I Am Easy to Find
身を切る寒さに、私は目を覚ました。
――生きている!?
それ以上考えるには地面はあまりに冷たく硬く、反射的に跳ね起きると、私は一糸まとわぬ姿である。
「え?」
剥き出しの胸に目をやると、拳銃で撃たれた傷も、電撃にやられた痕も、なにもかもが消えている。
「なんだ、これは……??」
驚くべきことは他にもあった。
服以前に、“街”そのものがなくなっていた。
見渡すと一面、瓦礫の砂丘、不毛の荒野とでも言おうか、巨人に踏み荒らされたかのように、すべてが破壊しつくされている。あちこちで煙が上がり、金属やコンクリート、ガラスやプラスチックなどが崩れて融けて固まっている。地平線まで続くスクラップの集積。
そんななか唯一原型を残していたのは、街の中心に建っていたあの巨大な塔である。窓はすべて砕け、骨組みは歪み鉄骨が剥き出しで蜂の巣の輪切りみたくなってはいるが、他の建物がすべて消失しているため、嫌でも目立っていた。
そして塔からの距離を考えると、ここは私が死んだ路地と考えて間違いなかった。
――なにがどうなっている?
私は今一度首を捻った。わからない。そもそもわからないことだらけだった。
私は誰なのか? なにをしてきたのか? 私を殺したあの女は誰だ? 私の過去をなぜ知っている? この街になにが起きた?
なにひとつわからない。
しかし自分が覚醒して、生きていることに間違いはなかった。焦げくさい空気を吸って吐くと、冷気に胸が痛んだし、心臓は高らかに脈打っていた。
かえって、これまでにない活力すらあった。
一度死んだはずだというのに、奇妙なほど不安はなく、喉のつかえがとれたような、こわばる関節に油をさしたような、程よく弛緩した感じがあった。
これは街の人々も同じようだった。
ノームの女性。コボルトの少年。ダークエルフの幼女。
周囲では私と同じく裸の人々が佇んでいたり、瓦礫の中からなにかを探し出そうとしていた。皆戸惑った様子ではあるものの、負傷しているわけでも、ましてや死亡しているわけでもなかった。その表情は大破壊の後とは思えないほど穏やかで、焦燥や絶望などは見てとれなかった。
私は彼らに話しかけた。が、状況を理解しているものはいなかった。誰もが街に起こったカタストロフを覚えておらず、私同様、見当識を失っているものすら見受けられた。
だが皆、口を揃えてこう言うのだ。
「私は死んで、再び生き返った」
――おかしい。こんなことは常識的にありえない。
私は瓦礫を駆け上がり、見晴らしのよい高台へと移動する。
やはり例の塔以外、どこまでも無限の荒野が広がっている。歪んだ鉄の看板。土砂の塊。舗装道路だったと思われるもの。公園だったと思われる場所。なのに死体だけはない。一体たりともない。
近くの谷間を、エルフたちがぞろぞろと連なって歩いていく。その反対側では、溶け切ったモニュメントのそばにドワーフたちが集まっている。
この街は間違いなく死んでいる。だけど、住民たちは生きている。
奇跡としか言いようがないそんな矛盾が、いよいよ実感として込み上げてきて、私は泣きそうになった。これではまるで、最後の審判じゃないか?
――ん? 最後の審判ってなんだ?
わからない。わからないけど、とにかくあの女を探さないと。
私は寒さに粟立つ皮膚をさすりながら歩きだす。
私が生きているのであれば、絶対にあの女だって生きている。私の過去を知る彼女なら、街になにが起こったのかだって知っているに違いない。
ボロボロと崩れる廃物の谷を下り、まだ熱さの残る金属の山に手をかけ上る。
街には本当になにもなかった。
時折、辛うじて廃墟と呼べるものが散見されるくらいであった。コンクリートの集積と化したビル。マーブル模様の鉄塊となった自動車らしきもの。崩落した高速道路。溶けてむき出しになったパイプからは、どくどくと汚水が噴き出している。
あれだけの大都市が破壊しつくされ、目を覆わんばかりであるが、やはり悲しい気持ちにはなれなかった。
むしろ、のどかな高原を歩いているかのような気分だった。
雲ひとつない快晴だった。波のない海のように、遠く透き通るかのようだった。徐々にのぼり始めた太陽が、冷たい身体をほのかに暖める。爽やかな青色のキャンバスに白い鳥の群れが見える。そのさらに上、天高くに扉のようなものが見える。あれはなんだろう?
