異世界に『愛』を
数秒か、数分か。
ナナトは痛さと寒さで目を覚ました。
目の前に広がるのは白い、途方もなく白い闇。
堕ちている、それとも昇っているのか?
そばには意識を失ったセルフィーがいる。それ以外はとにかく白い。ナナトとセルフィーは無限の真っ白な虚無の中を漂っているかのようだった。ただ二人の身体から溢れて拡散していく血の色だけがやたらと赤かった。
無間地獄――地獄の中でもどん底の地獄、最下層ゆえにそこへ落ちるだけでも二千年もの時が必要と言われる地獄。そこに向かっているのではないかというひたすらの空白。
ここがタブラ・ラサなのだろうか? そうだとしたら――
「ゲームとかでよくある、瀕死のダメージを受けても気づいたら自然と回復しているアレ。手足の一本くらいなら再生余裕な、あの力がほしい」
ナナトは小さな声で、しかしはっきりと言った。
「ああああぁぁっ……」
ぞくぞくっとしたものが全身を駆け抜けたかと思ったら、倦怠感が一気に消失した。
瞬時に身体が火照りだし、腹の中でなにかが燃えているような感覚に襲われる。心臓が妙にバクバクする。
まとわりつく血の流れが変わる。
指先に妙な違和感を覚え自分の手を見てみると、銃で吹き飛ばされたはずの指が復活していた。
「はっ、ははは……」
ナナトは長い長い息を吐く。
――やった。ついに俺はやったんだ。
糸が切れたみたいに身体から力が抜けた。
首から肩にかけてじゅわっと脂っこい汗が吹き出してくる。だけど手に入れた謎の自然治癒力のせいか、疲労はあまり感じなかった。
次いでナナトは漂うセルフィーに最高のポーズをキメて言った。
「万物に宿りし五色のエレメントよ、傷めるものたちを包みそして癒せ。キュアスフィア!」
それはナナト自ら編み出した渾身の回復魔法、自分だけのチートスキルであった。
セルフィーの小さな身体がビクッと震え、血だらけの服の中で大きな胸が揺れた。
なくなった左手首がにょきにょきと再生し、蒼白の肌が急速に明るさと潤いを取り戻していく。
空間を無軌道にたゆたうピンクの髪は血に汚れていてもとても綺麗だった。そして、
「……ナナト?」
セルフィーがゆっくりと目を開く。きらめくサファイアのあの瞳。
「セルフィー!」
「……ここは?」
「タブラ・ラサだよ!」
ナナトは叫んだ。
「俺たちはやったんだ!」
「えっ?」
しかしてセルフィーのリアクションは冷めていた。
「ねぇ、ちょっとねぇ? 私たちがここに来てから何分たった!?」
「へっ?」
せっかく助けたのになんでキレられるの? 予想外の反応にナナトは戸惑う。
「えーっと、たぶん二、三分だと思うけど……?」
「マジ!? ちょっともうなにやってんの!? タブラ・ラサの世界書きこみは入室してから七分しかないんだよ、早く決めなきゃ!」
「え!? なにそれなに? 先に言ってよ!」
「バカ! そんな余裕なんてなかったじゃん! つかとにかく早く、なんでもいいからなにか言って!」
「えっ、ちょっ、急に言われてもそんな、えーっとじゃあカワイイ女の子!」
ナナトが言い終えるやいなや、なにもなかったはずの空間にカワイイ女の子たちが大量に出現した。
「うっは、マジかよ!」
レッド、ブルー、グリーンと色とりどりの髪。ケモミミ、クーデレ、処女ビッチ、眼鏡っ娘といった各種属性。文化、時代のごっちゃになった様々なコスチューム。彼女たちは学校という概念がなくても制服を着て、給仕という概念がないのにメイド服をまとっていた。顔が全体的にロリっぽいのはナナトの趣味の反映であった。
「いやいやいやいや、それより前にもっと言うことあるでしょ!」
「え、いやだって、俺とりあえず傷治すことしか考えてなくて……」
セルフィーに怒鳴られ、ナナトはしどろもどろになる。
「じゃあえっーとカレーと……あとコーラ!」
当然そのとおりのものが出てくる。
「それとBMMドットコムとティッシュも!」
「は?」
セルフィーがキレる。
「や、だって……」
ぱっと浮かんだのがそれなのだから仕方ない。実際大事なアイテムだし。まぁさすがにもっと重要なのがあるのでは、とナナトは自分でも思う。けどとっさには無理なのだ。
パニクりながらナナトは続ける。
「他、じゃあ他には“愛”とか?」
「はい?」
「愛、ラブだよラブ、一番大事っていったらこれでしょ? なによりラブが――」
「あーもうあんたってやっぱ想像力ゼロ!」
セルフィーはため息をついて、そして言った。
「光あれ!」
のっぺりとした空間が明るくなって奥行きが生まれた。続いて出現する太陽に空、大地と海。
