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EDMの流れる異世界で

 ナナトが気がつくとそこは砂浜だった。


 波の音以外はなにも聞こえない、見渡すかぎりに広がる白いパウダーサンドのビーチである。海はすばらしく透明度が高く、ブルーのグラデーションが遠く水平線まで続く。後ろにはこれまた鮮やかな緑の森があって、砂浜とのコントラストが美しい。太陽はちょうど寝転がるナナトの真上にあって、空は澄みわたり雲ひとつない。


 まさしく異世界。最高だった、究極の気分だった。


 ぐいっと半身を起こしたナナトの右手はセルフィーの左手を握ったままである。

「ん?」

 彼は視線を仰向けに横たわるセルフィーへと落とす。


 彼女は目を閉じてはいたが生きていた。ナナト同様気を失っているだけのようだった。


 呼吸の度に揺れる胸。体中にこびりついていた血はすっかり洗い流されている。赤く染まった服は濡れてぴったりと肌に張り付き、その中身のラインを強調していた。


 彼女の濡れた髪が、頬が、唇が、首筋が、胸元が、細い手足が、太陽の光を受けてキラキラと輝いていて、そのあまりのまぶしさにナナトは目を細める。


 ――こんなの反則でしょ……


 数瞬考えたあと、ナナトは再び砂浜に寝転がることにした。


 こうなると、嫌でも触れ合っている手と手を意識せざるをえない。体温がぐぐぐと上昇し生唾を飲み下す。自分の胸が半端なく高鳴っているのを感じる。

 すぐそばに横たわるなめらかすぎる肌、美しい髪、赤い服からのぞく白いなまめかしさに見とれる。何時間でもこうしていたいと思う。だが、


「……ん」

 ついにセルフィーも意識を取り戻す。


 ナナトは慌てて手を離す。急いで立ち上がり服についた砂を払って、俺はずっと介抱してたんだけどやっと気づいたよかった大丈夫か、的な感じのシチュエーションを演出する。


「……な……に?」

 そんなナナトに、もごもごとなにかをつぶやきながら、セルフィーもゆっくりと立ち上がる。

 彼女が大きく伸びをすると、パラパラと全身から砂が落ちた。スラっと伸びる手足は砂よりもさらに白くて、海よりも深く透き通っているかのようだった。


 本人は気づいていないのだろうか、みだらにはだけた服から胸の谷間が見える、太もものふくらみが見え隠れする。


 ――エロすぎるだろ。


「……ねぇ、喉乾いたんだけど」

 セルフィーは濡れた髪をかき上げ言った。

「サングリアはどこ?」

 毛先から飛んだ水のしぶきがナナトにかかった。


「あ、あ……」


「レッドボトルコーヒーでも別にいいや、最悪スナバでもいいけど……」


 文句をいうその姿に、不満を述べるその声に、ナナトの胸は締め付けられて、なにひとつ答えることができない。


「なんで黙ってんの?」

 ナナトは腕を捕まれる。セルフィーのあきれているようでもあり、ほっとしているようでもあるミステリアスな笑顔に心臓を射抜かれる。


「いや、あのそのあの、スナーバックスは町、町まで行かないとないんじゃないですかね?」


 カモメが鳴いた。日の高さが地球よりも高い気がした。


「だ、だからっ、は、はは早く行こう!」


 赤らんだ顔を悟られないように、ナナトは半ば逃げるように森の中へと駆け出した。前屈みにならざるをえないことを悟られないようにするためでもあった。


「えっ? ちょっと待ってよ」

 セルフィーもドタバタと彼を追った。



 ――森、というにはあっさりしすぎた森であった。


 この世界はどんな構造になっているのだろう。よくわからない。ものの数分、ナナトたちは思ったよりもすぐに街にたどり着く。


 海辺のリゾートといったところだろうか、そのランドスケープは綺麗、いや本当にとても綺麗なのであるが、ナナトはなんともいえない気持ちになった。


 それもそのはず、エキゾチックな外観のコテージが各所に点在している、それだけならよいのだが、低層のコンクリート造りの建物に加え、ホテルっぽい感じの高層建築物まで見え隠れしていて、道は舗装され高級車でいっぱいだ。あまりに現代的というか、なんというか。


「……中世ヨーロッパ風」


「えー、こっちのほうがいいじゃん。衛生的で」


 とりあえず二人で街を散策する。建物こそ期待外れではあったが、往来を行き交う人々はハワイやバリ島などとはわけが違う。人間以外にもエルフにオーク、ゴブリンなどがわんさかいる。そして皆、容姿が優れていた。老若男女の顔面偏差値の高さにナナトはすっかりげんなりした。世界を創造する際には美男美女だけを求めてはいけない。少なくとも男は全員自分より不細工に設定するべきだったのだ。


