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ドMなのは爺さん譲り??

 肩口に走った鋭い痛みにナナトは目を覚ました。


「お、起きたか?」


 目を開くと、素肌の肩に赤いハイヒールが乗っていた。そこから白い足がスラリと伸びて、上に辿ると赤いミニスカートが揺れていた。パンツは見えそうで見えなかった。


 スカートの主は幼女だった。


 赤いミニスカートに赤い軍服、赤い唇に赤い瞳。赤い髪をツインテにした幼女であった。彼女の頭上には、あの北海道のシミが見えた。


「セルフィーはどこや、はよ答えぇ!」

 幼女は芝居がかった関西弁で言った。


「へ?」


 なにがどうなっているのか、ナナトにはまるでわからなかった。


 ――俺は死んだはずだ。木に刺さって腹に大穴開けて……


 だけど彼が腹を見ると、裸の上半身には包帯がぐるぐると巻かれ、だれかから治療を施されたようである。普通に考えて、ちょっと死んでいるとは考えづらい。さすが俺の作った世界。死亡の判定はかなり甘々と考えていいのだろう。


 でも……


 生きているのはまぁいいとして、あのシミ……てことは、ここはあの留置所……俺はまた捕まったのか? けど鉄格子は開けっ放しだし……この感じだとMPはたぶん回復してる……いや、さすがに都合良すぎか……??


 そんなナナトの内心のつぶやきを幼女が遮った。


「早よ答えろや、セルフィーはどこやねん」


「くっ」


 針みたいなヒールがグイグイと皮膚にめり込んで、ナナトは呻いた。幼女看守のスカートが揺れて、その腰元に掲げた異様に長い日本刀(柄や鞘まで真っ赤だ)も一緒に揺れた。


 留置所にセルフィーはいなかった。ナナトと幼女だけだった。この子の発言を信じるなら、セルフィーはなんとか逃げ延びたということになる。


「……知らねぇな」

 ナナトはわずかに首を持ち上げ答えた。


「は?」

 幼女は大きな瞳をよりいっそう見開いた。


「自分今なんつった?」

 声のトーンが一気に低くなって、ヒールの圧が強くなる。


「知らねぇっつってんだよ」

 ナナトはわざとぶっきらぼうに答えつつ、心のうちでほくそ笑んでいた。思わぬサプライズに嬉しさを隠しきれずにいた。

 というのも、幼女はナナトの性癖にどストライクだったからである。リアルではありえない変な関西弁にサディスティックで過激な対応。どうやら俺の世界では物理法則以外も都合よくできているらしい。


 ナナトは、この世界の女はすべて俺が作った、だからお前なんか俺の思うままなんだぞ的薄ら笑いを浮かべながら、幼女に「赤」と言った。


「は?」

 想定通り、幼女が声を上ずらせた。


「いやね、さっきからパンツが見えてますよって」

 客観的には最低のキモさだったが、ナナト的にはキメにキメたイケボで言った。キマった、そう思った。この後、この子は白い頬をむちゃくちゃに赤らめて、そのギャップに――


「ぎゃん!」

 刹那、ナナトの視界を星が舞った。


 皮膚に食い込んだハイヒールがいきなり持ち上がり、彼の顎先を蹴り抜いていた。


「ひゃっ! ひ、ひぐうっっ……」


 前歯が吹き飛び血が噴き上がりナナトは慌てた。


「うばっ痛。ちょ、ちょちょ、いやちょっ待てよ……」


 激痛に顔をしかめ、目に涙を浮かべながらナナトは体をよじる。しかし幼女の足が今一度素早く振り下ろされる。今度は胸元にヒールの圧がかかり、再び硬い床に固定される。


 ――こんなのおかしい。こんなの想定してないって。


 ナナトは戸惑っていた。そりゃ最終的にはこうなるのがお約束だけど、ノーモーションで蹴りが来るタイプは俺の趣味じゃない。蹴りの前に一瞬の恥じらいが入ってこその可愛さなのに、ありえないっしょ。つか力強すぎ。


 目をパチパチさせて細い息を繰り返し、なんとか呼吸を整えてナナトは言った。

「……お前は誰だ?」


「エマや」

 幼女は答えた。彼女はナナトの髪をぐいと掴み、こう続けた。

「そう、エマや。今日からワイがここの署長や」


「エマ……」


「それにな、赤やないで。穿いてへんのや。嘘つくなやボケ。嘘つきは懲役五千年やで」


 ――知らねぇよ。 


 ぼんやり霞んだ視界にエマなる幼女の不気味な笑みが大写しになって、ナナトは嫌な予感を覚えた。


 目を凝らしてよく見ると、ツインテールはサイドテールっぽい感じがするし、赤い瞳は紅というより朱な感じを帯びている。


 ――違う。

 

