マイノリティですもの。誰に言ったらいいか、分からないものね。
昔、それこそ小学校低学年くらいまでは当たり前のように自分のことを名前で呼んでいた。
しかし大きくなるにつれて人前で自分を名前で呼ぶのが恥ずかしいことだと知って、「私」と呼ぶようになった。
自分であって自分じゃない。唯一自分を示すものではなく周りに溶け込んでしまった自分。周りに混ぜられて隠されてしまった、そんな感覚だった。個人として見られなくなった瞬間だ、と思う。
やっぱり「私」に違和感はあって、家ではしばらく自分のことは名前で呼んでいた。
だがやはり言い慣れはあるもので、家で自分を名前で呼んでいると、つい癖で外でも呼んでしまうようになる。
今更家で「私」と呼び始めるには恥ずかしくて、うっかりを隠せるようギリギリ「私」に寄せて、家では「わし」と呼ぶようになった。
ようやく「私」がいい慣れてきた高校生、ふと気付いた。何も自分を示すのは「私」だけじゃない。男の子はみんな「俺」と呼んでいる。別に「私」も「俺」と呼んだっていいのではないか。
いざ口に出すと、思っていたよりしっくり来た。呼びやすい。
しかしそれは周りからすれば違和感であり、受け付けられないものだった。
高校を出て2年、悩みつつも「私」と呼び続け、気が立ったり興奮すると「俺」が出るような状態にあったものが、今では日常の中で「俺」が出るようになった。
自分はか弱い女なんかじゃない、と心のどこかで思っていたものが零れ始めているように思える。
単なる言い慣れであれば「私」が強くても良いだろうが、私の中では「私」も「俺」もしっくりくる。自分はどちらで自分を示したいのか、自分でも感じるこの違和感は拭えない。
他人からすれば『女の子が自分のことを「俺」と呼ぶなんて』という違和感だ。これは実際母親にも言われたし、「気持ち悪い」とまで言われた。
自分からすれば『女ではあるが、果たして自分は本当に女なのであろうか?』
一人称で悩んだ高校生の時、同時に性についても悩んでいた。それまでは普通に女の子として生きていた。が、私の恋愛対象は異性だけでなく、同性にも恋心を抱いていた。
どちらも好きになる私は一体どちらの性なのだろうか。
髪も短かったため、メンズの大きめの服を選べば自然と中性的な見た目になった。
そんな曖昧で、周りからつつかれるとすぐ崩れて爆発してしまうような脆い感情だからこそ隠してきたし、言える人がいない辛さが自分にどんどん負荷をかけた。正直ずっと苦しかった。
きっと自分のように、同じことでなくても悩んでいる人はいると思う。きっと、誰にも話せず抱えて苦しんでいる人がいると思う。
信頼している人に話して嫌われてしまったら。そんなことも考える。
話してみれば楽になる、なんて確証はない。
だからこそ、似たような境遇の人を見つけるのが良いと言いたい。
抱え込まないで欲しい。苦しみを軽くしたい。
今、これを呼んでいる人に投げかけてはいるけれど、実は同時に自分自身に向けても投げかけている。
助けて、なんて誰に言ったらいいか、分からないものね。
私の何気ない呟きにも関わらず、ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分のように、ふわふわっと悩んでいる方の重荷が少しでも軽くなりますように、願っております。
また世間から認められなくてもいい、蔑まれなくなれば良いと思っています。
どうかこの世の中が少しずつ変わっていきますように。