『異世界』爆誕!
「ピラティスちゃん、スタイルいいねぇ、モテるでしょ?」
ピラティスはインタビューから戻ってきた神にお茶を注いでいた。
さっきの地震でデスワームが死んで、せっかく到着したアークエンジェルズも手をこまねいているというのに、神はあまり不機嫌ではなさそうだった。いや地面の揺れ具合を考えるとそれなりに焦っているようではあるのだが、それを上回るなにか別の感情があるのかもしれない。
「いえいえ、そんな恐縮です」
神々しいグリーンのオーラをまとった神の足元には、なぜか赤黒く卑猥なかたちのキノコが生えている。
パンプスの裏に張り付くカエンタケっぽいキノコの粘着力、ベニテングタケっぽいキノコが発するスルメのようなスメルにぞわぞわする。
「ピラティスちゃんは付き合っている男とかいるの?」
「いやーいやいや神様、私など……」
ねっとりと全身を舐め回す神の視線。スカートの中まで貫通するような眼力にピラティスはジリジリとした羞恥心を覚えたが、今は急須を傾けることだけに意識を集中した。
耐えろピラティス、神に目をかけてもらえるなんて出世のチャンズだぞ。
「ど、どうぞ」
湯のみを差し出す。
「ん、ありがと」
と言って、湯のみに手を伸ばす神の肘がありえないくらい不自然にテーブルの書類の束に当たる。
「あ、あぁーっ、やっちゃった! しまったなー、チクショー!」
バラバラになった書類はキノコの山の上に無残に撒き散らかされた。
「ごめーん、ピラティスちゃんっ、ちょっと拾ってくれなーい?」
ナメコのような笑顔。
「かしこまりました」
ピラティスはスカートの中を見られないよう器用に脚を折りたたみながら、セルフィーのことを思い浮かべた。
モニターの向こうでセルフィーが先ほど漏らした言葉が、棘のように心に突き刺さっていた。
自分がこんな恥辱に耐えている一方で、コネでホワイトに潜りこめた人間がいる。
私だって行けるものなら審判局に行きたかった。九時五時だし、土日祝完全休みだし、制服も可愛いし、一日中座ってればいいだけじゃん。アフターファイブにデートだって、生花教室だって、チワワ飼ったりだってできるわけじゃん。
なんという不平等、不公平。アンフェアの極みではないだろうか?
一枚、一枚、書類を拾っていくうちに胸の中にジェラシーの炎が燃え広がっていく。
なによりナナトと楽しそうにしてたのがムカつく。彼は私のほうが先に目をつけていたはずなのに。なにが「ゴールするときは一緒」だよ、自分ばかりいい思いしてさ。あーもう裏切られた。最悪だ。
――でもまあいい。どうせお前のコネももう終わりだ。
いくら限界状況だろうが、寿司だの焼き鳥だのを美味そうに食えば重罪だ。死者と一緒に神を冒涜するなど前代未聞だ。証拠は現在進行形で録画している。
グシャァッ!
ジロジロとこちらを眺めていた神と署長とメタ村がビクリと身体をすくませる。ピラティスは気づかずに紙の束を強く握りしめていた。
これには彼女自身も驚いて、すみません、などと口ごもりながら紙のしわを伸ばしテーブルに置く。
「あ、あぁ、どうもありがとピラティスちゃん」
「いえいえ、とんでもございません」
――それに私には明朗がいるじゃん。
明朗ってホントバカ。こんなハゲ適当に頭下げときゃいいのに。でもま、そんなところが好きなんだけどさ。なんていうか若くて真っ直ぐで……あーもう可愛い、あとで私が慰めてあげる。これからは私が養ってあげるからね。
「しっかしひどいな、犯人同士ですら仲良くできないなんて、やはり人間どもは野蛮だな」
神からオーラが消えた。
モニターの中では、ピラティスのマンション並みに散らかった床の上に、お通夜の表情で座りこむ犯人と人質たち。
ちょっと目を離した隙に、局内は険悪なムードになっていた。
「チーちゃん、トイレ」
「ナナトっちさん、今何時かわかりますか?」
「私、ちょっと眠ってもいいかな?」
ナナトは人質も仲間さえもコントロールできていないようだった。CCDの荒い画質でも彼の目の下にできた隈がはっきりと読み取れた。
そんなモニターの向こうで着信音が鳴った。
「出てもいいかしら? 彼氏からなの」
警備員のスマホだった。
ナナトが「いいよ」と発する前に彼は電話に出ている。
「酒は飲むし肉も食う、それにこの状況で私用の電話などいい身分だな。ワシは超重要な会合を切り上げ、こんな狭いテントに出張っとるというのに……」
床のキノコがしなびはじめる。
「さっさと突入しろ! 人質など死んでも自業自得だ。セルフィーにもお灸を据えたほうがいい」
「し、しかし神様……」
「なに? 吉田ちゃんも仕事辞めたいの?」
気温が明らかに高くなった。
「い、いえそんなめっそうもございません。めっ、メタ村くん、首尾は?」
「はい。神様のご加療によりたった今回復しましたワイバーンは、合図次第でいつでも飛び立てるとのことです。アークエンジェルズも配備完了。正面玄関及び転送室からの同時突入で、二分で制圧できます」
「よし電気を!」
神が手を振り上げたとき、テントが開いた。
「まっ、待ってください」
汗だくの警官が転がりこんできて息を切らす。
「はぁはぁ」
「なんだどうした?」
「はぁはぁ、テレビを、はぁテレビ天国の、はぁニュースをっ!」
