だった。
そこにあるのは他人事の哀れみ、もしくは無関心だ。
しかし母は僕と真逆のようで、僕が年を重ねるごとに母の僕への執着心は大きくなっていった。
8歳になったある日、僕がパンを買うために村の中心に行きパン屋の少女と話していると突然母が現れ、少女に嫉妬して平手打ちした時には流石に驚いた。
何故なら少女とは買い物に必要最低限の会話しかしていなかったから。
それでも母は執拗に少女を罵り、叩こうとしていた。
その時の母はもう既に高飛車な少女から立派な狂人に変わっていたのかもしれない。
同時に僕にとって母は無関心の存在からお荷物へと変わっていった。
それからというもの、村の人々に更に変な目で見られるようになり、遂には外に出ることすら出来なくなってしまった。
いくら僕が母に興味がないとはいえ、四六時中一緒にいたくはないし、外の空気を吸うくらいの気分転換は必要だ。
しかし村人の目がある以上迂闊に外を出歩くこともできなかった。
そんなある日、突然執事の男が毎日食事を届けるようになり、同時に僕に本を差し入れるようになった。
きっと狂った母以外とのコミュニケーションを取ることができなくなった僕を哀れんだのだろう。
別に他人とコミュニケーションが取れなくなったからといって思う所はなかったが、本は興味深いのでありがたく受け取った。
それから僕の気分転換は読書になった。
12歳になった頃、母はストレスですっかり老け込んでしまい、かつての若々しい少女の面影は消え失せ、白髪の陰気な女になってしまった。
もう既に僕を目に写すこともなくなった母が虚ろな目で父の名前を一日中ブツブツと呟くのを聞き流しながら本を読むのが僕の日課だ。
気がおかしくならないのかと聞いてくる相手すら僕にはいなかったが、日常生活になんら影響はなかった。
平民の少女を捨てた冷酷非道な父と気が狂った母の子だ、僕もどこかしらおかしいのかもしれない。
そんなある日、いつも通り家を訪ねてきた執事の男に突然腕をひかれ家から連れ出された。
久しぶりに見る外の風景に驚きながら何故家から連れ出すのかと尋ねる。
すると執事は安定の無表情のまま平然と答えた。
「旦那様のご指示です。カイス様の生母を処分し、カイス様をチェリスア伯爵家の一員としてお招きします。」
え?と言う暇もなく、背後からバンっと爆発する音が聞こえ、何かが燃える匂いがした。
何事かと咄嗟に振り向こうとしたが、思いとどまる。
慎重に考えればすぐわかることだ、背後には母と僕が住んでいた家しかない。
爆発したのが何かなんて明らかだった。
母は今頃肉片となってそこら辺に飛び散っているか、もしくは火の海に包まれ苦しんでいるかもしれない。
でもそれらは全て僕には関係のないことだった。
「そうなんですか。」
ふと頭に疑問が思い浮かぶ。
もし僕も一緒にあそこで殺されていたら何か感じただろうか、と。
いや、きっと何も感じなかっただろうな。
母の僕に対する感情と同様に、母は僕の感情を動かすほどの存在ではなかったから。
一人納得した僕は黙って執事の後についていくことにした。
父に初めて会った時、父に言われた一番最初の言葉は父の人格を表していた。
「なんだ、このみすぼらしいのは。これが私の息子か?」
まるで本に出てくる悪役のような言葉にこんな小物みたいなのが父親か、と思わず口が開いてしまった。
母はこんな男のどこが良かったのだろうかとつくづく呆れた。
まぁ母もそれなりの女ではあったのでお似合いなのかもしれない。
実の子である私を蔑んだ目で見ながら父は話を進める。
どうやら父は正妻が死んだうえ、嫡子が出来損ないだから私を呼んだようだった。
相変わらず最低な人間だなと思ったが呼んでもらったことには感謝した方が良いのかもしれない。
あのまま母とあの家で死んでいくのは流石にゾッとする。
