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おーい、でてこーい

 なぜかシャンデリアが目と鼻の先にあった。


 凝った装飾の施された腕木をじっと眺めていると、水槽に落ちたインクのように自我が拡散していく感じがあって、不安を覚えた明朗はそのエレガントなカーブへと手を伸ばす。


 しかし、彼の手がそれに触れることはなかった。

 そもそも手そのものが、あるべきところに存在しなかったのだ。


 ――両手がない!?


 わけがわからなかった。驚いた明朗は慌てて身体を確認する。


 が、なにもない。見つからない。


 輪郭がぼやけている? いや……違う。


 シャンデリアが近づいてくる。ゆっくりとではあるが、任意の方向に移動できている。だが両脚の実感もなく、歩くというよりむしろ浮遊している感覚に近い。


 四肢だけじゃなかった。腰も、胸も、肉体を構成するあらゆる要素が見当たらない。ならいったい俺はなにを見ている? なにを介してものを見ている?


 眼下の――という表現も正しいのかわからないが――床に無残な死体が横たわっている。プレス機かなにかで潰された肉の塊といったところだろうか。男女すらわからぬほど損壊したその死体は血濡れのスーツを身につけていた。服のダメージは肉体ほどでなく、それはあきらかに明朗のもので……


 彼は思わず悲鳴を上げる。けれどもちろん、声が声になることはない。


 死体の周りには、署長にメタ村に加え、頭から湯気を湧き立たせる神が、重々しい表情で立ち尽くしている。


 もう一匹。ソファの上で背中を大きく丸めているネコと目が合った――ような気がした。眉間に深いシワを作ったそいつは、明朗が浮遊しているあたりから床の死体へと視線を移動させ、ガラステーブルの下に身を隠す。フニャア、という鳴き声がどことなく震えていた。


「神様!」

 突然、署長が大きな声を出した。


 つられて、


「こ、これはさすがにまずいですよ!」

 そう言うメタ村の声も裏返っている。

「こんなの地獄にバレたら……」


「…………」


 神はふたりを一瞥し、なにも答えなかった。かわりに、その巨体から緑色のオーラが溢れ出し、明朗の死体へと注ぎ込まれていって、


 明朗は改めて驚愕する。


 ものすごい勢いで原型を取り戻した仰向けの死体。その顔は間違いなく自分のものだった。


 ――あの死体が俺だとしたら、今のこの俺はなんだ? なんなんだ?


 俺はおそらく死んでいる。死んでしまった。それはわかる。わかるけど、じゃあこの状況はなんだ。一体なにが起こってるんだ?


 明朗は壁際に並んだ巨大なガラス棚の前に移動する。ガラス戸にはオーラを帯びた神の後ろ姿が写っている。他にも署長の禿頭が、いそいそスマホをいじるメタ村が、どこかに電話しているSPたちが、テーブルの下で震える白いネコが、そして自分の死体が映っている。だけど、いまこうやってそれを見ている明朗の姿だけが見当たらない。


 神の焦燥感を反映してか、ガタガタとガラス戸が震え始める。部屋そのものを揺さぶる振動は徐々に大きくなって、シャンデリアがゆらめき、執務デスクの書類が倒壊する。


「なにも殺さなくてもよかったんじゃ!?」


「だってこんなの見たらびっくりするじゃん! 仕方ないじゃん!」


「いやそれは……」


「なこと言ったって吉田ちゃん! こんなの、こんなことされたら終わりじゃん。どうしょうもないじゃん」


 明朗の死体の前で、神と署長が怒鳴り合っている。


 神は手にしたスマホの液晶を指差し、顔中からダラダラと脂汗を垂れ流し続ける。


「あーもう終わりだよ。終わり。この世は終わりだわ」


 本当に終わりみたいな声色だった。


 神にとってのこの世はどの世なのか疑問だが、その狼狽っぷりはあきらかに異常で、興味を惹かれた明朗は神の持つスマホをのぞき込んだ。


 正面から堂々とであったが、もちろん明朗の存在が気づかれることはなく、画面に映っているのはツブヤイターの1ページだった。


『我はメシア。この世界を粛清する』


 そこには“あけみ”なるアカウントによる投稿が表示されていた。ツイートには大量のクソリプが付帯していて、


『これ、どう考えてもセルフィーだよな?』

『このダサさ、間違いないってwww』

『セルフィーって死んだんじゃなかったの?』

『神は嘘つき。どうせあのアホな死人どもも生きてんだろ?』

『ある意味セルフィーも被害者』


 明朗にもなんとなく状況がつかめてきた。おそらくセルフィーたちはまだどこか――おそらくタブラ・ラサだろう――で生きていて、神は保身のためその事実を隠蔽しようとしていた。それがこれでバレて、激昂した神が勢い余って俺を殺して……


