信じ
たった一晩、されど一晩、妖界には凄腕の比連職員、階級にして銀翼の士道 矜持の死が広まっていた。
だがそれを全く信じていない男がいた。
「ありえねぇ」
「そんなに信じれないもんかい?一撃必殺の魔法なんてありふれてるだろう?」
隣のカモミールは矜持を知らないが故にそんなことを言う、しかしレントは断言できる。
「ありえない、あいつは色仕掛けでもなけりゃ不意打ちなんか食らうはずがない、色仕掛けでもなければ」
「確かに噂では化け物に不意打ち食らったって言われてるねえ、てゆーかそんなに色仕掛けに弱いの?」
「いや…セクシー系じゃなくて…なんというか優しいから子どもが泣いてて抱っこのお願いでもされたらホイホイっと…逆に言えばそれ以外ではない」
今矜持が死ねば遊びに行く約束を破る事にもなる、姉に妹、両親に彼女、自分を含めて友達が悲しむのをわかっていて矜持が化け物程度に負けるはずがない、この前の戦いでその力の底の見えなさを知るレントは何があってもそれを譲らない。
「にしてはチーム組んでるクオリアって人が緊急事態って事で指揮取ってるんだろ?完全とは言わなくてもある程度コントロールのできてる施設内の上位陣に協力要請がいってるんだしよ」
「それもだ、俺が呼ばれなかったのも気になる、戦闘なら確実に役に立つってのに…」
「そこは普通にコントロールができてないからでいいだろ…嫌ならさっさと先に進まにゃならんね」
「うぐ…でも俺これ凄い苦手なんだけど…元からできねーよ…」
「それをやってこそってもんでしょーよ」
レントとカモミール、そしてその他幾人かが取り組んでいるのは型抜き、遊んでいるように見えて立派な修行だ。
パキンと軽い音を立ててまたもそのお菓子の板が割れる。
「くっそ!絶対さっさとコントロール完璧にしてみんなの目を覚まさせてやるからな!」
やる気に燃えるレントは余計にミスを連発する。
「レントくん焦るねー、さっき戦闘が得意って言ってたけどそんなんで大丈夫なの?一点にのめり込むタイプは一対一はともかく多数を相手にすると大変でしょ」
「一対多なんて一対一の連続じゃないのか?ぶっ飛ばせばおまけでもう何人か倒せたりするけど」
「そのおまけを常に狙ったり一対一を作り出したり同士討ちさせたりするのがお兄さん達だからね、視野を変えて出来る事は全部やって、最善の結果のためにちょっと汚い手だって使うのさ。
まあなんというか、終わりよければ全て良し、なんでもありで結果を出せって事だよ」
「なんでもあり…なんでもありか…」
「そう、例えばレントくんが今自身を戦闘を強くする事しか考えてない『強化』を思考に使えば集中力が上がったりするかも、なんてね」
「……っ!やってみる!」
凄い事を聞いた!という風に顔を輝かせてから型抜きに取り掛かった瞬間、レントの雰囲気が凪いだ。
先ほどまで苦戦していた柄を手早く抜き終えて次の柄へと移る、さらにつぎの柄へ
既に言葉が届く雰囲気でも無くなっていた。
「すごいなぁ…やっぱり若い子は…」
まだまだ25歳と若い部類に入るカモミールだが自分の限界なんて見えている、だからこそどこまでも突っ走ることのできる若さが羨ましくなった。
士道 矜持の死をもって妖界にさえも都市伝説の恐怖は伝わった。
「素材はできた、あとは手順を踏むだけだ。籠の中の鳥が出す時が来た、二度と開ける事のない夜を絶望を『夜明けの晩』を呼び出すんだ」
矜持が死んだ事で指揮体系が変わった比連の支部、その中の作戦室に一人たたずむその誰かの声を聞くものはいない、もしだれかが聞いていれば悪事を為そうとしているのがわかっただろう。
それがこの世界の者ならば夜明けの晩の意味を察する者もいただろう。
しかしながら悪というのは常に潜んでいるものである、そして気づいた時には手遅れなものだ、それを最後に颯爽と現れて打ち砕く理不尽が世界を照らしていなけらばならない。
部屋に慌ただしいノックの音が飛び込んでくる。
「どうぞ」
「クオリアさん!妖界…里の方からも都市伝説が!」
それは新たに加わったある程度力をコントロールできる施設の人間、先ほどまで作戦室で一人言を言っていた口は弧を描く、それを両手を組んだ下に隠しながら言葉を紡ぐ。
「緊急事態につき作戦行動中の全員をここに集めて、専門家である朱さんを連れて私が対処にあたります」
「集めるのですか?それでは被害が…」
「ええ、集めます、それで問題ありません」
「了解です!」
報告に来ていた職員が来た時と同じように慌ただしく去って行くと隠していた弧を描く口を露わにし背伸びをする、そして確かな足取りで参考人として残ってもらっている朱のもとへと足を進めながら、確かにクオリアと呼ばれたその人はまたも独り言を残して行く。
「時間がないから早く終わらせないと…」
と