その嫡子とやらには申し訳ないが、私もそこそこの生活を送りたいだけなのでお邪魔させてもらおう。
後継者の座を奪うつもりはないのだから…そう思っていた、兄上に会うまでは。
「はじめまして、カイス。
私が君の兄のウィルノー・チェリスアだ。」
つい最近母親を亡くしたばかりだった同い年の兄上は目を少し腫らしながら、それでも庶子の私に近づこうと親しみを込めて挨拶した。
普通なら優しい兄上を持てて私は幸運だと思うべきなのだろう。
だがその姿を見た時、何故か私は無性にイラついた。
こんな事は初めてだった。
あの母や父にでさえイラついた事はなかったのに何の関係もなかった兄上にこんなに激しい感情を抱くなんて、自分自身が一番驚いている。
とにかく、私は兄上が嫌いだった。
「よろしくお願いします、兄上。」
顔に笑顔を無理やり貼り付けながら何故こんなにもイラつくのかその原因を探した。
そしてその原因は意外にもすぐに見つかる。
あぁ、私は兄上の瞳が気に入らなかったんだ。
歪みのない、真っ直ぐとした瞳。
母の狂気に晒され澱み歪みきった私とは真逆の瞳だった。
ふと、とんでもない衝動に駆られる。
『この人を同じところまで突き落としてやりたい。』
つまらなかった人生が一気に輝きだす、それもいいかもしれない。
その瞬間、人生の目標なんてなかった私に目標が出来た。
私の兄上を突き落とす作戦は初日から順調だった。
何故なら父の言う通り、兄上は出来損ないだったから。
いや、思っていた以上に私が優れていたのかもしれない。
長い時間の読書で蓄えた知識や教養や貴族会でも十分通用した。
私が身分以外のあらゆる面において兄上を追い越すのはすぐだった。
ただ、私が貴族らしい貴族になるのでは意味がない。
それでは兄上とポジションが被ってしまう、とにかくダメなのだ。
だから私はワザと礼儀知らずになった。
身分の高い子息を呼び捨てにして気安く話しかけたのだ。
全ては私と兄上を平民らしく身分に囚われない優秀な庶子と貴族らしく身分にうるさい不出来な嫡子として差別化するためだった。
見事私の策は兄上の劣等感を徐々に強めていった。
しかし、まだ兄上の瞳は澄んだまま。
鈍く愚かな兄上は未だに私の存在に親しみさえ感じているのだ。
優しい優しい兄上は身分不相応な言動をする私に親切に注意し、私に騙された愚かな人々に責められてもなお私への注意をやめない。
辛くて仕方がないだろうに。
本当に優しくて真っ直ぐな兄上…忌々しい。
私は日に日に兄上のその薄ら寒いものを剥ぎ取ってやりたい気持ちが強くなった。
そしてついにチャンスがやってきた。
父が私を初めて社交の場に連れ出したのだ。
それは決して大きなパーティーではないものの、私を披露するにはピッタリの場所だった。
それにこの規模なら兄上の婚約者である目障りな女…王女もやって来ない。
私のおかげさまで友人だってまともにいない兄上は頼れる存在などいなかった。
そんな事も知らない父は兄上をそっちのけにして、私の肩を抱きながら周囲に紹介してまわる。
庶子を紹介してまわるなんて家の恥と言われてもおかしくないが、私の優秀さが周囲に文句を言わせない程のものだったから実現したのだ。
パーティーの主人の侯爵が話しかけてくる。
「よろしければ何か美しい魔法を披露してくれないかね。」
「もちろん、よろこんで。
ほらカイス、何か披露してごらん。」
まるで自分の手柄のように語る父に呆れつつ高位の氷魔法と風魔法を使って会場に花びらのような雪を降らせたり、氷の彫刻を出した。
私にとっては造作もないことなのに、人々は感動し、賞賛する。
もちろん、その中には面白くなさそうに見ている貴族もいたがその場の多くの人は私を褒め称えた。
私が次期当主にふさわしいのかも、とさえ言う人もいた。
