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ファイナル・アンサー

 セルフィーが熊廣の唇から自らの唇を離すと同時に、熊廣は絶命した。

 

 こうして、防戦一方の戦いはあっけなく終了した。


 あっという間の出来事だった。


 エレクトリックボルトは雷と同じ理屈なため、車の中に入ってしまえば、地面をアースに電気を完全にガードできる。そのことに気づいた熊廣が車に入ったのがまずかった。


 そこに突然、ヘリが墜落してきたのだ。


 車を使うというアイデアは攻守ともに優れていたが、脱出に時間がかかる。しかもそれがヘリのジェットエンジンと超高容量リチウムイオン電池との誘爆となると……


 見渡すと、瓦礫だらけの道路に黒焦げの肉片が散乱していた。鼻がもげるほどの悪臭が漂い、消滅したはずの爆発音がいつまでも耳の奥で鳴り続けていた。


 そんな爆発でも死にきれなかった熊廣はさすがではあったが、おかげで助かった。


 ――本当に私は運が良かった。


 セルフィーは熊廣のなかば焦げた死体をもう一度眺めた。両足が焼きすぎた手羽先みたいでグロテスクだった。


 熊廣はピラティスよりもずっと俊敏で、パワフルで、容赦がなかった。しかも拳銃の銃弾は底をついていたし、ピラティスにほとんどの魔力を奪われていた。熊廣が乗り込んだのがデスラの電気自動車でなければ、間違いなく殺されていた。だけど一転、魔力の補充すらできたわけである。


 あまりにも上手くことが運びすぎだと思った。


 だからこそ、今セルフィーの胸を満たしているのは安堵ではなく孤独だった。熊廣の魂は天国でも地獄でもないこの世界を漂い続け、もう誰に観測されることもない。


 ――だけど、彼女と私でなにが違う?


 サイコキラーとはいえ、私を知る者がまた一人消えてしまった。これでもう、この世界にはナナトだけ。彼がいなくなれば、私は誰にも認められない。


 視界の端で、タワー上部がウェハースを握りつぶすがごとく崩壊する。


 数十メートルはあろうかという太く長い鉄骨がセルフィーが立つ通りに落下して、ブーツを介して背骨に衝撃が走る。ほどなく津波のように押し寄せた砂埃で、あっという間にすべてがホワイトアウトする。


 とっさに目を閉じ口を押さえるも、意味をなさない。埃は肺に入り込み、ただでさえ苦しい胸を締め付ける。刺すような痛みが角膜を襲い生理的な涙が溢れる。


 涙は拭っても拭ってもまるで止まらず、目を開けたところで、なにも見えなかった。


 パチパチと火花が爆ぜ、車と死体が燃える音。遠くから絶叫とクラクション、銃声までもが聞こえてくる。そのほかには死の臭い。それだけだ。


 ここは1942年のスターリングラードだ。

 ヒトラーの懲役は? 知らない。だけど地獄の彼は私ほど孤独じゃない。

 スターリンの懲役は? わからない。だけど彼はいまだ有名人だ。


 私にはもうナナトだけ。


 ナナト、と砂混じりの舌でつぶやくと、襟元がむずむず疼いて、ぼんやりと熱を帯びていく。


 ――この気持ちはなんなのか?


 恋? いや違う。恋などでは決してない。これは歪んた承認欲求。私は寂しさを紛らわせたいだけ。ただ利己的になっているだけ。


 だとしても……


 ふいに、脳まで貫くような閃光が来る。若干遅れて上空から、大地を揺さぶる爆発音がして、セルフィーはその場にしゃがみ込む。


 ここは後漢末期の中国だ。

 さすがに私も生まれてないけど、どうせここと大差ない。


 今度の爆発で砂埃が一掃されている。


 目の前に現れたのは雪のかわりにガラスが積もった交差点だ。哀れな住人たちが血を流し、信号機が倒壊し、瓦礫に埋もれた道路だ。重なり合って燃え上がる高級車だ。そして、幻聴だろうか? タワーの方から「エアロバースト」と叫ぶ声が聞こえた気がする。


 いや、幻聴ではない。

 

 顔をあげると、タワーの直上、分厚い雲にぽっかり丸い穴が開いている。ビルの上部が、そこから差し込む月明かりのスポットライトに輝いている。こんなことができるのはナナトだけ、ナナトは間違いなくあそこにいる。


