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コッチヲ見ロッ!

 銃撃戦のあとからチーちゃんの動悸は収まらなかった。


 いくら呼吸をしても酸素が足りない気がする。視界が暗くコンタクトを外したくてたまらない。


 まだ地震が続いているのだろうか?

 コーラの液面がふるふると揺れている。いやもしかすると、揺れているのは自分のほうかもしれない。まあどちらでも同じことだ。


 テレビに向かって右側、一人がけのソファでチーちゃんはクマのグリちゃんをひたすらにいじくりたおす。ぬいぐるみの柔らかい感触をねじって落ち着こうとする。だが捕まる、殴られる、殺される、死ぬ、消える、そんな思考のループから抜け出せそうな気配はなかった。


 テレビの前、床の上にはジャンクな食べ物が並んでいる。ハンバーガー、ラーメン、フライドポテトにコーラ――この一ヶ月公園で食わされ続けた謎い粥と違って、見慣れた食べ物。それらにもまったく食欲がわかない。むしろ生暖かい脂の臭いと使い捨て容器のカラフルな色使いに吐き気すら催す。色黒の警官は毒など入っていないと言っていたが、正直まったく信じられない。


『人質の救出を再優先に考えております』


 テレビの中では女性警官がインタビューを受けている。さっき外でナナトと話していた奴だ。黒のスーツに水色のショートヘア。きりりと引き締まった顔にフラッシュの光がパラパラと反射している。


『犯人の三人はいずれも死者の若者です』


 ピラティスとかいうその警官は、口元に向けられたいくつものICレコーダーに、天国の治安を乱す凶悪犯どもは全員必ず逮捕して地獄送りにしてやる、といった檄を飛ばす。


 犯行グループの中に当たり前のように自分も含まれていることにチーちゃんは嫌なプレッシャーを感じた。粘つくヘドロを頭からぶっかけられたような気持ち悪さ。この世界の住民も、警察も、マスコミも、現世となにも変わらない。となると、この後に控えている展開も読めてくる。さっきワイバーンを撃ち落とせたのはラッキーにすぎない。この次は――


「こいつ」

 三人がけの真ん中で毛布にくるまるセルフィーがテレビの中のピラティスを指さした。

「マジありえないよね」

 そのまま振り返り、ソファの後ろで快慶の拘束を外しているナナトに顔を向ける。

「ピラティスってさ、私の大学の同期だったんだよねー。ちょっと成績いいからって、とにかくムカつく女でさ――」


 セルフィーはヘイトを隠すことなく、ピラティスとの確執について話す。婚期だとか月収だとか、まだ十代のチーちゃんにはなんら関係のない話だ。チーちゃんはただ、テレビの中からこちらを睨むピラティスの瞳に宿る憎悪に、身を縮こまらせるだけである。


「さっきのも、あきらか私たちまで殺しにきてたよねー、感じ悪いわ」


「市民の命なんか、手柄に比べたら軽いってことでしょ」

 拘束を外された快慶が答えた。彼はチーちゃん真向かいの一人がけに座る。

「イヤね、お巡りって」


 そんな快慶の発言を知ってか知らずか、テレビの中のピラティスは先の突入失敗に関し問い詰められ言葉を濁す。


『この件に関しては深く謝罪申し上げます』


 深々と頭を下げる彼女を見てセルフィーはニヤリと笑うと、チューハイの缶を高く掲げ、イェーイなど言ってはしゃぎはじめた。


「だからさ、さっきはビビりまくりのピラティス見れて最高だった!」


 隣に座ろうとするナナトにセルフィーは歯を見せて笑いかける。その肌のきめ細さ、ほんのり赤く色づくその透明度が人間離れしていて羨ましい。水に濡れてへたってこそいるが、あの髪の発色は並のヘアカラーじゃ出せないだろう。