貴族とは案外意見をコロコロ変えるものなのだ。
その安易な言葉が兄上を傷つけているとは知らずに。
私の狙い通り、パーティーの時間は兄上に苦痛を与えたようだった。
しかしそれでもなお兄上の瞳は歪んでいない。
貴族の子息にしては意外と忍耐があるのだなと思った。
もっと、もっと追い打ちをかける必要がある。
そこで帰宅する馬車の中、私は父に囁くように言った。
「父上、兄上は大丈夫でしょうか。
先程怖い目で父上を見ていらっしゃいました…私の杞憂ならいいのですが。」
「…まぁ、いい。ウィルノーとは話をつけようと思っていたからな。」
なんて扱いやすい人間なんだろう。
私は父のことなんて一ミリも興味ないが、兄上を追い詰めるのに父以上に使いやすい人間はいなかった。
それに全て自分の手のひらで転がっていると思っている人間を転がすのは案外面白いものである。
私はニヤリと笑い、明日の兄上の瞳はどうなっているだろうかと期待しながら眠りについた。
それ以来、兄上は私に辛く当たるようになった。
兄上はついに堕ち始めたのだ。
その瞳の中には私に対する怒りや嫉妬、憎悪の色が見えてとても気持ち良かった。
もっと、もっと歪ませたい、澱ませたい。
その為にも兄上から後継者の座を奪わなければ。
しかし、それには壁があった。
兄上の母方の侯爵家と兄上の婚約者である目障りな王女だ。
兄上の祖父母にあたる人物はもう既に亡くなっているが…シスレー侯爵家は歴史の長い名家なだけあって、強力な後ろ盾だ。
庶子の私には後ろ盾がない、それを婚約者で補うべきだと考えていた私は偶然行った社交の場でとある少女に出会った。
彼女の名前はエレノア・ミリナス、高名なミリナス侯爵家の令嬢だった。
私は神など信じていないが、もしいるとするのであれば兄上は嫌われているのかもしれない。
何故なら兄上の後見であるシスレー家の現当主であり兄上の伯父であるシスレー侯爵はミリナス家現当主の妹を正妻として迎えていたのだ。
エレノアは兄上を陥れたい私にとってこれ以上ない婚約者だった。
無駄に正義感の強い令嬢の庇護欲をそそって騙すのは簡単だった。
庶子と簡単に婚約を結ばせてはくれないかと不安になったこともあるが、それも末っ子であるエレノアの強い押しにミリナス侯爵が折れてくれた。
「エレノアをたのむぞ。」
「はい、もちろんです。」
ミリナス侯爵自身にはそこまで庶子への差別がないことに驚きはしたが、親が親なら子も子という言葉を思い出して少し納得してしまった。
ミリナス侯爵に涙を浮かべながら肩を叩かれたところで、利用することに申し訳ない気持ちはさらさらなかったが。
とにかくこれで兄上の生まれの後見は確かなものではなくなった。
次に王女の排除…といきたいところだが、それは現実問題中々難しかった。
王家の人間だ。下手に手出しはできないし、唆してどうにかなるような相手じゃない。
そこで私はこの国の王家の立場や仕組みを利用することにした。
いや、正しくは学園という場とその中にいる迷える子羊達を利用したというのかもしれない。
「兄上、申し訳ありません。」
貴族のルールから外れ、それを兄上に強く咎められる度にそう言ってうつむけば愚かな子羊達は何も考えず兄上を悪者のように扱う。
そして当たり前のように兄上を庇う王女まで悪者扱いされるようになってきた。
私にとって世間知らずな貴族の子供というのはとても扱いやすいものだった。
騎士団長の息子、宰相の息子、神官長の息子を始めとした貴族の子息子女達は簡単に理想論に酔ってくれた。
身分制がそんなに大切なのか、なんて大切に決まっている。
実力主義も悪くはないだろうが、今この国に調和や秩序をもたらしているのは身分制度だ。
何より学園にいる生徒達がその身分に守られているのに、そんなことにすら気付けないなんて。