「ナナト!」


 セルフィーは強く叫んで走り出す。


 炎で通れない通りを迂回し、細い路地を抜けて、一本隣の大通りへ。


 そこもまた戦場としか言いようがない。


 小奇麗なオフィスビルの窓は無残に割られ、商店が略奪を受けている。人々は戦塵から逃げ惑い、いたるところに炎と煙、血潮と死体。


 再び上空で爆発が起こり、まぶたを通して頭の裏まで閃光が染み入り、ほどなく消える。


 クラッシュした車を避けようとしたゴブリンを、突っ込んできた別の車が跳ね飛ばす。群衆は地下鉄の入口に殺到し、親とはぐれた子供が泣いている。


 ここは79年のポンペイだ。

 みんな死ぬ。だけど、こいつらの生き死なんてどうでもいい。


 セルフィーは構わず走る。


 すぐ目の前の交差点が炎上している。道を塞ぐ車の残骸が邪魔で、人の流れが詰まっている。悲鳴と怒号が聞こえる。またしても爆発。建物が倒壊する。街路樹が燃え尽きる。将棋倒しになった老人が踏みつけられ、骨が砕ける音が聞こえる。


 ここは紀元前3123年のソドムだ。ゴモラだ。

 親から散々聞かされた、人間の破壊と再生の歴史。そんなこと知ったことじゃない。私には関係ない。


 有象無象になんて承認されなくて構わない。


 セルフィーはタワー向かって走り続ける。だが路地からぐわっと溢れてきた避難民の群れに飲み込まれる。津波のように、どうしようもなく押し流されていく。


「ちょっとどいてっ!」


 そう叫んだところで、声は埋もれてしまう。


「おいどけ! なめてんのか?」

「邪魔なんだよ!」

「なんだこの女? 死ぬ気か!?」


 小突かれ殴られ膝を蹴りつけられる。よろめいて、倒れそうになる。


 ふと、ピラティスの紫の顔が、熊廣の焦げた足が脳裏をよぎる。このままじゃ、私だって誰に顧みられることなく死んでしまう。ナナトに見捨てられる。


「エレクトリックボルト!」


 セルフィーは両足を踏ん張り叫んだ。容赦ない電撃に周囲の数十人が派手に痙攣し失神した。


 静寂があった。


 誰もがセルフィーを見た。雪はやんでおり、炎と風の音だけが沈黙を埋めた。


「どけ」


 セルフィーは片手を上げて、すかさずもう一発群衆の中央へ魔法を放った。


 悲鳴の後、再び沈黙。


 ぞわぞわと、人々が通りの両脇に寄った。まるでモーゼが海を割るかのように、タワーまで一直線の道ができた。


「メシアだ」

 誰かがつぶやいた。

「メシアが来た」


「私はメシアなんかじゃない!」

 セルフィーは答えた。

「私はセルフィーだ!!」


 人の間をまっすぐ駆け抜け、再び爆発が起こったときには、群衆も消えた。

 後は瓦礫と剥き出しの鉄骨、街の残骸だけが残されていた。


 そうだ。ここはNPC(存在しない街)だ。

 そして、私の懲役は?


 ――急がないと。


 ここまで来ると、タワー上部に何匹もの黒い竜が群がっているのが見える。明らかに低くなったタワーの上空で、謎の赤い女がミサイルを切り落とす。さっきからの爆発がその女によるものとわかる。


 ――って、よく見たらあれって閻魔じゃん。なんで閻魔がここにいんの?