「そ、そうなんだ」

 ナナトもナナトで、セルフィーから顔を背けバカみたいに頬を赤らめる。


「ま、ありがとうとまでは言わないけどさ」

 とは言いながらもナナトにコーラを注ぐセルフィーのトロンとした目つきに、吊り橋効果が感じられるのが気持ち悪い。


 セルフィーはあの襲撃のあとからやけに馴れ馴れしくなっていた。なぜナナトたちはこいつをここまでしゃしゃらせておくのだろう。


「これが焼き鳥かー」とネギマに手を伸ばすカマトトぶった態度も、率先してピザを取り分けようとするエセ女子力も、ナナト側の手で不自然に前髪をいじる仕草も、「なにこれ、美味しー。ヤバくない!?」と手を合わせる演技も、トイレから帰ってきたQに席を譲るよそよそしさも、すべてがムカつく。立場わきまえろやカス。


「人の不幸でメシが美味いってやつよねー」

 快慶が缶ビールのプルタブを開ける。吹きこぼれそうになって慌てて口をつけ、

「くぅー!」

 一気に飲み干し息を吐く。こいつも調子に乗りすぎだと思う。なにより歯が白すぎる。


「アンタたちって思っていたよりも紳士なのね。ちょっとカッコいいんじゃない?」


 さっそくストックホルムシンドロームかよ、とチーちゃんは小さく舌打ちした。立てこもり犯相手になに言ってんだよ脳筋が。十時になったらお前が殺されるんだぞ。


「紳士だなんてそんな……」

 ナナトもまんざらでもない感じで頭掻いてんじゃねーよ、調子乗んなやキモヲタが。なんでこのクソホモの縄外してんだよボケ。メシなど食わすな。楽しそうに喋るな。もっと殺伐としろや。こいつがなにしたか忘れたのか? 


「あ、このお寿司おいしーい」

 Qもだよおい、寿司つまんでる場合じゃねーだろ! そもそもトイレ長すぎなんだよお前。いまさら髪型とかどうでもよくね? 黒髪ロングにこだわらなくてもよくね? つか赤髪の説明、私の高校厳しくてー、ってそんなの無理ありすぎだし、ナナトもナナトで納得してんじゃねーよ童貞すぎんだろ。


 あのさぁお前ら、とりあえず銃を背中に回すなや。もし今警察が突入してきたらどうすんの? お前らがしっかりしないとチーちゃんが殺されるんだよ? チーちゃんの未来がかかってるのに、バカなの? アホなの?


 だからちょっと――、

「ねぇねぇ、Qちゃんあのさぁ――」


「え!? じゃあセルフィーさんって、シャンプーなに使ってるんですか?」

「ん? あ、別にたいしたやつじゃないよー」


 Qと同時に口を開いたはずのチーちゃんの発言は無視され、籠城犯と人質との会話は、「セルフィーさんってすごい可愛いですよね」「いやー私なんておばちゃんだよ」といったくっさいガールズトークにスライドしていく。もしかして若く見えちゃった、てへ困ったな的な顔で曖昧に年齢を答えたセルフィーは、実際本当にババアだった。六百歳代後半とか意味不明な年齢だった。いやいやあのね、いくら可愛いっていっても、六百歳とか人外ですやん。こんなババアよりチーちゃんに構ったほうがいいですよ。十七歳のチーちゃんが困ってるよー。


 チーちゃんのテレパシーは一向に伝わらない。


 セルフィーが言う。

「てかQちゃん、赤い髪も結構似合ってたよ?」


 Qがまだわずかに湿っている黒髪を丁寧になでながら答える。

「えー、そうですかー」


 それを聞いてチーちゃんは呆然とした。


 一応Qに対してだけは警戒気味だったセルフィーの表情が完全にほころんでいた。


 ――いやQとかなにしでかすかわからん、サイコ一歩手前みたいな女じゃん。


 それがちょっと褒められたくらいでこんなに打ちとけられる?

 もしかしてお世辞? あとで取り入ろうとか考えてんの? 計算高すぎません?


