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証人と承認

 明朗が降り立ったのは、現代的な街の一角だった。


 着地の衝撃はものすごかったが、意識を失うことはなく、また意識を失うわけにもいかなかった。

 雪がちらつくなか、彼は大きく身震いすると、ごしごしと本能的に目をこすった。


 以前よりやや広くなった視界に、変わり果てた自分の体が見える。


 白い毛に覆われた長い胴体、の割に短すぎる四本の足、その掌にはピンクの肉球。そして、図太い尻尾。


 どう見てもネコだった。俺は本当にネコになってしまっていた。 


 だが今は、


 ――快慶はどこだ?


 悲しんでいる時間などなかった。一刻も早く彼を助けなければ。真実を伝え、ふたりでここから逃げ出さなくては。


 ――でも、どこにいる? 


 明朗は目を見開いて、そのままフリーズしてしまう。


 神の話が本当なら、快慶はどこかで閻魔に監禁されているはずだ。


 上空から見たこの世界は大きく、今自分がいるこの街も相当である。なんの手がかりもなく探し出すのは不可能に等しい。


 四つ足を介して、アスファルトの冷気が這い上がる。明朗は小さく息を吐くと、長い毛を逆立て感覚を研ぎ澄まし、周囲の様子を探ってみる。


 ネコは近眼なのだろうか? いや、吹雪のせいもあるだろう、遠くのほうはぼやけて見通しが悪いが、そのぶん耳や鼻は利く。


 まぶたを閉じると、まず鼻につくのは煤けた排ガスの悪臭だ。そして……これはゴミ置き場……バイク……トラック……誰かの笑い声……下水……工事……地下鉄の走行音……飛行機の……排気口……残飯……ネズミ……腹減った……


 ダメだ!


 明朗はすぐに目を開けた。


 敏感すぎるのもまた考えものだった。

 当たり前といえば当たり前だが、都会の副産物である悪臭と騒音、そのノイズが強すぎた。


 明朗はヒゲをひくつかせる。


 今頃、地獄でニャーニャー言っているであろう元の体に思いを馳せる。時間がない。このままでは、なすすべもなくやられてしまう。俺は肉体すら奪われて、ナナト(犯罪者)の作った異世界で恋人ともども消えてしまう。


 そんなのは嫌だ。だから、もっともっと集中するんだ。


 彼はもう一度、鼻先の神経を尖らせた。そのときだった。


 街の中心に建つ巨大なビル、その最上階が爆発した。


「ンニャ!?」


 反射的に飛び上がった明朗は重心を低くして身構える。


 ――神の攻撃がさっそく始まったのか?


 その可能性が高い、そう思った。街で一番高い建物。攻撃対象としてはうってつけだ。


 だけど、


 崩れ落ちた瓦礫が地面で砕け炸裂する。地鳴りのようなその音が、彼に素朴な疑問を抱かせる。


 ――でもなら、なぜ最初から核を落とさない?


 先制ですべてを終わらせてしまったほうが閻魔の反撃を回避できる。なのになぜ、あのビルを破壊する程度にとどめるんだ?


 明朗は背中を大きく丸め、低い声で唸った。


 考えろ。


 爆発のせいか、クラクション、サイレン、女の喚き声、と街の喧騒はこれまで以上に高まっている。

 明朗は耳を伏せそれらすべてを無視して、吹雪に霞むビルの上部に目を凝らす。ビルからは火の手があがっている。その炎は白っぽく、赤やオレンジには見えないが、天国よりもずっと明るく見える。


 ――ひょっとすると、あそこに快慶がいるのでは?


 神は用心深い。すべてが消え去る前に、証人(快慶たち)の死を確認しておきたいんじゃないか?


「ブニャー!」


 正解かどうかはわからない。なんの根拠もなかったが、


 明朗は駆け出した。


 それ以外に当てもなかった。


 迷いもなく、明朗は近くの路地に飛び込んだ。獣の体はしなやかで小回りもきいて、不思議なくらい体が軽い。


 ――いや違う。これは重力が天国と違うんだ。


 ネコということを差し引いても、軽すぎた。思えば相当な高さからだったにも関わらず、傷一つなく着地できた。その理由はネコだからというより、この世界の物理法則自体が尋常とは異なっているせいだろう。


