2.公爵令嬢の優雅な日々
卒業パーティで学園を卒業した私は、手持ち無沙汰であった。本当ならば王子との結婚に向け、王族にふさわしい女性になるべく花嫁修行を詰む手筈だったのに、なにしろ婚約自体が流れたのだから。
父と母は社交界にあらぬ噂が流れないよう、あちこちで事実を嫌味なく言いふらしているという。私がまいた種でもあるのだけど、「いない方が話しやすい」と、自宅待機を命じられていた。「冤罪で婚約破棄され、傷心の令嬢」を演じているということになる。
「ねえ、次はなにしてあそぶ?」
「リアンはなにがしたいの?」
「ぎゅーごっこするー」
リアンがしがみつき、胸元に顔を埋めてくる。学園付きの寮に入っていて、週末しか帰ってこなかった私が、ずっと家に居ることを何より喜んだのは、5歳になるリアンだった。来年の入学に向け、家庭教師はついているものの、毎日子供が自分ひとりで寂しかったらしい。嬉しいことにリアンにはだいぶ好かれているので、朝から両親の帰宅まで、隙あらばこんな風に遊んでばかりいる。
「おふたりは、本当に仲がよろしいですね」
微笑みかけてくるのは、私の侍女である、リサ。栗色のふわふわした髪を、ふたつに結んでいる。男爵家の三女で、幼い頃に侍女候補としてやってきて、一緒に育った。私にとっては姉のような存在だ。
リサは窓の外を指し示す。ガラス窓の向こうには青い空が広がっている。素晴らしい晴天だ。
「お茶はいかがですか。今日は晴れているので、庭に準備を済ませてあります」
「素敵!」
家にいて暇そうな私を気遣ってか、リサは最近、よくお茶を用意して庭に連れ出してくれる。庭は花がよく咲いていて、いい気晴らしになるのを知ってのことだろう。リサだけでなく、使用人は誰もが優しくて、有難い。皆素敵な人達だ。
今回、婚約破棄の一件で、皆には大変な心配をかけた。だから、これからはちゃんと幸せになって、皆を安心させたい。恩返しがしたい。ゲームの知識を取り戻した私の、それがこれからの行動目標だった。
何しろ私が関わるゲームのストーリーは、もう終わってしまったのだ。この後の自分の人生がどう展開するのかを、私は知らない。
私は、庭で優雅に飲む紅茶が好きだ。今日も自慢の庭師が手入れをした、美しい花々を見ながら、美味しい紅茶を飲む。美味しいお菓子を摘む。最高のひと時である。
そういえば、学園に通っていたときも、休日は、こうして家でお茶をしていた。華やかな令嬢は連日お茶会にパーティにと忙しくしているようだったが、キャサリンは王子の婚約者としての立場をわきまえて、社交は必要なものだけに留めて大人しくしていた。
そう。何度もゲームの知識と我が振る舞いを重ね合わせて、思っていたのだけれど。キャサリンって別に、悪女じゃないよね?
確かにゲームでは。「主人公に嫌がらせをした」ということになっていた。ただ、キャサリン自身が嫌がらせをしたことはない。自分を婚約者として選んでくれたベイルのことが好きで、王族に相応しくなれるよう、マナーを始めとした勉強を熱心にしていた。妙な人間関係を築いて迷惑をかけぬよう、その交友関係は非常に健全だった。親の権力を傘に着て傍若無人な振る舞いをすると迷惑がかかるから、そんなこともしない。
良識のある、立派な公爵令嬢だ。
その名に恥じぬよう、行動には今後も気をつけていかねばならないな、と思う。
「リサのお茶、おいしーね、おねーさま!」
「ほんとね」
「リアン様は、キャサリン様が戻っていらしてから、本当に毎日楽しそうですね」
「だっておねーさま、こんやくはきで、結婚しなくなったから!」
当事者の私が全く落ち込んでいないこともあってか、我が家では婚約破棄の話が、非常に前向きに、そして気軽に扱われる。よくわかっていないリアンですら、この調子だ。
「ぼく、ベイルさまの代わりに、おねえさまと結婚するんだよ」
「嬉しいけど、リアン、きょうだいは結婚できないのよ」
「できるもん!ぜったいするもん!」
リアンの目に薄く涙が浮く。私を好きすぎてこんなにむきになってくれるなんて、なんて愛おしい弟なんだろう。
こんなに可愛いのに、思春期になったら「姉貴はあっち行ってろ」とか言うようになるんだろうなあ……寂しい!けど、成長が楽しみ!