「でもさ、こうやってまともに人間の話を聞いたのって久しぶりだわ」

 セルフィーは言う。人間のチーちゃんなど見ずに言う。

「私ってさ、こう見えても人間の生き様、死に様に結構興味ある感じでー、みんなの更正を手伝いたいってこの仕事ついたんだよねー。はじめたばっかの頃はさ、長々と話聞いちゃったりしちゃったりで、ノルマ達成できず怒られたっけ……」


 髪をかきあげ、斜め四十五度のキメ顔だった。


 しかもなにこの唐突な自分語り?


 みんなが軽くうなずきながら聞き入っているのが不思議でたまらない。


 ねぇみんな、こんなおばさんの話聞いてて本当に楽しいの?


 チーちゃんがいくら邪念を飛ばそうと、皆の会話には参加できない。


 マジでなに? なんなんすかみんな? 背中丸めてムシャムシャ食べちゃってさ。チーちゃんひとり背もたれもたれてバカみたいじゃん。つーか、よくそんなに食えるよね。繊細なチーちゃんにはちょっと無理っすわ。まずさぁ、そのピザ毒味させたチーちゃんへのねぎらいとかないの? そりゃチーちゃんはワイバーン倒してませんよ、でも――


「ねぇチーちゃんは!」

 思わず立ち上がった。


 会話がとまった。


 チーちゃんは予想以上に大きな声を出してしまっていたみたいだった。


「あ、あラー、ラーメンもらおうかな、チロ?」


「えっ? あ、はいどうぞ」

 ナナトが床の上のゲロみたいな丼をこちらにずらす。


「あ、あのー、これどうやって食べれば……いいチロ?」


「あ、ご、ごめん俺よくわかんない」


「あ、そ、そうチロか……」


 語頭に「あ」をつけないと話せないコミュ障同士の会話みたくなって、自分でもわかるくらい真っ赤になって、チーちゃんは丼を持って口ごもりながらソファに座りなおす。


 こうなったらもう食いたくもないラーメンをすするしかない。


 そもそもなんだよこのクソまずそうな物体は。なんで頼んだ本人が食わねーんだよ。


 丼が異様に重い。しかも時間経過で脂が固まっていて、跳ねたスープで高い服にシミができる。モヤシが多すぎるし、意味不明にしょっぱくて泣きそうになる。


 でもハブられている感を悟られたくなくので、強烈な吐き気をひきつるような愛想笑いでごまかしつつ、テレビを見ながらラーメンを食べたい人のふりをするしかない。


『これは非常に、非常に痛ましい事件です』

 テレビにはいつのまにか神が映っていた。“神”という言葉からイメージするとおりの爺さんだった。

『私たち天国人は今こそ一致団結して――』


 神の発言は、遺憾の意だとか、早期解決に尽力するだとか、こんなテロに我々は屈しないだとか、天国の恒久的な繁栄だとか、要するに日本の政治家と大して変わらない。