セルフィーは次々と必要不可欠な単語を発していく。
月、星、植物、動物、魚、鳥。
ナナトは肌に心地よい風を感じた。
いつしか彼らは雲の上だった。重力も生まれたのだろう、自分の身体が落下を始めたのが理解できた。
「すげぇセルフィー、マジで異世界だ!」
「いや驚いてる暇ないから、他にも――」
「カワイイ男の子も追加だ!」
セルフィーの言葉は上空からの叫びに掻き消された。
ナナトが見上げると、上空からものすごい勢いで人が落ちてくる。
その赤黒い人物には見覚えがあった。ありありだった。
「ピラティス! なんであんたが!」
瞬くまにピラティスがセルフィーにつかみかかる。
「お前っ、よくも男と! ナナトとぉっ!!」
ギラつく双眸が血塗れの顔に光る。もつれ合う腕と腕、脚と脚、ぶわっと広がる二人の髪、乾ききっていない血が、汗が跳ねる。
「はぁっ? なに言ってんの? 妄想たくましすぎなんじゃないの?」
「よくもよくも、『ゴールするときは一緒』って!!」
「あぁ、それまだ覚えてたんだ。あんなの冗談に決まってんじゃん」
「なにぃっ!?」
「仕事用のスーツでパーティー来る女に男なんかできるわけないでしょ?」
「殺す!」
「うっ――」
暴れるセルフィーからピラティスはあっさりとバックをとった。
「絶対に殺す!!」
さすがにピラティスのほうが強い。彼女は長い腕をセルフィーの首に巻き付け、ぐいぐいと締め上げていく。
「くぅぅぅっ…………」
セルフィーの顔がみるみるうちに色を失っていく。
二人はそのまま空中で縦に一回転すると、錐揉み状態になって落ちていく。頭から真っ逆さま、空気抵抗が少ない分速い。
まずい、早くなんとかしないと――
「剣!」
ナナトの言葉に応じ、空中に無数の剣が生まれる。
そのうちの一本を取ろうと彼は手を伸ばす。落下中のピラティスと視線がぶつかる。
「銃!」
今度はピラティスが叫んだ。彼女はセルフィーを押し飛ばし、出現したショットガンをつかみ取る。
「えっ? じゃあ盾! あらゆる攻撃を防ぐ盾!」
ナナトが出現した盾をつかむと同時に炸裂音、両手に衝撃。
「のぉおうっ!」
持ち方が悪く両手首がジンジンと痺れる。しかしなんとか散弾を防ぎきれている。
ピラティスの舌打ちが聞こえた。
「なら、あらゆる盾を貫く矛だ!」
「そ、ちょま、えぇっ!?」
ピラティスは銃を捨て五メートルくらいある長い矛を手に取ると、空中に浮かぶ金髪ツインテールの幼女を蹴り飛ばし、その反動でナナト向かって突っこんでくる。
「うほぅ!」
ナナトの盾にピラティスの矛が触れた瞬間、矛と盾は対消滅した。だが、
「死ねぇっーー!!」
「ちょま!」
消滅の衝撃では勢いまでは殺しきれず、猛スピードを保ったままのピラティスがナナトに迫ってくる。血に染まり逆立つ水色の髪がライオンみたいで、タカみたいな瞳が憎しみ百パーセントって感じで、ハチャメチャ怖い。
ナナトはキュアスフィアの効果範囲を広く取りすぎたことと、敵味方で当たり判定を区別するよう設定しなかったことを死ぬほど後悔したが、いまさらどうしようもなかった。
ピラティスが殺意に満ちたオーラをほとばしらせながら、再び近くの銃をつかんだ。それは中世ヨーロッパではありえないような自動小銃で――
「か、風の精霊よ、我に力を。エアロバースト!」
ナナトは取ってつけたようなポーズで叫んだ。
刹那、気流の流れが変わり、空気の密度が明らかに薄くなる。
「ナにっ!?」
ピラティス向けて強烈な風が吹き抜ける。放たれた銃弾の軌道が変わりナナトのすぐそばをかすめていく。
「異世界って言ったら魔法なんだよ! 銃とか頭固いんだよオバさん!」
もう一発。
「エアロバースト!」
「お、オバぁっ!? ぬ、っうぉぉぉぉっっっ!!」
ピラティスは圧倒的な風圧に吹き飛ばされながらも、狂気の形相でもう一度銃を構えようと――
「雷の精霊よ、我に元に来たりて敵を射抜け。エレクトリックボルト!」
銃が火を噴く直前で、真下から矢のようないかづちがピラティスの全身を貫いた。
骨が透けるほど痙攣して気を失ったピラティスは、風に流され、あっというまに空の彼方へと消えていく。
ナナトが下を見るとそこにはサムズアップするセルフィー、だが、
セルフィーナイス厨二センス、と言うことはできなかった。
「うぷっあっ……!」
いまやナナトもまた激烈な風圧を受けていて、正直まともに息もできなくなっていた。
――自分の魔法の反作用でピラティスと真逆に飛ばされている!?
