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茶番に審判を

「なんでセルフィーがここにおんねん!」

 閻魔が叫んだ。


 仰向けのナナトと、彼のそばにひざまずくセルフィーが天を見上げた。


 その瞬間、残ったワイバーンがすべての爆弾を同時に投下した。エアロバーストが止まった今こそ、絶好のタイミングだった。


「エアッ――」

 当然、ナナトは捨て身のエアロバーストを唱えようとする。


 しかし、それをセルフィーが妨げた。


 彼女は身をかがめ、ナナトの唇に口づけていた。


「え?」


 思わぬ出来事に硬直するナナトの顔から、セルフィーがゆっくりと離れると、彼女の黒髪は一瞬のうちにピンク色に戻っている。


「おい自分ら、なにしとんねん!」


 閻魔が叫び、数本のミサイルがタワーをかすめ落ちていく。それらを見ることもなく、


「エレクトリックボルト」


 と、セルフィーは小さくつぶやいた。


 閃光はあがらなかった。むしろ、街の明かりがまたたく間に立ち消えた。

 爆発音もなかった。ただ数秒後、アスファルトに弾頭が突き刺さる音がした。


 これにはナナトも目を丸くした。


「……なにをしたんだ?」


「なにって」

 セルフィーは薄汚れた爪で、ピンクの髪をかきあげ答えた。

「エレクトリックボルトで爆弾の電子制御をいじったんだけど」


「そんなのあり?」


「ありでしょ。だってこの世界は私が作ったんだもん」


 セルフィーは笑った。白い歯を見せ笑って、ナナトの胸に煤けた顔を押し付けた。


「ちょ、おまっ!」


 満身創痍のナナトは顔を赤く染めて――









 ……と、いうような一部始終をじっと眺めている者たちがいた。


 明朗、快慶、チーちゃん、Qの四人である。


 死して魂だけの存在となった彼らはナナトたちを取り囲むように浮遊して、この見世物を特等席から観戦していた。


 肉体を持たぬ彼らはお互いがお互いを視認できるわけでも、コミニュケーションを取れるわけでもなかった。しかし奇しくも全員が、ナナトがセルフィーを抱き寄せた瞬間、「なんだこの茶番は?」と同時に思った。


 なおピラティスは数多のNPC(街の住人)たち同様、魂を形成できるほどの自我がなく、観客に含まれてはいなかったが、記憶を持ってこの場にいれば同じように思ったことだろう。


「詳しくは後から聞くわ」

 そう言う閻魔を、茹でダコみたく真っ赤な顔のナナトが上空へと押し上げる。セルフィーにエネルギーを吸われた「エアロバースト」の反動は先より軽く、今度は彼女に抱えられるかたちで、彼は床ごと下のフロアへと落下する。


「エレクトリックボルト!」


 エアロバーストによる上昇が収まったところで、すかさずセルフィーがワイバーンへ雷槌を放ち、閻魔がそれらを叩き切る。丁寧かつスピーディーに、三人で残党を処理していく。


 明朗は思った。

 彼らの力があれば、神に一矢報いることができるだろう。だが俺は結局、快慶を助けられなかった。自らの正義を貫けなかった。


 快慶は思った。

 やっぱナナトってキモ。ていうかこうやって見ると、セルフィーだって超ブスね。私のほうがよっぽどカワイイわ。


 チーちゃんは思った。

 こいつらだけずるい。私だけ死ぬなんてありえない。私だけ楽しくないなんてありえない。絶対おかしい。絶対間違ってる。


 閻魔によって、みるみるワイバーンが片付けられていく。


 ナナトたちは支え合って立ち上がり、そんな閻魔の戦いぶりを眺めながら、初々しいカップルよろしく手をつなぐ。彼らはもじもじと恥ずかしげに指を絡めたり、絡めなかったりして、たまに申し訳程度に魔法を撃って、閻魔を補助してますよという感じをアピールしていた。


 明朗は思った。

 死ね。


 快慶は思った。

 死ね。


 チーちゃんは思った。

 死ね。


 だが、三人はそう思っただけに過ぎなかった。思っただけで、何をするでもなく、ことの成り行きを注視していた。というのも、敵を巻き込まぬようキュアスフィアを撃たなかったナナトの自己犠牲や、彼を裏切らなかったセルフィーの言動には多少ロマンチックなところがあったし、また結末を見届けたいという出歯亀根性もなきにしもあらずだったからである。