 ぶっちゃけ名前負けしてるチロね、有名無実チロよね、と言おうと思った瞬間だった。


「こいつ私の遠い親戚なんだよねー」

 セルフィーが言った。


「えっそうなの!?」

「神と親戚とかすごいですね!」

 ナナトたちが驚きの声を上げる。


「えー別にたいしたことないよ。まぁコネでここ入れたのは感謝してるけどぉ、普通に受けたらすごい倍率だしここ」

 セルフィーは二、三度取り繕うように咳払いをした。謙遜の皮をかぶっていても高慢さが透けて見える面構え。まだまだセルフィーのターンだった。

「でもさー、盆とか正月に会うたびセクハラされるしマジウザいんだよねー」


「えっ、セルフィーさん神様にセクハラされたんですか? かわいそうに」

「へぇー、神ってエロいんだ」

「たしかにネットにエロ画像上げてくれんのって神だわね」

 男たちは馬鹿笑い、Qまで下ネタにのってくるし、セルフィーもほろ酔いで、みんなソファからおりて直接地べたに座りこんで盛り上がっている。


 いやでも、この人が異世界作ってくれないとチーちゃんたち詰んじゃうんチロけど、とか言ってもなぜか適当にあしらわれる。チロよりエロが優先される。


 食っても食ってもラーメンは一向に減らない。丼の重さは相変わらずで、いい加減手が痺れてきたが、あの輪の中にそれを戻しにいく気にはとてもなれない。


 チーちゃんは無意識に歯ぎしりをしていた。


 どうして死んでまでこんな茶番を見せつけられないといけないのか、あの世に来てまで行き遅れババアとホモと暴力女と頭の弱い男に囲まれないといけないのか、そしてなぜそんなやつらにすら承認されないのか。


 ――価値観が違いすぎる。


 たぶんこいつらはチーちゃんのセンスについてこれないのだ。そうに違いない。IQが二十違うと会話が成立しないというアレだ。


「でもさー、私やっぱこの仕事向いてないわ」

 セルフィーが新しい缶チューハイのフタを開ける。

「もう地獄の看守でもやってのんびりやろうかなぁ」


「え? 地獄って針の山とか血の池だよね? のんびりやれるもんなの?」

 ナナトが聞き返す。


「大きな釜で煮られたり、ブラックぽそうですけどね?」

 Qも興味津々だ。


「いやいやー、さすがにもっと近代化してるってー」

 セルフィーは手を左右に振る。


「そうよそうよ、針山とか大カマってのは昔の話。今は地名だけしか残ってないわよ」


「えっ? じゃあ地獄っていったいなにしてるんだ?」


「大雑把に言うとインフラ事業ね。等活地獄は発電所で、焦熱地獄はゴミ処理場、黒縄地獄は浄水施設だし……。あ、でも完全週休二日制で残業代も出るし、天国のブラックよりよっぽどホワイト。正直地獄の囚人たちのほうが、アタシたち名誉天国人よりラクしてるくらいよ」