言われるがまま、メタ村が中央のモニターをテレビ天国に切り替える。
そこに映る映像に、ピラティスの目は点になった。
「は?」
意味がわからなかった。
まったく同じ。そこには仕掛けたカメラとまったく同じ映像が映っていた。
メタ村がリモコンをひっくり返しそうになりながらモニターを二分割表示に切り替える。
スマホ片手に相づちを打つ警備員、死んだ魚の目でソファに沈みこむセルフィー、散り散りに行動する犯人たち。CCDカメラとテレビ天国、左右の映像は画質も角度も寸分の違いなく同じだった。ただ唯一違うのはテレビ天国画面下部のテロップだけ。『テレビ天国のみの独占生中継』
一同が唖然としていると、モニターの中でスマホ片手の警備員が叫んだ。
「ちょっとテレビつけて! 8チャンネル、早く!」
ナナトがしぶしぶリモコンを持ち、それをこちらへと向ける。
「え?」
テレビの中と外、全員が驚愕の表情のまま石化する。お互いになにが起きているのか理解できるまでの間、時間の流れが数瞬とまり、そして一気に流れ出す。
「おい漏らしてんの誰だ!」
「早くとめろ!」
「いつから、これいつから漏れてんの!?」
テントが揺れる。再び大地震だ。ピラティスとメタ村は倒れかけたモニターを慌てて押さえる。自分たちも倒れぬようにと足を踏ん張る。
警官たちが文字通り転がりながら外に飛び出していく。群衆の悲鳴はさっき以上だ。メタ村が計器を必死にいじり、情報が漏洩した原因を調べまくる。
「ありえねぇ、なんだよこれ!」
「ピラティスちゃん、やっぱり騙してたのね!」
画面上でナナトたちもパニックに陥っている。
テレビ天国だけはのんきに『犯人、CCDカメラに気づいた模様』とのテロップを表示し、タレントはワイプでアホ面を浮かべてやがる。
「クソマスコミを黙らせろ!」
立ち上がった神がテーブルに拳を叩きつけると、空の紙コップに火がついた。周囲の書類やゴミに引火してテーブルの上が火の海と化す。
「クソ!」
ナナトが足元の寿司桶を蹴り飛ばし、モニターの向こうのピラティスに銃を向ける。
「きゃ!」
飛び散るガリにセルフィーが身を伏せた。
「ナナトっちさん、テレビはこのままのほうが使えますよ」
「きゃ、なにちょ、ひゃだQちゃん待って待って頂戴、怖い、怖いわー、助けて!」
ヘッドホンの音割れの原因はライフルを向けられた警備員の甲高い叫び声。
ピラティスの心臓は狂ったかのように脈動していた。
ヤバい。てか誰だよ『匿名の情報提供者』って。ありえない。こんなのあってはいけない。
「吉田ちゃん、突入!」
「いやでも神様、えーちょっとこれどうしょ……」
炎はついにテントにまで燃え広がった。地面の揺れに合わせ火の粉が舞う。SPが消火器を振り回すも勢いは収まらない。
ここでナナトから電話だ。間髪入れずピラティスは受話器を取る。
汗で髪が額に張り付き不快だ。テンパるおっさんどもがうるさい。ビニールが燃える悪臭に息をするのも嫌だったが、努めて冷静を装い口を開く。
「なんだ?」
「は? なんだってなんだ? それはこっちのセリフだ、なんで俺たちがニュースに流れてる?」
「わからん。私だって知りたいくらいだ」
「は?」
「キレられても困る。恨むならマスコミを恨め」
「どちらにしろお前らは俺たちを騙して監視していた、違うか?」
「…………」
「クソ、なにが信頼だ! 人質が死んでもいいのか?」
ナナトの声にヘッドセットをつけた場の全員の顔が歪む。
「おい早くこのガキどもを殺せ!」
床に散乱する消火器の泡。スーツに火が燃え移ったSPが泣きわめく。燃えるテントの骨組みが嫌な音をたててきしみ、このままでは倒壊するのも時間の問題だろう。
そんな状況をナナトが考慮してくれるわけもない。
「おい神に伝えろ。てかそこにいるんだろ? 今すぐ異世界に繋げろ、繋げないとお茶の間にショッキングな映像が流れるぞ!」
「とっとと殺せ、アークエンジェルズはなにをやっとる!」
「いやま、まだあの、かかか神様とりあえずここは時間稼ぎを!」
「はぁっ!?」
「い、いやでも、報道されてますってこれ!」
「……クソがっ!」
神が叫ぶと燃え落ちたテントの隙間から眩い光が差しこんだ。ほぼ同時に尋常でない轟音。すぐ近くに雷が落ちたようだ。
「ッチ……此岸も彼岸も、生も死も、破壊も再生も、すべては虚ろの名のもとに――」
神が目を閉じ詠唱を始めると、その大きな身体が赤く発光し、周囲の空気が圧縮されていく。
「光より明るく闇より暗き無よ、黒より白く白より白き無よ、今こそ我が前に顕現せよ。タブラ・ラサ!」
そして静寂。
「……タブラ・ラサに繋げた、とセルフィーに伝えろ」
目を開き神が言った。目は血走り、禿頭からは湯気が上がっていた。
ピラティスは言われたとおり、ナナトにそれを伝える。
「本当か? あ、テレビが『しばらくお待ちください』になったぞ。嘘ならどうなるかわかってるだろうな!」
ピラティスが答える前に電話は暴力的に切れた。
「おい今だ!」
ここぞと神が叫ぶ。声のボリュームがものすごく、ヘッドホンをつけていなければピラティスの鼓膜は破れていたに違いない。
「今すぐ突入しろ!」
再びきらめく電光と雷鳴。
そしてビリビリと全身が、空間全体が痺れるような一瞬の感覚の後、テント内のあらゆる電子機器が火花を上げて燃え上がった。