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通報

 ――警察はまだ来ないの?


 セルフィーは何度となく足を組み替えていた。一日中のデスクワークでふくらはぎはもうパンパンだ。サンダルのストラップを緩めたくてたまらない。


 非常通報装置を押してすでに五分は経とうとしている。だが、事態が進展する気配はまったくなかった。


「ちょっと快慶さん、いや快慶、突っ立てないでそこの監視カメラ、さっさと切って!」


 死人の少年は敬語とタメ口を行ったり来たりしながらあたふたと快慶に指示を出している。汗だくの生白い肌、ひょろひょろの身体にグリーンのぶかぶかのジャージがみすぼらしい。


 さっきは少し気が動転してしまったけれど、今少し冷静になって考えてみれば、彼に銃を撃てるとはとても思えなかった。

 なぜなら机の上に投げ出された閻魔帳――安直ナナトとかいう名前だったっけ? ――ほとんど読み飛ばしたその中には「不登校」「引きこもり」「ネトゲ廃人」「キモヲタ」「コミュ障」「ニート」とかいうネガティブなワードが並んでいたから。


 学校に行く根性すらない男に、人を撃つ度胸などあるはずがない。


 要するにこれは若者にありがちな突発的、衝動的な行動にすぎず、おそらくすぐに行き詰まる。これまで何百万、何千万もの人間を地獄送りにしてきたセルフィーの経験が、事件解決は時間の問題であると告げていた。


「急いで、急げ! なんですぐに取れないんだ?」


「そんなこと言われても固いんだもの……」


 しかし問題は快慶である。

 このクソオカマはすっかりナナトとかいう少年の言いなりになって、間抜け顔で天井の監視カメラに手を伸ばしている。指先がぷるぷる震えてみっともない。その卑屈さが犯行を助長しているとなぜ気づかない?


 さっきの不手際は懲役三百年には相当する。


「あっ!」カメラが快慶の手から落ち、大きな音をたてて砕けた。


 ――ホント使えねーな。

 セルフィーは二人に聞こえない程度の小さな舌打ちをした。てか、運慶のほうちょっとトイレ長すぎじゃない? さっさとこいつ射殺してくれないと、一九時予約の岩盤浴に間に合わないじゃん。


 契約書の不履行は懲役五百年は固い。


「あのセル、セルフィーさん?」


 なにが嫌かって、当日なら半額分キャンセル料払わないといけないのだ。ドタキャンこれで何回目だっけ? もう店員に顔覚えられてるし、またあの慇懃無礼な対応されるのか……


「セ、セルフィー、なぁちょっと話聞いてる? 早く俺を異世界に連れてけよ! その後ろの扉を開いて……」


 はぁ、なんで金曜の夕方にこんな目に合うんだろう。今週はスムーズにノルマこなせてたはずなのに……。てかさぁ、今日サロンに行けないと、むくみが取れないじゃん。むくみが取れないと、明日のパーティに行けないじゃん。週末が台無しになっちゃう。なんなの? ありえなくない? 一週間頑張った自分へのご褒美すら許されないわけ?


「なあだからセルフィー! 俺だってちょっとくらい報われてもいいだろ!?」


「は? 報われ――」

 たいのはこっちだよ、と言いかけてセルフィーはハッとする。銃口がすぐ目の前にあった。いつのまにか目線の位置にまで下がっていた両手を慌てて頭の上に戻す。


「いやだって俺、蜘蛛も殺したことねーし、アニメも違法サイトじゃなくてリアルタイムで見てたし、なのに、なのに何千年も地獄とかおかしいでしょ? 別に異世界くらいいいじゃん。今までずっと品行方正にやってきたんだからそれくらい」