「神様!」

 どこかに通話中のSPのひとりが、スマホのマイク部分を押さえて言う。

「地獄検察が再び明朗の証人喚問を要請しています」


「ほんともぅ、どうすんのよぉ!?」


 きんきん声で神が叫ぶと、驚いたネコがテーブルから這い出しソファに舞い戻った。


 いつの間にか、滝のような神の汗に部屋が数センチほど浸水していた。それはおっさんたちの革靴を浸し、立ち上るのはむわっとした汗の臭い。というわけでもなく、透明感のある爽やかな香り――となると俺は臭いも知覚できるのか――が立ち込めている。


「よりによってこのタイミング……」

 ネコ同様避難したソファの上で正座して、自らも滲み出る汗をハンカチで拭いながら署長がつぶやく。彼の頭はいつもの落ち武者状態だ。


「ねぇホントどうすんの? わしこう見えて蘇生魔法ってできないんよ。ちゅーかアレって辺獄(リンボ)の管轄じゃん? そんなの知らんしマジどうすればいいの? 助けてだれか?」


 汗の水位は秒単位で上がっていく。慌てるSPたちが散らかった書類を机に避難させるもほとんど意味をなしていない。


「と、とりあえず落ち着いて下さい」

 同じくソファの上で、メタ村がスマホを見ながら言った。

「まずは明朗の魂を肉体に戻すんです」


 魂、その言葉に明朗はぎょっとした。


「は? それができるならとっくにやってるんだけど!」


 だが神はよくわかっていないようで、真剣な面持ちでメタ村は続ける。


「人間、天国人ともに死ぬと魂が肉体から分離する。魂は辺獄(リンボ)の管轄で、任意の肉体に移し替えられ、裁きを待つことになる。これは皆様ご存じかと思います」


「そうね」


「ではまず魂とはなにか? 今ちょっとググってみたんですけど、魂っていうのはどうやら浮遊する透明人間のようなものらしいのです。ただ透明人間と違い、魂に壁だとかのすり抜けはできない。ここは密室ですから、まだ明朗の魂はそこらを浮遊していると思われます」


「そうなの?」


「wikiにそう書いてあるのでそうなんでしょう」


「はぁ……」


 メタ村の発言は腑に落ちるものがあった。たしかに明朗の今の状態は魂という表現がぴったりで、壁や天井をすり抜けようとしてもうまくいかないのだ。


「まぁ、わかった。で、その魂を肉体に戻す方法はあるの?」


「VRです」


「は?」


「イタコVRを使えと、ヤプー知恵袋で回答されています」


「はあぁっ!」

 神と署長が同時に叫び、汗の水かさが一気に増える。


「ちょわって!」

 ソファが浮かび上がってひっくり返り、バランスを失った署長とメタ村、ネコが汗の中に投げ出される。


 腰まで水に浸かった神が目を三角にして口を開く。

「wikiはともかく、ヤプーって、イタコって、君、本気で言ってんの!?」


 水位がさらに上昇する。


 いまや執務デスクは水没し、書類や紙くずが浮かんで浮遊している。慌てたネコがカーテンに掴まるも、手足が絡まり溺れてしまう。


「知恵袋って、素人が適当に言ってるアレでしょ? 普通にダメでしょそんなの」


「ぷはっ。ぶはっ、はっ。いや神様、見くびってはいけません」


 技術屋ゆえ運動は苦手なのだろう、ぷかぷか浮かぶ巨大なカメラバッグに惨めな犬かきでなんとか掴まり、メタ村が言った。


「ヤプー知恵袋はアカシックレコードに繋がっていると言われています。ちょっと前まで辺獄(リンボ)秘伝の反魂術を用いねば難しかった魂の視認および転移ですが、昨今の技術革新によりVRで代用できるとの回答がベストアンサーに選ばれています。おそらく真実です」