「ヘァ、ヘァッ、ヘハロぴゃースト!」
唇が裏返り、泣きそうになりながら逆方向に同じ風魔法を放つ。
するとなぜか身体は上空に舞い上がる。勢いを殺そうとするもうまくいかない。
「ヘにゃロぴゃすトっ、ニェあっロばっスト、ふぇアッロびゃっすトぉぉぉ!」
何回も魔法を連発していると、もにゅっとしたなにかに背中がぶつかりとまった。
「いやん、だめニャン!」
振り返るとそれはケモミミの女の子であった。胸のたわわたわわした感触がやけに“リアル”だった。めっちゃ巨乳だった。
「なにやってんのよ、この変態!」
オッドアイのハーフエルフ、チアガールコスの男の娘、カイゼル髭の執事の順にイケメンを蹴り飛ばしながらこちらに飛んでくるセルフィーにナナトは思い切り平手打ちされる。
いい感じに勢いがついていて頬がピリッと痛くなる。これも“リアル”。
「痛っ、い、いやつーかさ、こういう世界の物理法則ってもっとこう適当なんじゃないの?」
「適当?」
「作用反作用の概念あるとか聞いてねーし、異世界って普通天動説的な世界くない?」
「は? 私の創造に文句あるわけ? しかも天動説ってなに? 大学の時ちょうど天から地の切り替わりくらいだったし、人をオバさん扱いしないでくれる?」
セルフィーは青筋を立てた。
「それって相当……、いや、ま、ちょっとわかったから落ち着けって、とにかく続きだ。な、異世界って言うならやっぱモンスターが欲しいよね。グリフォンとかクラーケンとかケンタウロスとか」
「あんたバカ? そんな物騒なの却下!」
「ええっ!?」
セルフィーの発言で生まれたばかりのグリフォンたちはみんな化石化してしまう。
「ひどい!」
「そんなのよりもっとファンシーなの! マカロンとか」
「ちょ、いらねぇー」
ナナトが戸惑っている間にも、セルフィーによってナナトがイメージする異世界とはかけ離れたものがどんどん生み出されていく。
ミニサボテン、サードウェーブコーヒー、バスソルト、yPhone、yPad Air、足湯、EDM、サングリア、吸引力の変わらない掃除機、女子会、一眼レフ、アロマキャンドル、サクふわパンケーキ、夏フェス、ボルシェ、マウディ、美魔女、春野菜のアヒージョ(バゲット付き)、食べて痩せるダイエット、リネンのワイドパンツ、UVケアクリーム、etc.
「ちょ、ちょっと待ってよ、そうだギルド、ギルドも作ろう」
「ギルド作るなら失業保険と生活保護も」
「そういうのはよくて!」
「はい? 私たちこの世界じゃ無職じゃん! 年金は? 健康保険はどうやって払うの? ナナトはここをセーフティネットもない世界にしたいわけ?」
「だからなんでそうなるの!?」
二人の意見は完全に食い違っていた。そして二人ともアホだった。
「つかそれよりちょっとやばくない? 海があんなに近くに!」
「パラシュート!」
あれ?
「ゴムボート!」
えっ?
もしかして時間切れ!?
「あーもうなんなんだよ!」
海に落ちる直前、ナナトは下向きにエアロバーストを放ちながらセルフィーの手をぎゅっとつかんでいた。