 こいつは俺が作ったキャラじゃない、ナナトがそう思ったとき、エマという名の幼女はゆっくりと、されど無駄のない所作で鞘から刀を引き抜いた。


「え?」


 ナナトの脳が状況を判断するよりも先に、彼の喉元に白刃が突きつけられた。ひんやりとした金属の冷たさにわずかに遅れ、熱い血液が流れていくのが見ずともわかった。


「時間がないねん。早よぉセル――」


「エアロバースト!」


 ナナトが叫ぶと、上方へと強風が吹き抜ける。ツインテールが激しく跳ね上がり、小さな体が後方に吹き飛んでいく。


 案の定スカートがめくれ上がるも、その中は決して見せぬ素早さで、エマは空中で一回転し着地する。コツン、と重力を感じさせぬ軽い音とともにエマのスカートが垂れ下がり、余裕の声色で彼女は言った。


「ワイに歯向かうとは、懲役五十万年は食らいたいようやな」


「エアロバースト!」


 ナナトの詠唱に先駆け銀色の一閃が煌めいている。空間ごと切り裂かれ、天井の蛍光灯が砕け散る。ナナトの二発目はツインテールを持ち上げることすら敵わない。


 返す刀で鋭い横薙ぎ。


「エアロバースト!」


 上下に分裂した三発目のエアロバーストは天井のシミと床のコンクリに僅かなヒビを入れただけだった。致命傷を避けるだけでギリギリだった。


 ――ヤバい。


 こうなるともうナナトはパニックに陥って、


「エアロバースト! エアロバースト! エアロバーストッ!!」


 MP消費もいとわず風魔法を連発する。


「なんやそれ? 魔法のつもりかいな?」


 一方、エマは薄笑いを崩さず、刀をまるでムチのように捌きながら、ナナトの攻撃を無効化していく。


 六発目を唱えたとき、ナナトの鼻先で刀が煌めいた。思わずのけ反ると、切り裂かれた前髪がエアロバーストの乱気流に飲まれハラハラと舞い上がる。


 ――なんて速さだ。


 ナナトは恐怖した。こんな桁違いの運動能力、これじゃまるでラスボスじゃないか!


 自分がこんな設定を作るだなんてありえない。こんなハードな設定好みじゃない。実は俺は潜在的にドMで……いやそれでもありえない。ここまで自分にとって都合の悪い人間が出てくるなんてあってはいけない。勝てないほどに強すぎる敵を出せば、読者は離れるって決まってるんだ。


 エマが再びナナトの懐に踏み込んでくる。


 エアロバーストの反動で切り抜けて、トイレとは反対側の角に移動する。


「なんなんだお前は!?」


「だからエマや言うとるやろ」


 息もつかせぬ連撃にナナトの息が上がる。エアロバーストはたぶんあと三、四発しか撃てない。


「とにかくやナナト。タブラ・ラサ、ピラティス、熊廣血広、お前の知っていることを全部話しや!」


「な、なんでお前がそんなことっ!?」


「質問に質問で返すんは、懲役八百年やで?」


「うるせーよ、エアロバースト!」


 下向きの風を起こし、エマの頭上を乗り越えるように跳躍する。


「ホンマしょうもないな」


 ナナトは天井を蹴って、翻るエマの刀を僅差ですり抜け……られず、脇腹を肉を若干削ぎ落とされながら頭から床に転がり落ちた。


「ぎゃぁぁっ!!」


 半端ない激痛だった。


「ひ、ひぅ、ひぐぅっェアロバーストッ!」


 ナナトは必死に歯を食いしばり、気合のエアロバーストを唱えた。涙や汗と一緒になって、血しぶきも風に溶けて消えていく。


「ぬああっッ!」


 彼は勢いのまま開きっぱなしの鉄格子まで滑り抜ける。


「はぁ、はぁ、はぁっ……」


 壁に手をつき立ち上がると、肺が自分の意思に反して痙攣していた。明らかに酸素が足りていなかった。


「おい待てやコラ、時間がないんや。あまり調子乗っとるとホンマ殺すで!」


 エマがなにか言ってるが、よく聞きとれない。ナナトはつんのめるようして鉄格子を回り込むと、体重をかけて扉を押し込み廊下へと脱出した。


「待て言うとるやろコラ!」


 廊下は地獄絵図だった。


 ひっくり返ったベンチやゴミ箱、打ち倒された観葉植物の残骸にまぎれ、血塗れの警官たちがうずくまっていた。


 構わずナナトは走った。


 トロルの警官、マーフォークの警官、フクロウの警官。


 渦巻状の廊下には、殴られ蹴られ叩かれ斬られたそんな警官たちがうめいたり、しくしくと泣いていたりする。気を失っているのか、死んでいるのかわからないものもいる。ヤバい。ヤバいぞこれは。