 当然、人々の格好も小奇麗で洗練されていて、血染めのボロをまとったナナトたちはどうしても目立ってしまう。


「ねぇこの服なんとかしない?」


「どんな格好でも見下されない価値観も作っておくべきだったなぁ……」


「てかさ、お金は?」


「お金? んなの王様んとこ――」

 言いかけてからナナトは気がついた。


 ここまで発展している世界で、王が画一的に金銭を恵んでくれるなんてシステムがあるとはとても思えない。セルフィーが失業保険だの生活保護だの言っていたのを思い出す。ならそれを貰えばいいのではと思うが、どうやって受け取ればいい? そもそも俺たちの戸籍は? 働くにしても、身分不詳の奴を雇ってくれるほど文明レベルは低くなさそうだぞ。


 さて一気に険悪なムードになってきた。


 元引きこもりのナナトには場をつなぐ話題もなく、セルフィーはついに文句すら言わなくなって顔を伏せ、ただ黙々とナナトの一メートル前方を歩くだけとなる。


 ――どうしよう。


 金がないという現実はあまりにも非情だった。まあ異世界転生にありがちな展開といえばそこまでなのだが、自分たちにはそれを回避することだってできたのにと考えると、ナナトは自分のバカさ加減に後悔を禁じえない。


 腹も減ってきたし、なによりも喉が渇いた。


 日光がじりじりとナナトの肌を焼く。無限にしたたる汗。爽やかな南国の太陽が苛立たしくてたまらない。


 警察に助けを求めようと思っても、たまにすれ違う警官は皆一様にドーナツ片手のサングラスで、腰元のピストルだけがやたらと現実的で、適当にあしらわれるか投獄されるオチしか浮かばず、彼の気は滅入る一方だった。


「もうダメ死ぬ……干からびる」

 ナナトがそんな口すら利けなくなってきたところで、


「ねぇ」

 セルフィーがいきなり足をとめた。

「このお店」


 彼女が指さしたのは通り沿いのとある商店だった。


 コテージやホテル、カジノやサーフショップばかりの街の外れにそれはあった。ウィンドウ越しに見えるペットボトルの飲み物やスナック菓子。コンビニとまではいかない、個人経営の雑貨屋といったところか。


「とりあえず入ってみるか」


 ぶっちゃけ限界だった。最悪物々交換でもいいから水を恵んでもらいたかった。


 ナナトは扉を押して店に入る。


 いらっしゃい、なんて声はなかった。店員は奥のカウンターの向こうに座る太った、しかし美形のオークのおっさんが一人だけ。おっさんはアロハシャツを着て、二リットルのコーラ片手に雑誌を読みふけっていた。


 ――物々交換の線はないな。とナナトは確信した。


 てかよく考えたら、このおっさんってさっき生まれたばっかで俺たちよりも若いんだよな、こういうのってなんて言うんだっけ? 世界五分前仮説ってやつだっけ? 

 脱水状態で若干朦朧としはじめている彼の意識には、とりとめのない考えばかりが浮かぶ。


 ナナトは持ち前のシーフスキルで棚に置かれたチョコバーを片っ端からポケットに突っこみつつ、ざっくりと店内を物色する。


 エレクトロニックでダンスなミュージックぽいなにか、具体的にはフグリレックスっぽい曲調のなにかがBGMとして流れる店内には、炭酸飲料やアイスクリームなど各種飲食物の他にも、スマートフォンや掃除機などといった家電、化粧品、拳銃と銃弾、エクスカリバー風の剣やアンティーク調の厳めしい盾などが売られており、まさに雑多、混沌そのもので、世界観もクソもあったもんじゃなかった。


 セルフィーがなにげなく棚に置かれたリボルバーをつかみとる。ナナトもつられてその隣の狩猟用ショットガンを手にとった。


 BGMのベース音がやけにナナトの腰に響く。曲のバックに歓声が聞こえる、流れているのはどうやらライブ盤なのであろう。


 それはおすすめの品なんですよ、とか、さっそく装備されますか? などという愛想もなく、店主は足を組み換え雑誌を読み続けている。雑誌のタイトルはナナトも大好きな『愛楽天』。もうなにもかもが最悪であった。


 ナナトとセルフィーは、「いけるよな」「今の私たちなら大丈夫でしょ」「だよな」などと目配せだけで会話し、銃に弾を込めゆっくりと店主に近づいていく。


 フグリレックスはいつのまにか、やや強引なブレイクを挟みつつ、異様に長いドラムロールを展開していた。


『メイク・サム・ファッキン・ノーーーーーーイズ!』

 ヴォコーダーで歪められた掛け声が入り、曲が最後のサビに突入する瞬間、


 ナナトたちは武器を店主に向けた。


「おい、強盗だ。金を出せ!」


     了

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