 唯一そうしなかったのは、一般的な論理や価値観から逸脱しているQである。


 彼女は、


 要するに、この世界には“余白”があって、設定がはっきりしてない部分は、ナナトっちさんやセルフィーさんの好きなように改変できるわけですね。

 

 と、この世界の本質に気づき、


 そして、

 

 ならば改変不可能な不合理を引き起こしたい、と思った。つかの間の平穏を味わうふたりをもう一度混沌の底に叩き落としたい、と思った。


 Qはつまらぬ見世物から一人離脱して、ふわふわと上空へ浮遊していった。


 セルフィーの魔法の影響で、街の電源は完全に落ちていた。電気がなくても大して明るさが変わらないのは、そこかしこで火の手が上がっているからだ。吹雪は再び強くなって、どす黒い雲とのコントラストが不穏なムードを漂わせていた。


 一見ハッピーエンドっぽくなってはいるが、この世界はまだまだカオスに満ちている。Qはほっとした気持ちになるも、それを楽しむ肉体がないのがもどかしかった。


 さらに上昇していくと、バラバラになったワイバーンたちの断片が、カレー鍋に投入する野菜みたいにゴロゴロと振ってくる。


 その中央で踊るように刀を振り回す赤い女。


 ――この人が閻魔さんというのですね? 赤い髪が私とかぶってますねぇ、ってうわすごい、今のなんですか? へー、そこでスライドするんだ。あぁいいなぁ、速いし強いし巧いですねー。

 

 Qは悔しがった。


 ――私が閻魔さんと戦えないのって、おかしくないですか? このタイミングで戦えないとか、運が悪いにもほどがないですか?


 そりゃあセルフィーさんに殺された私が悪いのですけど、ちょっとくらいいいじゃないですか? 戦わせてくださいよ、そう思って、Qは勢いよく閻魔にぶつかるも、あっけなく跳ね返されて、気づいてはもらえない。


 ――困りましたねぇ。


 ついにすべてのワイバーンが斬り殺され、閻魔がナナトたちのもとへと落下し始める。


「キュアスフィア!」


 少しすると、下方からナナトの叫び声がして、閻魔の軽微なダメージが回復していく。


 ――まずいです。閻魔さんと戦えないどころか、世界に秩序が戻ってしまいます。


 Qは焦ったが、どうしようもなかった。打開策を探そうにも、肉体がなく世界に干渉できない以上、無為に漂うことしかできなかった。


 いつしかQの魂は、世界をつなぐ扉の前に到達していた。


 ――あれ? なんでしょうか?


 ふと、Qは気づいた。


 一体のワイバーンが紫の扉の中央で、爆弾をもったまま待機していた。


 それは天国から遣わされた最後のワイバーンであった。彼と彼を従える兵士たちは、仲間が皆殺しになるのを見て、タイミングを逃し躊躇していた。


 Qのないはずの目とワイバーンの黒目がちな瞳が、正面からかち合った。


 かつてネコが明朗の魂を見て怯えたように、自他の境界が人間より曖昧な動物たちは魂の輪郭を視認できる。当然ワイバーンだって可能だ。このことをQは即座に察した。


 Qはワイバーンに言った。

「ねぇワイバーンさん。そんなところに隠れてないで、一緒に閻魔さんと戦いましょう? 絶対楽しいですよ?」


 ワイバーンは大きく首を横に振った。もちろん、ワイバーンにQの声など聞こえないし、言葉の意味もわからない。ただ彼女の純粋な狂気が伝わっていた。


 Qは構わず続ける。

「あ、もしかして上の人になにか言われているのですか? いやいやワイバーンさん、こんなに大きくてかっこいい体があるのに、人なんて乗せてちゃダメですよ。命令されても楽しくなんてないでしょう? 本当は一人でのびのび戦いたい、そう思っているのでしょう?」


 ワイバーンは怯えた瞳でQの魂を凝視している。彼の背中に乗った複数の兵士たちも、何事かと戸惑っている。


 たしかにワイバーンは元来獰猛な動物である。好戦的でプライドも高く、膨大な量のエサを与えなければ使役するのは難しい。事実彼の仲間も、追い詰められると操縦士やスナイパーを振り落としたり、周囲に構わず炎を吐いたりしており、それゆえ、ワイバーン乗りは地獄上がりの下層民たちの仕事であった。