「そうなの!? っていっても機材は? VRの機材はどうすんのよ!?」


「それはこのカバンに入っています。私、普段から携帯してるんです」


「都合良すぎない?」


「私は技術屋ですからね」


「とにかく、早くなんとか」


 いまや水位は部屋の半分を越えていた。


 ネコが断末魔の叫びを上げる。妙な音を立てて床がきしみ、いまにも抜け落ちてしまいそうだ。様々なものが溶け出した水の透明度は低下して、署長は必死で戸棚にしがみついている。屈強なSPたちもこれには慌てている。


「うぼっ、あっ、こっ、これですっ」


 再び溺れ始めたメタ村がカバンからヘッドマウントディスプレイを取り出す頃には、ネコはとうに溺死して、明朗の死体と一緒に浮かんでいる。


「こうか?」


「っ、そうですっ。電源を入れてっ、はっ、これをこうっ!」


 神の衣服にヘッドマウントディスプレイは奇妙にマッチして、神はメタ村の指示に合わせて手を動かす。


「おい、あそこに白く光る球があるぞ」


「あぶっ、それです! たぶんそれが魂です、それを捕まえっ、ブクブク!」


「ほりゃ!」


 白い球と言われても明朗にはよくわからなかったが、ディスプレイを付けた神にはそう見えているのだろう。神は水中のメタ村の身振りに応じ、明朗が漂っている天井付近へ手を伸ばす。しかし、わずかに届かない。肩まで水に使っているとかなり動きづらそうだ。


 ――とにかく逃げなくては。


 明朗はふわふわと部屋の中央、シャンデリアを挟んだ神の真後ろへと移動した。


「おい、どこ行った?」


 神は大慌てで水飛沫を撒き散らす。シャンデリアに紛れ明朗を見失ったのか、虚空に手を伸ばし飛んだり跳ねたりするおっさんのゴーグル姿はこっけいで、明朗は追われているにも関わらずちょっと笑ってしまう。


「お、ここか! そりゃ」


 だが、


「よし、捕まえたぞ!」


 明朗の笑みはすぐさま凍りついた。


 彼から少し離れたところで、神は明朗には見えないなにかを抱えていた。神は浮遊する明朗の死体にそのなにかを近づけると、


「こうして、こうだ」


 口の中に強引に押し込んだ。


 ――おい待て。俺はここにいるぞ。


 気づいたときには遅かった。


「ブギャッーーッッ!」


 直後、明朗の死体は電気ショックでも食らったかのように大きく身震いする。それは浮かんだテーブルを両足で強く蹴りつけ跳ね上がり、シャンデリアに掴まろうとしている署長の肩へと飛び移った。


「ぐぼっ!」


 浮力があるといえ、成人男性の体重をまともに受けた署長は無残にも水中へ沈んでいく。


「ニャーオギャー! フガーフガーッ!」


 明朗として生き返ったネコは水中で署長の頭に噛み付き暴れまわる。


「あ、やべ」

 神が言った。

「あれってネコの魂だったか」


 ますます水位が上昇して、せっかく顔を出した署長が再び水没する。必死であがくメタ村やSPたちも、もう限界が近い。


 ここで、トントンとノックの音。


「失礼します」

 署長がなんとかネコを振り切ったところで、水没したドアの向こうから声が聞こえた。

「先ほど連絡致しました地獄検察の高橋です。明朗氏の証人喚問の件で――」

 ノック同様、声はくぐもっていて聞こえづらいが、


「おい、もう時間がないぞ!」

 神は声を張り上げる。


「んぷっ、そんなっこと、言われてもっ」

 溺れながら署長も喚く。

「ってあ、またダメ髪抜けっ――」


 その瞬間、ヘッドセット越しに神と明朗の目があった。


 明朗はとっさに逃げようとしたが、水位が高すぎて逃げ場がなかった。


「今度こそ逃さぬ」


 魔法で加速した神は即座に距離を詰め、

 あ、という声はやはり声にならず、彼はあっさりと捕えられる。


「やった!」


 神は明朗を抱えそのまま水中へと沈み込んだ。大きな胸板、太い両腕。その前にはいかなる抵抗も無力だった。


 神は泳いでネコの死骸のところまで移動すると、明朗の魂をその口にねじ込み、


 そして、言った。


「タブラ・ラサ!」


 いきなり水の中、部屋の中央に怪しげなドアが出現した。


「うぷっ神様、なにをっ!?」


 署長が息をついだのもつかの間、ど●でもドア的なその扉がわずかに開き、強烈な水の流れを感じた。風呂の栓を抜いたように、扉の外へと一気に水が流れ出し、ネコとして復活した明朗は慣れない短い手足を動かして、慌ててソファにしがみついた。