「ナナトッ! ナナトォォーー!!」


 口はもう勝手に開いて、彼の名前を発している。


 閻魔が出てくるなんてよっぽどだ。なにかとんでもないことが起ころうとしている。早くしないと、ナナトを失ってしまう。


 胸が激しく脈打っている。セルフィーは黒い髪を振り乱し、息を切らせ走る。皮膚の表面は冷たいのに身体の芯だけが妙に熱い。


 降り注ぐ瓦礫をすり抜けて、彼女はセントラルタワーへと辿り着く。巨大な鉄塊で塞がれた正面玄関に一瞬戸惑うが、地下からの入り口は生きていた。


 中に入ると真っ暗だった。


 地階だからというわけでなく、電源自体が落ちているようで、セルフィーはスマホを取り出すも、その程度の明かりでは心もとない。


 しかしエレベーターにエレクトリックボルトをブチ込むと、ちゃんと下に降りてきてくれる。当たり前だ。ここは私が作った世界なんだから。


 上部が倒壊している以上、さすがに最上階のボタンを押しても反応がなかったが、適当な階を選ぶと、エレベーターは上昇を始めた。


 セルフィーは壁に背を預け、大きく息を吐いた。


 エレベーターは高速だが、さすがに階数が階数だ。しばらく時間がかかるだろう。


 急に手持ち無沙汰になると、スマホを握る手、ネイルの汚れが目についた。彼女はスマホを上着のポケットにしまうと、代わりにネイルグルーを取り出し、欠けたネイルを整えることにした。


「うーん……」


 連戦の疲労で指先に力が入らない。手先が震えうまく接着できず、もどかしい。砂埃に汚れたせいもあって、ラインストーンがくっつかずキレそうになる。


 ナナトに会ったらなにを話そう。まずは謝らなくちゃ。それに……


 やっとストーンが固定できたと思ったら、突然ガクンと床が揺れて、アラームとともに、ドアが開き次第速やかに降りろとのアナウンスが鳴り響く。「82」の回数表示でエレベーターは停止し、強制的に扉が開いた。


「こんなところでっ」


 ひとりごちるも仕方ない。セルフィーが82階に降り立つと、やはりフロアの電気は消えている。


 だが、このビルの勝手はわかっている。セルフィーはエレクトリックボルトを駆使して、近くの非常階段へと駆け込んだ。


 中は当然真っ暗だった。


 ここは82階。上部が崩れているとしても、頂上までまだ100階近くあると考えると、胸が暗くなる。再び爆発があったのか、轟音が階段を振動させる。


 ――だけど、行くしかない。


 セルフィーは拳を握り、こみ上げてくるもやもやをぐっと飲み下す。一歩踏み出し膝を上げて、ただ階段を上ることに集中する。


 上へ。ただただ上へ。


 108、109、110。


 スマホの光がそんなフロア表示をぼんやりと映し出す。


 目に入る汗をぬぐう。額に張り付く前髪がうっとおしい。あれから爆発はなく、黒く塗りつぶされた筒の中を自分の呼吸音だけが反響していく。


 124、125、126。


 汗を吸って拘束着と化したコートを脱ぎ捨てる。ブーツも一緒に投げ捨てる。肺が破裂しそうだ。いやひょっとすると破裂しているのかもしれない。空気が足りなすぎる。闇が不安を増幅させる。考えなくていい考えを抑え込めなくなってくる。


 132、133、134。


 唐突にビルそのものが揺れ、バランスを崩したセルフィーは壁に手をつく。スマホが階段を転がり落ちていく。思わず拾おうとしたが、もはや必要ないことに気づき、前を向く。


 146、147、148。


 階数表示はもう見えないので、これはおおよそだ。


 膝も太もももふくらはぎも限界をとうに通り越して、身体は火の玉のようだった。ナナト、ナナト、ナナト! 彼女の心を支配するのはそれだけだった。異世界も天国も、なにもかもがどうでもよかった。階段を上っているようでいて、きらめく宇宙を浮遊している感覚。星々の瞬き、そのまばゆさは嘘じゃない。


 また爆発だ。明るい。上方からほのかな光が差込んでくる。


「ナナト!」


 155、156、157。


 フロア表示が薄っすらと見え始める。終わりが近い。

 セルフィーはラストスパートをかけた。


 160,161,162。


 そして、セルフィーはタワーの最上部へと飛び出した。


 ナナトが、いた。


 服は服の体をなさず、ほとんど裸同然で、血と汗と埃にまみれた男が、コンクリートにめり込み横たわっていた。


「ナナト!」


 セルフィーはナナトに駆け寄った。


「エレクトリックボルト!」


 大きな口を開け迫ってきたワイバーンを電撃魔法で撃ち落とす。ワイバーンはむき出しの鉄柱に激突し、動きを止める。


「……セルフィー」


 弱々しい声のナナトと目があった。視線がもつれてからまって頬が熱くなるのがわかった。


 この男、この男だけは、私を見ていてくれる。認めてくれる。


 足先から頭のてっぺんまで、ぐにゃぐにゃと輪郭を失いそうな高揚感を覚えながらセルフィーは叫んだ。


「ねぇナナト! 私のネイル見て!!」

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