「品行方正?」

 その単語がセルフィーの怒りに油を注ぐ。


「な、なんだよ?」


「いや、なにもしてこなかった、の間違いじゃないかと思って?」

 わかっちゃいるが、キャンセル料三千円の恨みは相当である。


「なんだと?」


 案の定眉をひそめるナナト、だがその顔には焦りの色も浮かんでいて、少し溜飲の下がったセルフィーはデスクの上の閻魔帳を顎でしゃくりながら続けた。

「ここには、高校入学直後に不登校になり死ぬまでずっとニートだった、と記載がありましたけど? 品行方正というよりむしろ無為に時間を過ごしてきただけでは?」


 怠惰は七つの大罪のひとつ。これだけで懲役千年は追加できる。


「そそそそ……」

 ナナトが明らかにぐらつきはじめた。

「ち、違う、俺はそんなんじゃっ……」

 ふわふわと目が泳いで落ち着きない。


 いい気味だ、こうなったら警察が来るまでとことんイジメてやろう、とセルフィーはあきらかに方向を見失っている銃口を視界のはしでとらえながら続ける。

「両親からは腫れ物に触るような扱いで、現実逃避の手段はゲームとラノベ――」


 このペラッペラの閻魔帳はほとんど読んでないし、これ以上読む気もないが、最後の一ページまでどうせ大したことなど書かれていないに決まってる。七月十日生まれだからと、お手軽な名前をつけられたガキの人生など所詮はこの程度。名は体を表す。どのような名前の人間がどのような人生を送り、どのような罪を起こしやすいのか、長年この仕事をしていればそれくらいのことはわかる。


「で、でも……」


「ちょっとセルフィーちゃん!」

 いきなり快慶が泣きそうな声で叫んだ。

「犯人刺激してどうすんのよ?」


「うっせぇな! お前が仕事しねーからこうなってんだろ!」


「ひゃ! そ、それはそのゴメンなさい。ヒョロガキがこんなに動けると思わなくて」


「なにそれ言い訳? あんたたちなんておじさんに言えば一発でクビなんだから」


「う……ゴメン、本当にゴメンなさい」


「おいお前ら黙れ!」

 ナナトがわめく。

「な、なんで俺を無視してんだよ! お前らは、お前らの、い、命がかかってんだぞ! 死にたくないだろうが!」


「はぁ……」

 貴重なアフターファイブが削られようとしていることにイラつきながら、セルフィーは忌々しくデスクの時計に向けた目をナナトへと戻す。

「そもそも、あなたさっきから異世界、異世界って言ってますけど、私みたいな下っ端に異世界なんて作る能力があると思ってるんですか?」


「えっ?」


「ちょっと想像したらわかりません? 世界創造なんて強力な魔法を使えるなら、あなたなんかとっくにやっつけてますって。そんな能力を持っているのは神だけですし、私は扉を開け閉めするだけ」


「そ、そんな嘘だ……」


「この扉からはどうやっても地獄にしか行けませんよ」


「な、な……」


 ナナトはすっかり青ざめて、目には涙が浮かんでいる。


 別に嘘じゃないし、とセルフィーは思う。この仕事について五百年、地獄行きにならなかった死者は一人もいない。


 というか、泣き出したいのはこっちだった。

 そりゃコネで就活回避できたのはラッキーだし、同世代より給料もいいけど、毎日毎日こういう輩を相手にしなければいけないのだ。毎日扉を開けて閉めて開けて閉めて、なんらクリエイティビティのない、つまらない仕事。かたちだけの管理職で残業代も出ないし、足元見られてるとしか思えない。


 一度火のついた怒りはなかなか収まらない。

 所得税、住民税、健康保険、介護保険、年金、四月から消費税はまた上がった。毎年のように増える税金、その主な用途はこいつら死者どもの警備やら食糧やら住居やらなんやら。特にセルフィーの年収くらいが累進課税のシステム上一番税負担が重くなる。これが結婚でもしていれば、また事情も違うのだろうが……


 ――あぁもう、警察はまだなの? 高い税金払ってんだからもっと急げよ!