 ぶるぶると震えるワイバーンにQはゴリ押しした。


「えいっ!」


 唐突にその半開きの口内に侵入しようとしたのだ。


 当然、驚いたワイバーンは口を閉じてのけぞった。


 魂は固形物を通過できない。なのでQは黒く硬い鱗に衝突する。しかし、その形を変えることはできる。だからワイバーンの頭を包み込むように変形して、


「ねぇワイバーンさん。やっちゃいましょう。もっともっと、カオス、起こしちゃいましょう。エントロピー、拡散させちゃいましょう」


 Qはその耳元で囁いた。


「ひょっとして負けるかもって思ってます? でも、ワイバーンさんには最強の爆弾があるじゃないですか。それ、今ここで起動しちゃいましょう。核融合の仕組みって私よく知らないんですけど、起爆のタイミングはワイバーンさんがいじれるんでしょう?」


 語りながら楽しくなってきて、Qはくにゃくにゃその形を変えていく。耳の穴から、鼻の穴から、ワイバーンの体内に入り込んで、熱い内蔵のなかを飛び回る。


「カミカゼですよカミカゼ。というか核爆発、生で見てみたいと思いませんか? 世界がチリになるところ、最前線で眺めてみたくないですか? あ、眺める前にみんな死んじゃいますね。あはは、なら見えないか、あははは」


 どうやっても、ワイバーンにQの言葉は理解できない。ぼんやり白いなにかが全身にまとわりつき、体内に侵入したような気がするだけだ。


「ギュオオォォオーン!」


 ワイバーンのいななきに合わせ、その白いなにかは目玉の裏からにゅるりと這い出すと、顔の表面、首から胸、背中から羽根へと薄く広がり、包み巻き付いて、竜の全身を覆ってしまう。息が吸えない、というわけでは決してない。だがそのように錯覚させるには十分で、ワイバーンは空のど真ん中で溺れてしまう。


 激しい羽音が不規則に轟いた。


 Qを振り落とそうと、ワイバーンは爆弾を抱えたまま急旋回する。けれど無形の魂は離れない。ただ哀れな兵士たちだけが、扉の内外へと吹き飛ばされていく。


「あーいいですね。どんどん殺しましょう。楽しいでしょう? 楽しくないですか?」


 面白がったQがワイバーンを覆うのをやめて球体に戻ると、ワイバーンはここぞと息を切らす。息を吐くたび口から火を漏れ、巨大な体を震わせる。


「さぁさぁ先制攻撃、決めちゃいましょう。死んでも魂になるだけです。まだまだ遊べますよ」


 過呼吸気味なワイバーンの目は血走り、焦点が定まらずトロンとしている。その目をじっと見据えながら、Qは続ける。


「強いものが弱いものを屠ってなにが悪いのですか? 弱いものが強いものを屠ってなにが悪いのですか? ここは異世界ですよ。肉体なんて必要ですか? 必要ですね。必要ですから奪いましょう。持てるものから奪ってやりましょう。世界に火をつけましょう。爆発です。閻魔さんに殺されるより先に殺しちゃうんです。向こうが気づいていない今しかないんですよ? さぁ殺して、殺して、殺しつくしましょう」


 そして、Qは再びワイバーンの体内に侵入する。はらわたの底で、ワイバーンにささやき続ける。


「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」


 そして、


「おいまだ一匹残っとんで!」


 そんな閻魔の声を契機に、ワイバーンは発狂した。


 エアロバーストが放たれ閻魔が空へ急上昇すると同時に、ワイバーンが雄叫びをあげ力強く滑空する。その腕に抱かれたミサイルの内部で、緻密に配列された複数の起爆剤が同時に点火される。生じた衝撃波は中央のプルトニウムを均等に圧縮し、超臨界を引き起こす。中性子が吸収され、一気に核分裂の連鎖が生じ、大爆発。タワー直上に太陽のごとき火の玉が出現し、すべてが白一色で埋め尽くされる。


 これらはコンマ数秒の出来事であり、人の目で認識できるはずもなかった。しかしQの魂には、肉が溶け骨が蒸発するワイバーンの姿がはっきりと幻視できた。


 Qは真っ白な虚無の中で、失った顔を歪め笑った。


 ――いいですねぇ。これぞカオス。これぞ私が求めた世界。素晴らしい!


 そして、NPC(異世界)は消滅した。

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