「そうなんだ」


「あ、じゃ、じゃあチーちゃんも質問チロ!」

 さすがに手を上げると皆こっちを見てくれる。

「地獄ってー、男女別なのチロ?」


「いやいやいやいや、前世紀じゃないんだから」


「やーね、男女平等なんて基本中の基本よ! 当たり前じゃないの」


「へー」


 意外な事実だった。地獄のトイレはウォシュレット完備で、マンガもアニメも見放題。旅行もできるし、スマホすら使えるようだった。北欧の刑務所もびっくりの自由度だった。


 そういうことは早めに言って欲しかった。


 チーちゃん的には地獄でもいいんじゃないのと思った。むしろさっきみたいな流れで殺されるかもしれないことを考えると、地獄のほうが全然マシだ。


「とは言っても地獄だしねー、コンプライアンスがどうとかうるさいし、こうなったら私も異世界行っちゃおうかなー」

 セルフィーがわざとらしく髪を払う。

「正直さー、私別に働きたくないんだよねー、不労所得貰えるならこんな仕事そっこー辞めるわ」


「そうね、アタシもどーせクビだし彼氏と一緒に行こうかしら。アンタの異世界にはビキニアーマーの男はいるの?」


「び!? び、ビキニアーマーは考えるけどっ!」

 ナナトはわちゃわちゃと手を宙に泳がせる。


「うふっ、なによそんなの冗談に決まってるじゃない」

 快慶がナナトの背中をバンバン叩く。


「や、べっ別に来るのは全然来てもいいんだけどな?」


「あら、そうなの?」


「う、うん。パーティーは多い方がいいし、異世界ってのは日本と違って懐が広いところに魅力が――」


「えーじゃあー、年収二千万越えイケメン高身長でー、性格バツグン、年齢千二百歳までの男はいるのー?」

まるでゆでダコみたいに赤くなったセルフィーが言う。

「学歴は当然私より上でー、家柄は座天使以上だとなおいいんだけどぉ?」


「え? まぁ……、はい」


「わかったナナト、私行くわ。異世界行くわ。てかこれからの時代、アーリーリタイア、アーンド異世界でスローライフが絶対ブームになるでしょ」


「お、おぅ……」


 ケバブ片手のセルフィーは完全にでき上がっていた。


「えーちょっとナナトっちさん、スローライフってなんです? 私そんな異世界だなんて聞いてないんですけど……?」

 Qが真顔で言った。

「あ、植物の心のような人生? もしかして殺した女の人の手首でも集めてるとか?」


 いやいや、あえてここでジョジョネタぶっこんでくる? 


 とことんズレているQにチーちゃんはドン引きする。いくらキョトンって可愛らしく見せてても、お前がすぐ暴力に訴えるパワー系ってことはもう変わらんぞ。つかあの赤髪、どっかで見たことある気がするんだよな、なんだっけ、テレビ? ネット? 思い出せない……


 アホのナナトはただただデレデレして、Qにドヤ顔で答える。

「そう俺は普段は平凡なサラリーマン。しかしその真の姿は静かに暮らしたいだけの連続殺人鬼……ってんなわけあるかーい!」


「えー、でもさっきアーチャーカンストって言ってましたよね? あれっててっきりスタンドの矢のことかと?」


「え? そのこじつけはちょっと強引すぎない?」


「そうですか? じゃあ本当かどうか閻魔帳見せてくださいよ。私のも見せますから」

 なぜか若干不機嫌になったQがナナトの脇に置かれた閻魔帳をつかむ。


「あーダメ、これはちょっとだめっ、ヤメだって!」


「えーいいじゃないですか、減るもんじゃないですし」


 二人でマンガみたいに閻魔帳を奪い合う。


「いやマジでホントダメだって、ダメなんですってこれは!」


「えーなんでですか?」


「マジ面白くないって、ぜってーつまんないから!」


 ――このノリ。


 チーちゃんは崩れたモヤシの山を見つめながら途方に暮れる。地面に穴があいて、真っ逆さまに落ちていくような感覚を覚える。


 こういう慣れ合いが嫌で、チーちゃんはここに来たみたいなものなのに……


 こいつらと一緒に異世界に行くくらいなら地獄のほうがいい。いや天国ですらこうなのだから、地獄だって似たような奴らだらけに違いない。つまり、チーちゃんの居場所はこの宇宙のどこにもない。