 書類、本、電話、パソコン、明朗のカメラバッグなどが勢いよく扉の向こう、紫の渦の中へと消えていく。巨大な花瓶や、テーブルまでもが流されて、最低三十億はするであろうラファエロの絵も失われる。


 署長がシャンデリアに掴まって泣きわめき、明朗になったネコとメタ村がそんな署長に抱きついて、ネコになった明朗もドアに引っかかったソファのシートに爪を立てるだけで精一杯だ。流れていく戸棚のガラスにメインクーンとなった自分が一瞬だけ映し出され、すぐに消える。


 大きなデスクに巻き込まれ、SPたちもが扉に消える。シャンデリアごと署長たちが床に落ちてやっと、すべての水が抜けきった。


「ちょっとちょっと、一体なにしてるんですか!?」


 同時に地獄の使者が再びドアをノックして、皆の視線がそちらに集中する。


「ねぇ聞いてるんですか? あきらか中に人いますよね? 早く開けてもらえません!?」


 仁王立ちしながら険しい表情で一部始終を眺めていた神がぼそりとつぶやいた。


「明朗は発狂して、ネコになった」


 ネコになった明朗の濡れた毛がぶわっと逆立った。明朗になったネコがこちらに視線を投げてきて、目があって動けなくなった。


 神はドアに注意を払いながら、おもむろにスマホを取り出し電話をかける。


「あーもしもし総書記?」


 しつこいノックに構わず、神は朗らかに話し始める。


「あーわしわし神、ゴッドー。そうそうひさしぶりー。あーうん、あーそう。でさー、ちょっと急で悪いんだけどー、総書記のアレ、今日はちょっとアレをね、そうそう、最近アレ処分したがってたでしょ?」


「え、ちょ神様!? 総書記って、アレってまさか……」


 よろよろと起き上がった署長が仰天するのを無視して、神は続ける。


「そう、そうなのよ。急ぎでアレが必要なんだよねー、あーうん払う払う。えっ大統領? ははっ、大丈夫大丈夫。そんなぁ今更じゃん、わしと総書記の仲でしょ。うん、うん、うちの永住権は完全保証。そうそう、オッケーオッケー。そっこー向かわせるから。はーい、じゃあねー」


「ちょっと神様、さすがにそれは! 我々の部隊もまだ現地に残ってますし!」


「えー、じゃあ二時間あげるからそれまでになんとかしてよ」


「で、ですが異世界とはいえ、向こうにも人間が!」


「いやそんなのナナトやセルフィーが作った人形みたいなものでしょう? というか、その人形という“証拠”を消すのが目的なんだけど?」


「しかし、アレはさすがに、いくら神様でも……」


「いや、投下の指示は君が出すんだよ」


「え?」


「だってアレとかわしのクリーンなイメージに反するじゃん。あ、CO2的にはクリーンなんだっけ?」


「そ、そんなっ、ちょっと待ってくださいよ!」


 神はすがりつく署長を振りほどくと、唖然とする明朗に近づきその首をぐいと掴んで持ち上げた。前より簡単に持ち上げられてしまうほど自分が軽くなっていることを、明朗はまだ信じられなかった。


「喜べ明朗くん。望み通り君に罰を与えよう」


 ネコになったせいか驚きに体が硬直し、明朗はまるで抵抗できない。メタ村や元の肉体(ネコ)もまた床にへたりこみ、目を丸くして成り行きを見守っている。


 神は笑いながら、開きっぱなしのドアの向こうへと明朗を突き出し続ける。


人間(罪人)の炎で焼け死ぬといい」


 そして、明朗は紫色の渦の中にあっけなく投げ出された。

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