まぁ兄上を陥れる為ならそんな理想論を語るのも悪くない。
私は心で周囲を嘲笑しながら、顔では実力があるのに身分で無下に扱われる健気な庶子を演じ続けた。
そうすれば兄上は必ず私に厳しい言葉を投げかけてくる。後はもう周りが勝手に動いてくれた。
特にエレノアは婚約者だからと気負っているのか知らないが、兄上は勿論、王女に反論することだってあった。
この無謀さは学園だからこそだろう。
私は王女とエレノア達が言い争っている背後でほくそ笑んだ。
もちろん、私を気にくわない貴族もいた。
いわゆる、保守的な貴族だ。
アイツらは揃って小賢しく、周囲にバレないよう私に色々仕掛ける。
教科書や持ち物がいつの間に割かれていたり燃やされていることなんて日常茶飯事だ。
私が学園で寮生活をしているのをいいことに、暗殺者を送ってきたこともある。
まぁすべて返り討ちにしているが。
今日も自室に戻ると愚かな保守貴族の子息が人の部屋に勝手に入り、私の机の前で固まって動けなくなっていた。
散らばった本を見て、目の前の男の目的を察する。
「流石に私も一々持ち物を修復したりかけられた変な魔法を解くのが面倒なんだ。
だからトラップを仕掛けてあるんだが…見事にはまってるねぇ。」
「き、きさまっ…私はナルシスティア伯爵家の子だぞ!
庶子のお前より身分が高いんだ!」
そう言いながら身体は動かず転がっている男。
なんて滑稽なんだろう…身分制度は調和や秩序をもたらすと同時に、傲慢さをもたらすこともある。
傲慢さにも種類があるが…ただの傲慢さは総じて人々を不愉快にする。
だから甘い理想論がまかり通ってしまうんだよなぁ、と口元に笑みを浮かべた。
私の表情を見て勝手に怯え始めた男は必死に言い訳し始める。
しかしその言い訳は私の地雷を踏むものだった。
「ち、ちがうんだっ!これは全部ウィルノー様の指示で…」
「兄上の責任、ね…。
兄上は確かに私が嫌いだけど他人を使えるほど器用でもないんだ。
保守派はそんなことも知らないのか?
さて、嘘つきをどうやって調理しようかな。」
保守的な貴族はどうして兄上の陰に隠れて悪さをするかなぁ?
まぁ私としては兄上の評判を勝手に下げてくれてありがたいけど…兄上の澱んだ瞳を想像して思わず笑みを浮かべてしまう。
私の様子に男が絶望した表情をするのを見て、私はこの男に絶望されても意味ないんだけどなと急に冷めた気持ちになってしまった。
「ま、兄上を堕とすのは私の役目だから君は二度と何もしないで。」
そういって使役魔法をかけて追い出す。
男は無表情になって大人しく部屋から出ていった。
明日にでも自主退学するだろう。
私を後継者にしたくない保守派だが、何故か表立って兄上の味方をすることはない。
その理由は簡単だ、自らの身を滅ぼしたくないから。
地位も安定しておらず、私を憎む感情を制御しきれない兄上は時限爆弾のようなもの。
私を気に入らない保守派は多いが、兄上を気に入っている保守派はいない。
私のおかげさまで沢山の人々の嫌われ者になった兄上の味方をしようだなんて人はまずいないだろう。
あの王女以外は。
兄上の変化についていけず離れていった人は多かった。
元々の兄上は優しくて真っ直ぐな人だったこともあり、そこそこ人望のある人だったと思う。
だからこそ、無性にイラつく。
堕とすところまで堕として真っ黒に染めてやりたい。
なのに、肝心な時はいつだってあの王女が邪魔をする。
あの王女だけは何があっても兄上の側を離れようとしない。
ふと、以前学園の中庭で偶然王女と二人きりになった時のことを思い出した。
その日、中庭の近くで生徒が王女の悪口を言っているのが聞こえていた。
なのに王女が平然としているのを見て、私は思わず疑問を投げかけてしまったのだ。
「アリスティア王女殿下、何故傷ついてまで兄上の側に居続けるのですか。」
