正義の体現者たるもの、当然LGBTには寛容であるべきだ
「サーモ復旧完了です」
「どうだ?」
「依然熊廣は局長を盾にしています。撃たれた人質、犯人どちらも辛うじて生きていますが、体温どんどん低下していきます」
落雷でモニターのほとんどがやられてしまっていた。なんとか壊れずにすんだのですら液晶に黒いシミや虹色のストライプが入って痛ましく、完全な視野を確保できない。再びブラックアウトした中央のモニターをメタ村が原始的に叩いて直す。
なお火種のくすぶる屋根、完全に燃え落ちたところからは雨水が容赦なくしたたって、地面は水浸しで靴の中まで浸水している。下は洪水、上は大火事といったところか。そしてそれはピラティスの体内でもまた同じだった。脳は発火し続けていて、内臓は芯まで冷えきっている。
「なんでだ? なんでまだ突入しない!?」
何十回目かの雷。
「いやいや神様、いま突入すれば間違いなく人質が殺されますって!」
署長はもう落ち武者ヘアを直そうともしていない。
「人質? そんなものはいない! セルフィーはテロリストの一味だ!」
「そんな!」
「いいか、シナリオはこうだ。この事件は人間どもに感化されたセルフィーによる天国社会、ひいては神への信仰に対するテロリズムだ。よって今からアークエンジェルズが突入、犯人は全員射殺、死人に口なし」
「いやあんた、一応身内でしょうが!」
「吉田ちゃん、キミもうクビね」
「ひゃ? い、いやあのそれは……」
「ここではワシが責任者、ワシが神だ。ワシの言ったことが真実だ。セルフィーはワシがこづかいやったとか、ケツ触っただとかいう妄言で天を惑わす凶悪犯だ」
強い風が吹いて、ハリボテのテントがバタンと真横に倒れた。
「とっととクソ亡者どもを散らせぇぇっ!」
神の叫びは衝撃波のように轟く。
「殺しぇぇぇっ! 全員殺しぇぇぇぇっっ!!」
ピラティスのスーツがみるみるうちに濡れていく。
もう暴風雨を妨げるものはなにもない。ボロボロの机とモニターとテントの残骸を前に、警官数人が立ちつくしている光景はものすごくシュールなことだろう。
周囲にあれだけいた死者はもはや誰ひとりとして残っていない。皆公園中央で大きな翼を広げるマスタードラゴンの陰に避難している。パラディン部隊もほとんどそちらに行ってしまった。
「なんの罪もない人質まで殺すつもりなんスか!」
水圧に痛みすら感じる雨の中から突然低い男の声がした。
「神は悪魔ッス!」
「おい動くな、撃つぞっ!」
「お前らもッス、プライドってもんがないんスか!?」
「うるさい黙れ!」
それはピラティスにとってよく聞き慣れた声であった。剣呑な雰囲気の中心にいるのは警官数人がかりで押さえ込まれている大きな男。
「っ……」
視線を向けたピラティスは言葉を失った。
地に伏しているのはやはり明朗であった。
「署長! こいつが、明朗が情報をリークしていた犯人です!」
「なにぃ?」
皆が駆け寄る。
「だって恋人が殺されるかもしれないんスよ!」
屈強な警官数人のパワーすら振り切る勢いで明朗が暴れまくる。泥だらけのシャツ、破れたスラックス。水たまりに溺れそうになりながら彼は言った。
「どんな手を使っても阻止するッス!」
「な、なんだと……?」
ピラティスには彼の発言の意味がわからなかった。
「まさか……」
慌てて彼のもとにしゃがみ込む。ありえん。局内に恋人がいるだと? そんなことありえない。
「まさかお前……」
まさかセルフィーと付き合って? 彼女いないってのは嘘だったのか!?
明朗は口に入った泥をペッと吐き出すと、キッとピラティスを見上げて言った。
「なんスか、先輩もぼくを見下すんスか? ぼくがゲイだからって……」
「……えっ!? はっ、あえっ!?」
軽蔑のこもった明朗の三白眼。雨に濡れた褐色肌と銀の髪。
「なっ、なっなっ、そんな嘘、違っ……」
ピラティスは彼の言葉を必死に咀嚼する。だけど“ゲイ”、その単語は咀嚼しても咀嚼しても飲み下すことができず、口の中がネバネバする。そして口の中がネバネバするからなにも答えることができない。
「目障りだ。さっさとそいつを連れて行け!」
神が怒鳴り、雷がほんのすぐそばに落ちた。今までで一番大きな雷だった。
数人がかりで持ち上げられた明朗から泥が撥ね、ピラティスの頬にかかった。
「なにが正義だ。先輩だって神の命令に従うだけの操り人形じゃないッスか!」
「…………」
ピラティスは絶句する。
罵倒されるのは慣れていた。男にフラれることも慣れていた。何十回、何百回も経験したことだった。それでもきつかった。つらくてつらくて叫びたかった。
「あんたたちのほうが死人たちよりよっぽど罪人ッス!」
明朗の叫び声は雨の中をこだまして拡散していく。
「罪人?」
その言葉にピラティスの顔がこわばる。
私は警官だぞ。正義の体現者であり神の代弁者だぞ。
ピラティスは黒い気持ちをぐっとのみこんで、震える唇を気合で抑えこんで言う。
「明朗……お前には重い処分が下るだろう。覚悟しておけ」
「けっ、犬めがっ……」
ピラティスはじっと明朗を見据えたまま、それ以上はもうなにも返さなかった。
そして血がにじむほど拳を強く握りしめ、鼻から大きく息を吸いこみ彼女は言った。
「全員射殺だ!」
「え、ちょっとピラティスくん!?」
署長がおろおろと首を振る。
「署長、事態を収拾させるにはこれしかありません!」
ピラティスは濡れた髪をかき上げる。目頭が熱い。身体が震える。
「今すぐ突入です!」
「ちょ、ちょっと待ってください。今の雷でサーモがまた壊れました、再設定まであと三分、いや二分だけ待ってください」
ここに来てメタ村がアホなことをぬかすが、そんなこと知ったこっちゃない。
「なら私が直接行く!」
ピラティスは怒鳴る。
まともに実戦経験のないアークエンジェルズなど当てになるとは思えない。私がやる。私が殺す。
「そんな、ピラティスくん?」
「神様、いいですよね?」
「ああ、ワシが最大限にサポートしよう」
「ちょっと神様!?」
「では」
ピラティスが明朗に背を向けると、
「……先輩は鬼ッスね」
彼女向かって明朗が言った。先ほどまでとはうってかわったか細い声だった。
「そうだ明朗、正義のためなら私は鬼とも悪魔ともなろう」
ピラティスは歩く。
歩く。歩く。歩く。
もう後ろは振り返らない。
どうせこの雨だ、わかるはずはない。だけど、涙を流しているのを悟られたくはなかった。
ただひたすらに歩く。キャリアの矜持を腹に込める。
だが門の手前でふと思い当たって、ピラティスは足をとめた。
「一つだけ聞かせてくれ明朗」
振り返りはしない。しかしこれだけは聞いておかねばならなかった。
「……お前は攻めか受け、どっちなんだ?」
風が凪いだ。
雷が再びそばに落ち、一瞬昼のように明るくなって、そしてまた暗くなった。
「……受けッス」
明朗はそう小さくつぶやいた。
「そうか」
そう言って、ピラティスは公園の門を抜ける。
彼女の姿は滝のような雨に消えた。