「そもそもあなた、異世界なんて行ってなにするつもりなんですか?」

 キョロキョロと落ち着かないナナトにセルフィーは問う。


「え、えーっと、あの、その……」


「どうせチート能力がどうとか、ハーレムになってどうとか、そんなところなんでしょ?」


「あ、は、そう、そうだ。チート能力で俺強ぇえっていうか……」


「どんな能力ですか?」


「えっ?」


「チートって具体的にどんな能力ですか? ちょっと言ってもらえません?」


「それはえーっと、たいていは女神さま的な存在が与えてくれるから自分ではちょっと、えー、あ、あの、いい感じな感じっていうかそのあの……」


「いい感じですか、ふーん……あ、あと異世界でも人間関係ってあると思うんですけど、そこでイジメられないってなんでわかるんですか? ソロでもプレイしやすいからって盗賊やってた人がすごい自信ですよね?」


「へぁ? あ、あの、えと、え、うぅぅ……」

 銃の先が床を向いた。


「ちょっとちょっとセルフィーちゃん、そのくらいに――」


「ねぇあなた、本当に異世界行きたいんですか?」

 セルフィーは快慶など無視して続ける。

「単に現実から逃げたかっただけじゃないんですか? あなたの行きたい異世界のディティールを教えてもらえません? もちろん中世ヨーロッパ風とかベタなやつじゃないですよね? 借り物のテンプレじゃないですよね?」


 ナナトからの答えはない。彼はただ俯き黙って肩を震わせている。


「ねえ、この閻魔帳の最後のページ、当ててあげましょうか?」

 そう言って、セルフィーは自分が笑っていることに気がついた。

「どうせ一山いくらのラノベでも読んで、死ねば異世界に行けるとか思って、トラックの前に飛び出したんでしょう? そういう人最近多いんで見なくてもわかるんですよね雰囲気で。で、みんな中世ヨーロッパ風の異世界でチート無双したいって言うんです。判で押したみたいにみんな一緒で笑えますよ。死に方すらオリジナリティがなくて人任せで、なんというか想像力の欠如、主体性のなさっていうか、それがあなたたちヒキニートが地獄に落ちる本当の理由って感じがするんですよね」


「だ、だだだまだまだまだま、黙れ!」

 ナナトは叫んだ。再び上を向くライフル。しかし銃口も唇も震えている。


「腹が立つなら別に撃ってもいいんですよ」


「セルフィーちゃん!」


「ゲーム脳のあなたにはわからないでしょうけど、人を撃ったら血が出ます。内臓が飛び出ます。泣いてわめいてもがき苦しみそして死にます。それを目の当たりにする覚悟があなたにありますか? 想像力がありますか?」


「黙れ!」


「いやいや、そう思うならさっさと撃てばいいじゃないですか? まぁ撃てないんでしょうけど。撃てる根性でもあれば、あなたの人生もまた違ってたんでしょうけどね。先のことなんてろくに考えず、行き当たりばったりで行動するからあなたは死んだ。そして今から警察に捕まり地獄に落ちる」


「セルフィーちゃん、ホントいい加減に!」


「黙れ黙れ黙れ!」

 ナナトの顔はすっかり真っ赤で脂汗まみれで、目尻からは涙がボロボロと流れ落ちている。


 主文、死亡者を懲役二万年に処す。罪状は想像力の欠如。


「お、俺はお前らの言うとおりになんてならないからな! かかか神がなんだよ。おま、お前がダメなら神に直接交渉すればいいじゃないか!」


「神!」

 セルフィーは思わず吹き出した。


「なにがおかしい!?」


「いやだって、神、神にもの申すの? あなたが?」


「そ、そうだ」


 ふっ、とセルフィーの口から再び乾いた笑いが漏れる。快慶も信じられないといった顔でナナトを眺めている。


「笑うな! と、とにかく、待合に移動するぞ。おいセルフィー、扉を開けろ!」

 ナナトは机の上の閻魔帳を勢いよくつかみとると、膝を震わせながら入り口へと移動する。


 セルフィーたちは言われたとおり彼に従う。


 扉の指紋認証を行いながら、セルフィーは振り返ることなくつぶやいた。


「あなたは絶対異世界になんて行けないんだから」

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