「ええかげんにせぇよホンマ!」


 背後からエマの声に怯えながら、ナナトは全速力で駆け抜ける。警官たちを飛び越え、角を曲がり、長い廊下を突き進む。走りに走って、角を曲がるたび後方から叫び声が聞こえたが、振り返る余裕はなかった。


「くそがっ、痛ってぇんだよ!」


 硬い床を蹴りぬくたびに切られた脇腹が痛んだ。口の中がカラカラで、息をするだけで喉も痛んだ。膝だって痛いし、なぜかわからないが耳の中まで痛かった。木に串刺しになったことを思えば、このくらい大したことないはずなのに、痛いものは痛かった。


 ――それにあと腕?


 って腕!?


 エレベーターホールへ抜ける最後の曲がり角のところで、ナナトは突如として左腕の感覚がなくなっていることに気がついた。


「いああああぁっ!!」


 いつのまにか左腕が切断されていた。


「はわゃっっ!」


 いつだって痛みは理解のあとにやってくる。


 肩先に生じた平面的な切り口から猛烈な血しぶきを撒き散らしながら、彼はホールの中央にへたり込む。左右のエレベーターの表示は……


 1、1、1、1。1、1、1、1。


 ――コツコツコツコツ。


 角の向こうから日本刀を持った赤いツインテールが現われる。


「おい」

 その口角が上がる。赤い唇が開いて、朱い口腔があらわになって、

「だから逃げんなや」


 エマは赤く濡れそぼった刀を血振りした。エレベーターの扉に跳ねる赤黒い飛沫。


「あう、あぁぁぁぁっっ……」


 ナナトは残った右手で後ずさる。まだ修理されていない窓から無慈悲なビル風が吹き込んできて、血濡れの身体が凍りついていく。


 ――でもあそこまで、あそこまで行けば……


「うおぁぁあああっっ!」


 ナナトは身体をひねって前のめりに立ち上がり、窓向かって飛び出した。


 ビルの外には遠くかなたまで街の明かりが広がっていた。低い空に浮かんだ大きな月が見えた。あとちょっとだ。窓から飛び降りて、エアロバースト、いや落ちきったあとでキュアスフィアで……


 しかしナナトの脚は動かなかった。動かすことができななった。


 唯一の脱出口、希望という名の窓の外、そこにあと一歩、あと一歩というところで、ナナトはまったく動けなくなっていた。


「ごぱっ」

 ナナトは溺れた。肺の中に溢れかえる自らの血に溺れた。


 彼の胸を日本刀が貫いていた。


 ナナトの胸を突き抜いたその刃先は赤く染まり、眼下の夜景を反射して、キラキラと美しく輝いていた。


「キュ、キュアッ、キュアスフィアァ!」

 思わず唱えた。

「キュキュキュ、キュアスフィア、キュアスフィアっ!」


 魔法は発動しているのにナナトの舌は止まらない。


「キュアスフィアぁぁぁ!!」


 腕が生えていく。脇腹の肉が埋まっていく。一瞬痛みが和らいだような気がしたが、刀が刺さっていることに違いはなく、激しい心拍とともに再び鋭角的な痛みが全身に放散する。


 ナナトの身体はピンに刺された昆虫標本のように動かない。動けない。


「へぇ、おもろい能力やな」


 すっ、と刀を心臓側に五センチ下げて、エマが言った。


「お前は『この世界を救う勇者』なんやって?」


 体の内側から地獄のような痛みが迸る。


「や、ひゃぷ、ひ、ひとちがゃいらっ!」


 ナナトは喚いた。喚いたといっても、口から血の泡を吐き出しただけで、声にはならない。


「は? なに言うとるかようわからんわ」


「あぶっ!」


 ――死にたくない。


 ついにMPもつきて、宇宙のごとき異様な寒さにナナトは凍えた。


 本当に寒かった。そして痛くてたまらなかった。どうして自分がこんな目に合うのかわからなかった。俺はただ普通に楽しく異世界生活を送りたいだけなのに、ひどすぎると思った。


 吹き上がった風が刃先で分かれ、ピュルルと笛のような音を立てる。目の前が徐々に暗くなっていく。どこまでも広がる夜景が涙でにじみ、ぼんやりと消えていく。


「はん。ま、別にどうでもええわ」

 幼女のニヒルな笑い声がビル風にかき消される。


 そこで、ナナトの意識はぶつりと途切れた。

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