「まぁ、不躾ね。ついに隠しもしなくなったのかしら。
でもいいわ、私今とても愉快な気分ですの。
答えは単純明快でしてよ、私がウィルノー様を愛しているからに他ありませんわ。」
愛しているから…?理解できない返答に戸惑う。
その様子を見た王女は扇の下でクスッと笑った。
「貴方に理解できなくても仕方ありませんわ。
きっと、愛とは縁遠かったのでしょうから。
簡単に言えば、私、ウィルノー様に夢中で仕方ないのです。
まぁそれはカイス様も形は違えど同じようですわね。」
そう言ってクスクス笑うのを見てイラッとする。
私が兄上に夢中とは、甚だしい勘違いだ。
私はあの人が大嫌いなのであって、夢中などという綺麗な言葉ではまとめられない。
感情的になった私は普段なら乗らない手口に思わず乗って反論してしまった。
「私は兄上に興味などありません。
ただ、私は…」
私は、兄上に私と同じところまで堕ちてきて欲しいだけだ。
だってあんな歪みのない真っ直ぐな瞳を向けられたら、こっちが惨めな気持ちになるじゃないか。
私は不幸ではなかったはずだ。
同じ父親の子のはずなのに、どうして兄上だけがそんな真っ直ぐなんだ。
そんなの、ずるいじゃないか。
心の中で自分でも思っていなかった本心が漏れ出す。
でも王女だって、私と同じはずだ。
王女の瞳の奥には私と同じ澱みが見える時がある。
なのに何故、兄上を陥れないでいられるのか。
何故自分が傷ついてまで兄上を支え、その瞳の光を灯し続けようとするのか、私には分からない。
「あら、私はカイス様とは違いましてよ。
かつては同じだったかもしれませんけれど、私は幼い時ウィルノー様が光を灯してくださったから…光のない貴方とは決定的に違いますわ。
勘違いしないでくださいませ。」
そう言った王女の瞳にはたしかに揺るぎない光が見えた。
二人の過去に何があったのかはわからないが、それが今私の前に大きな障壁となって立ち塞がっているのは確かだ。
あぁ、なんで兄上もこの女も私をイライラさせるんだ。
何故二人を見て私がこんな気持ちになるんだ。
「貴方もいい加減、変なこだわりは捨てるべきではなくて?
まぁ、このわだかまりは簡単にとけはしないでしょうけど…なんにせよ、私がウィルノー様のお側を離れることはありませんわ。
期待なさらないでくださいね?」
では、ごきげんよう。そう言って立ち去っていく王女の後ろ姿を見送る。
余裕ぶっていられるのも今だけだ、王女もかなり切羽詰まっているはず。
数ヶ月後の卒業パーティーで私達兄弟の未来は決まる。
父もその結果を見定めてから後継者を決断するのだろう。
兄上の評判は下げるだけ下げてきたし、卒業パーティーでも火をつけるつもりだが、あの王女がいる限りどうなるかはわからない。
あと少しなんだ…歯痒くて王女が消えた先を睨む。
「カイス様、次の授業が始まりますわ。
行きましょう…あの、何かありましたか?」
その直後、背後からエレノアの声が聞こえた。
「なんでもないよ、行こうかエレノア。」
私は即座に切り替え、エレノアに笑顔を向けた。
もし兄上が後継者から降ろされて、兄上とあの王女が失脚したら私はどうするだろうか。
優秀でありながら身分に阻まれつつも無事後継者となった庶子を演じ続けるのだろうか。
いや、選択肢なんてない。
この方法を選んだ以上、私はこの道を進み続けるしかないのだ。
兄上の暗く澱んだ瞳を見た時、長年のイラつきやもやもやとした感情がスッキリするはずだと信じて、私はこれからも演じ続ける。
騙すことへの罪悪感はない。
婚約者も友人も、全ては兄上を堕とす道具に過ぎないのだから。
結局皆、最初から私とは違うのだ。
「兄上、私は貴方が大嫌いだ。」
澄んだ瞳を穢したくて、光を失わせたくて仕方がない。
それが虚しいことなのだと、どこかで気がついているのに。