 とにかく、


 打ち捨てられたゴミの山、渋滞する車道、細くて汚い路地の裏。


 それらをなんなく乗り越えすり抜けて、ビルへと向かう。


 天国からの追手だろうか。後方から誰かが追ってくるような感じがしたが気にしない。


 混雑する往来はなるべく避けて、裏路地から裏路地へ。以前と違って、必ずしも道なりに進む必要はないと気づく。飛んで跳ねて、くぐって潜って少しでもショートカットしながら、快慶のもとへと急ぐ。


 しばらくそうやって走り続け、追手も振り切ったと思った瞬間、ふいに何者かに首筋をつかまれ、明朗の体が持ち上がった。


「ニャッ??」


 彼がぎょっとして体をねじると、黒髪の女が立っていた。


 まるで気づかなかった。


 ネコの目にもけばけばしく見える女であった。マットな黒髪。不健康そうな肌に際立つ口紅。ネイルに散りばめられた無数のラインストーン。


 彼女は片手で明朗をつかんがまましゃがみ込むと、もう一方の手で上着からスマホを取り出した。そのまま地面すれすれまで体をかがめ、あおり気味にカメラを向ける。


「ショウニン、ショウニン……」


 ボソボソと意味のわからぬことをつぶやく女とカメラ越しに思い切り目が合った。


 この世界のドラッグだろうか? 開ききった瞳孔が不穏で、ネコの本能ゆえ明朗は硬直してしまう。


 ――こんな女と関わっている余裕なんてないのに。


 吠えようかとも思ったが、その異様な雰囲気に圧倒されて、体がこわばり動かせない。


 女の口は小さく動き続ける。


「バエ、バエ……」


 動物の体でさえなければ……


 ――カシャリ。


 シャッター音が鳴ると同時に、「きゃっ!」女が悲鳴を上げて転倒した。


 ――今だ。


 さっきからしつこく追いすがってくる追手が女にぶつかったのだろう。金縛りが解除された好機を逃さず、明朗は排水管を伝って近くのベランダに避難する。


 ――急がなくては。


 背後からはなにやら怒声。どうやら女が追手と揉めているようだ。構わず、明朗が隣のベランダに飛び移ったところで、突如、


「エレクトリックボルト!」


 狭い路地に雷鳴が轟いた。


「お前だけは絶対に殺す。クソみたいな男ばっか作りやがって!」


 またしても女の叫び声。その鬼気迫る様子に明朗が思わず振り向くも、再び瞬いた雷光に遮られる。


 ――知ったことか。


 明朗は再び前を向くと、非常階段を伝って一気に駆け上がる。雷だろうがなんだろうが、今は快慶を救うことが最優先だ。


 屋上に出ると、一気に見晴らしが広がった。


 吹雪は激しくなっていたが、通行を遮るものがほぼなくなり、明朗はいっそう加速する。屋根から屋根、建物から建物へと飛び移り、一直線に目的地を目指す。


 最短距離で懸け抜けて、ついに真下まできたタイミングで、見計らったかのように再びビルが崩れてくる。


「ウニャーッッ!!」


 恐怖がどうしても体をすくませるが、後ろ足を強く踏ん張って、明朗はジャンプした。


 ここまで来てビビってなどいられない、そう自分を奮い立たせながら落ちてくる瓦礫よりも先に着地して、


 バネをつかった反動でもう一度前に跳ね上がる。


 頭上から降り注ぐコンクリートやガラスといった無数の破片。まるで雪崩のようなそれらを、丁寧に、しかしてスピーディに、右へ左へすり抜けかわしながら、明朗はピロティ構造になっているビルのエントランスへと滑り込む。


 立ち並ぶ柱の後ろに身を寄せ体を伏せると、視界がぐっと暗くなった。


 大理石の柱が軋んで、砂埃が勢いよく巻き上がる。鳴り響く衝撃音。汚れ乱れた毛並みに小石が当たってその下の皮膚を傷つける


 が、


 ――なんとか間に合った。


 丸まって前足で耳を覆い、腹に響く残響をしのぎながら、明朗は呼吸を整えた。


 だんだん体の使い方がわかってきた。


 遠くは見えなくても、ネコの動体視力は優秀だ。肉球のついた四つ足は細やかさを欠くが、関節の可動域はとても広い。尻尾がなければバランスが取れず、今の立ち回りは絶対に無理だっただろう。


 四本の足で立ち上がる。

 目の前にあるのは、都合よくガラスの砕けた正面玄関だ。


 ぶるり、と彼は尻尾を大きく振って埃を払うと、ビルの内部、法外に広いエントランスホールへと飛び込んだ。

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