とある傾斜を登ってみると、ちょうどその谷のところが広い窪地となっていて、大勢の人々が集まっていた。彼らは窪地の中央に積み上げられたゴミを焚き木にして、その周囲を取り囲んでいた。
私は暖かさに引き寄せられて、そちら向かって下りていく。
狼耳の女。トカゲ頭の男。グラデーションカラーのボブカットをした人間の女の子。
そこに居る人々は多様性に満ちていた。
種族こそ違っても、皆穏やかに微笑んで、ピースフルな雰囲気が漂っていた。お互いに身の上を語り合い、おそらくこの災害以前は他人だった者同士、裸で打ち解けあっていた。私もここで少しゆっくりしたくなる。だけど、
私はそんな人々の輪をかき分け、広場の中心を目指す。目を凝らして周囲を見渡すも、あの女は見当たらない。
オーガの青年。天使の羽が生えた少女。目が冴えるような赤髪の女の子が、にっこりとこちらに笑いかける。その耳には無数のピアス。
けれど、
あの女だけはいないのだ。
焚き木の前に踊り出ると、体の前だけがぐわっと熱くなった。パチパチと燃え上がる炎の向こう側には、
白いネコ。
――ネコ!?
焚き木の真裏に見覚えのある白いネコがいた。
即座にあのネコだと直感した。あんな大きなネコ、そうそう見かけるものじゃない。
私は焚き木を横切りネコに駆け寄った。
目が合うと、ネコは、にゃあ、と鳴いた。
ひざまずき白い毛並みに触れると、指先まで凍りついた手に獣の体温を直に感じた。自然と、目から涙がこぼれ出していた。
ネコはネコらしくうっとおしそうな顔をしたが、私はその毛足の長い胴体に顔を埋めた。白さに反して煤臭かったが、とても暖かかった。
私が顔を押し付ければ押し付けるほど、ネコは身をよじってゴロゴロ唸る。なぜ私はこのネコの執着するのか、なぜ涙が止まらないのか、まったくわからない。
それでも、これまでのすべてを肯定された気がした。おそらく自分は、こうするために生まれてきたのだと思った。
どのくらいそうしていただろう。
白いネコは逃げることだってできたはずなのに、長く私に付き合ってくれた。
私がネコから顔を上げたとき、
「見ろ、メシアだ!」
群衆のひとりが例の塔を指差し叫んだ。
私もそちらへと視線を向ける。
太陽がちょうど塔の真裏にあった。その穏やかな薄黄色の光線は、ボロボロの骨組みに乱反射してダイアモンドのように輝いていた。そんな塔の頂上で、複数の人影がおぼろげに揺らいでいた。
「ついに再生がなされた」
「セントラルタワーにメシアはおられる」
「メシアはこの世界を粛清された。だが希望も残してくださった」
皆が口々に言葉を発する。その意味はわからない。が、彼らの抱く感情は痛いほどにわかる。胸が震える。おのずと口元が緩んでくる。
「メシア様!」
人々は次々に塔へ向かって歩き始める。
ネコもまた私の手から離れ、その流れにのって人と人の間へと消えていく。
「待って!」
後を追って私も駆け出すも、段差に蹴躓き出鼻をくじかれる。
「にゃーん」
ネコは瓦礫から瓦礫へと軽やかに飛び移り、どんどん先に進んでいく。しかし獣と違って、裸足の足では瓦礫を駆けるのは難しい。
「メシア様!」
「彼女こそが希望だ!」
右から左から、山から谷から、塔へと向かう人々が合流してくる。
九尾の尻尾を持つ女。パンダ頭の少年。アンドロイドの美女。
筋骨隆々な男がネコにそっと近づくと、優しく手を回して抱きあげる。ネコも嫌がらず身を委ね、男の広い歩幅に私との距離がいっそう開いていく。
「待って!」
私の声は周囲のざわめきに押し流される。塔へと近づくにつれ人の数は多くなり、どうしようもなく渋滞して、私は押され流され、取り残される。一方、ネコを抱えた男は力強く人を押しのけ、もはや追いつくことは難しい。
――もう二度とあのネコに会えないかもしれない。
ふいにそんな思いが頭をよぎった。同時に、ネコごときに必死になってどうするのだ? そうも考えると、頭の中がすっと覚めていく感じがした。
――記憶が戻らなくても、別にいいではないか? あの女に会えなくたって……
次いで浮かび上がった考えに、ついに私は立ち止まる。
なぜだかわからないが、あのネコに触れることができただけで、これ以上ないほど心が満たされていた。ひょっとすると、本当にそれだけが私の望みだったのかもしれなかった。
記憶などなくても、こうやって生きているだけで、十分なのではないだろうか。なにもなくたって、一からやり直せばいいじゃないか。
エルフ。オーク。ゴブリン。
流れから外れ、大きな瓦礫に腰を下ろした私のそばを、多くの人々が通過していく。
たとえすべてを失っても、誰一人死ぬことはない。そんな世界が手放しで素晴らしいと思えた。あぁ、そういえば、私にはあの水の能力もあったっけ。
冷たい、しかし心地よい風が吹き抜けた。太陽はいよいよ高くなり、塔越しの光は虹のように層状にわかれ灰色の街を照らしだし、鳥たちが祝福の歌を歌っていた。
そして、私はネコを見失った。