 ついに薄い閻魔帳が千切れ、ナナトとQがひっくり返った。


 一枚のページがひらひらと舞ってセルフィーの前に落ちる。彼女はそれを拾い読み上げる。


「なになにー、死因はネコを助けに道路に飛び出し、って……ぷっ」

 セルフィーが吹き出した。

「ひゃは、ちょ、トラックマジだったんだ。ベタすぎるでしょ」


「うわー、あー、やめろ! まじでやめろ!」


 大爆笑するセルフィー。快慶も腹を抱えて笑い出す。


「はぁはぁ、し、しかも、ビニール袋を、ネコと勘違いしてって、ひぃ、ひゃはは」


「暗かったんだから仕方ないだろ!」


「あー無理、アホすぎ、面白すぎ」


「ここまでコテコテなのは久々に見たわねー」


 爆笑の渦。だが、チーちゃんには一ミリたりとも笑えない。なにが面白いのかわからない。そして、


「ナナトっちさん、他のページも見せてください」

 チーちゃんと同じく笑っていないQがナナトに迫る。


「だーめ! これ以上はマジでだーめ!」

 ナナトが千切れた閻魔帳を必死に掻き集める。


「えー、別にいいじゃないですか、私のも見せますから」

 Qが無意味に分厚い閻魔帳を押し付け、


「いやいーし、てか厚すぎんだよそれ!」

 ナナトがそれを押し返す。


 その一部始終を歯噛みしつつ眺めながら、チーちゃんはワンピースの下に隠した自分の閻魔帳に手を当てた。


 死ねよお前ら、チーちゃんのがもっと厚いし、Qなんてイキったサイコ女と違って、チーちゃんのほうがよっぽどヤバい重罪人だし。


「ナナトっちさんのが薄すぎるんでしょう?」


「う、薄くても濃く生きてますから、生きてましたから俺は!」

 ナナトはすっかり涙目だ。

「てか、この年で死ぬとか事故くらいしかねーじゃん! Qちゃんだってそうでしょ?」


「え? 私の死因は――」


「おい!」

 Qが答える前にチーちゃんは立ち上がった。


 そっと置いたつもりの丼のバランスが崩れ、まさしくゲロのように中身がこぼれた。


 Qは半笑いのまま、ナナトは閻魔帳を守る亀のポーズのまま、セルフィーと快慶はアルコール片手にこちらを見上げた。


 こちらを見上げる彼らの目つきはまるで見下げられているみたいだった。


 チーちゃんはエアリーなワンピースの隙間からドでかい閻魔帳を取り出し、大きく息を吸いこんだ。


「ち、チーちゃんは自殺なんですけど!」


 言った。言ってやった。


「…………」「…………」「…………」「…………」


 当たり前、空気が凍った。ついにチーちゃんのターンがやってきた。


「おいセルフィー、自殺って懲役何年なんだよ?」

 チロなどもう必要ない。


「へっ」

 セルフィーの手がペットボトルに当たり、コーラがこぼれる。

「あ、あーえっーと、四十八万年くらい……ですけど?」


「さすがになげーな」

 チーちゃんは吐き捨てる。

「ナナトてめー、さっき言ってたことは本当だろうな? 今までと違う異世界、ありきたりで通り一遍じゃねー新世界ってやつはよぉ」


「は、はははははい」

 ナナトが目をパチパチさせながら答える。


「いざ行ってみたらギルドでハーレムでチートでぬるーくモンスター退治とかだったらぶっ殺すぞ!」

 チーちゃんはナナトをこれでもかとにらみ付ける。

「そもそも異世界行ってまで働きたくねーんだよ! チーちゃんは石油王だ。あとフリーワイファイとチーちゃん専属のスタイリストも付けろ!」


「はひ、へい」

 ナナトが顔を伏せる。


 Qはペラペラとした薄笑いを浮かべなにも答えない。笑うなクソDQN死ね。


「つーかさ、お前らもお前らだよ。立てこもり犯と仲良くホームパーティ? なにがアタシたちも異世界に連れてってじゃボケ、頭おかしいんじゃねーの? ストックホルムにもほどがあんだろ」


「…………」「…………」


 深海の底みたいな圧迫感、火であぶられているような焦燥感、一方で氷漬けにされているかのような息苦しさ、それでいてなんというか“生きている”という気分の高揚もあって、チーちゃんの舌はとまらない。


「あーウザ、みんな死ねよ。あのピラティスとかいう女に殺されてろよ、クソが」


 もはやどん底みたいな雰囲気だ、まさに“地獄”その言葉がぴったりの。


 そうだよ。

 チーちゃんたちがやっているのは犯罪なのだ。

 立てこもりなんてこのくらい殺伐としてなきゃいけないのだ。


 皆が呼吸すらやめて、瞬きすらやめて、チーちゃんのことを凝視している。

 たとえ白い目でも注目されると嬉しいと感じる自分がむしろ誇らしかった。


「なーんて冗談チロ、閑話休題チロ」

 とふざけてみても、いまさらそんな程度で場が和らぐはずもない。最高だ。


 立ちくらみじみた自虐の快楽が背中を下から上へと駆けあがる。チーちゃんはぞくりと身体を震わせ、からからと乾いた笑いを漏らす。


 ソファの上のリモコンを取る。


 アナウンサーの声がウザいからテレビなんて消してやる。


 ぶつりと音声が途切れた。


 沈黙。




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