婚約破棄されたおかげで、リアンとの楽しい日々が続いているし、私は「傷心の乙女」ということになっているから、両親の許可が出るまで外には出られない。暫くは、家族サービスに努めることにしている。
「リアン様、座学の時間ですよ」
家庭教師のノアが、リアンを呼びに来る。その緑の髪が陽光にきらきらと輝き、にこ、と微笑んだ唇から白い歯が覗く。ノアは、私が3歳のときから執事兼家庭教師として家に雇われている。もう10年以上の付き合いになるわけだけれど、いつまでも若々しく、一向に衰えない。父といい母といいリアンといい、どうしてこうも私の周りには、見目麗しい人が多いのか。とは言え、攻略対象であるところのベイルは、それに輪をかけて美しかったのは確かだ。
そういえば、アレクシアがベイルのルートを進んだとしたら、他の攻略対象ってどうなっているんだろう?それも今となっては関係ない訳だけど、まあ……。
「やだ!おねえさまと一緒に遊ぶんだよ」
「キャサリン様は、リアン様と同い年のときには、それはそれは一生懸命に勉強していましたよ」
「そうなの?」
リアンの眼差しに、笑って誤魔化す。そうだったのかなあ……?何しろ10年以上前のことだ、よく覚えていない。
「ベイル様はよくお勉強が出来る方でしたから。学園に入学してからも、キャサリン様はベイル様に追いつこうと、お勉強をされていましたね」
「ベイルさまが……!じゃあぼくも、お勉強する!」
最近リアンは、ずいぶんとベイルへの対抗意識を燃やしている。ノアも手馴れたもので、リアンがわがままを言うと、良いようにベイルを引き合いに出してやる気を出させるのだ。
「リアンのご褒美になるように、私はお菓子を作るわ。だから、頑張ってね」
「わあ!頑張る!行ってきます!」
ノアに連れられ、リアンが屋敷に帰っていく。午前は座学、お昼を挟んで、午後は実技。ノアのいつもの時間割だ。入学前と言っても、公爵家の者として、他の学園生に遅れをとる訳にはいかない。だから、十二分過ぎるほどの予習を入学前に済ませている。私もそうだった。名門と呼ばれる貴族家は、どこもそうしているのだろう。
そして最近の私の日課といえば。リアンが勉強を始めると、リサと一緒に厨房へ向かう。その一角を間借りして、お菓子を作っているのだ。
貴族の女性が下働きのするような料理をする、というのは常識外れなのだけれど、どうしてか、「料理をしてもいいじゃない、喜んでくれるのなら」と思うようになった。実際、私の手が入ったお菓子をリアンも両親も喜んでくれるし、何より、新しいことができるようになるのは楽しい。
「ロディ、借りるわね」
「お嬢様。どうぞ、お使いください」
「ありがとう。いつも悪いわね」
礼を言うと、その立派な体躯に似合わない程軽やかな手さばきで包丁を操るロディは、一瞬、動きを止める。使用人が仕事をするのは当たり前だから、雇い人の側から礼を言うのは、余程のことだ。私も前は、あまり礼を言う習慣がなかったのだが、最近つい、口をついて出てしまう。お礼を言っても減るものではないし、互いに気分が良いから、いいと思う。
「キャサリン様は、最近お変わりになりましたね」
調理用のエプロンを身につけながら、リサが言う。私も自分のエプロンを着け、手を洗いながら、「そうかしら」と首を傾げて応えた。
「ええ。以前はもう少し、近寄りがたさがあったのですがーー最近は使用人のことも見てくださるから、身近に感じて嬉しいと言っている者は多いですよ」
「そう……以前はベイル様に似つかわしいよう、気を張っていたからかしら」
「そうかもしれませんね。でも、何となく、貴族の方々のお考えとも、少し違うような……?」
「たしかに、普通の貴族なら、料理をしようなんて考えもしないわね」
口には出さないものの、私はその変化は、ゲームの知識を得たときから生じている気がしている。あの時は流れ込んできた知識で精一杯で気づかなかったけれど、何となくあの後から、貴族の常識を「それはちょっとおかしいかも」と考える自分がいるのだ。何か、別の常識というか、理性というか、そんなものが自分の中に現れた気がする。
「今日は、昨日作ったスコーンと同じ生地に、果物の実や皮を混ぜ込んだものを作ります」
リサはレシピの書かれた紙を手にし、そう言う。作業台には、既に材料が並べられている。リサは侍女としての教育は受けてきたものの、料理の経験はあまりない。ロディが用意してくれたレシピと材料をもとに、彼の食事の準備を邪魔しないよう、隅でレシピ通りのお菓子を作っているわけだ。
厨房では、料理長のロディと、調理人のふたりがてきぱきとランチの支度をしている。調理人はハンナとアンナという、双子の女性だ。お揃いの黒髪に、お揃いのショートカットで、顔は瓜二つ。全然見分けがつかない。料理の良い匂いや、小気味好い調理器具の音をBGMに、私達の漂わせる微かな甘い匂いが混ざっていく。
粉を混ぜたり、こねたりすることに集中していると、時間はあっという間に過ぎていく。作っているのは毎日スコーンで、混ぜる具が違うだけだから、だんだん手馴れてきた。
「焼く前から、美味しそうに見えるわね」
「どんな風に完成するか、知っているとそう思えますね」
「普段食べているものがどうやって出来ているのか知るのがこんなに楽しいなんて、今まで思わなかったわ。ここにいると、いつもの美味しいランチがどう出来ているかも見ることができるし、飽きないのよ」
そうこうしているうちに生地が出来上がる。オーブンの加減は自分ではできないから、いつも焼く過程はロディ達に任せている。私達がしているお菓子作りは、おままごとのようなものだ。ここで焼いてもらったスコーンが、アフタヌーンティーの時間に、メニューのひとつとして出てくるのが恒例となっている。
「おねえさま!ぼくお勉強、頑張ったよー!」
厨房から出て、ランチのために食堂へ向かうと、午前の学習を終えたリアンがそう報告してくる。お日様のような笑顔がかわいい。よしよし、と労いの意を込めて頭を撫でてあげる。
毎日、料理をして、美味しい紅茶を飲んで、家族とゆっくり過ごす。気を張った学園生活から解放され、私は平和な日常を心から満喫していた。
ブックマークがされている!評価ptが入っている!こんなに嬉しいんですね。ありがとうございます。