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地獄に懲役三千年なんて聞いてない!

「黒縄地獄三千年ですね」

デスクに座ったピンク髪の女が言った。


「そんなっ、あんまりだ!」

 ナナトは叫んだ。


「いやだから安直さん、あなた生前は盗賊だったわけでしょう?」

 古代ギリシャを思わせる白い服を着た女――この場合、審判を下す女神と言ったところだろうか――が彼から手渡された閻魔帳をパラパラとめくりながら事務的に答える。

「盗賊は黒縄地獄以外ありえません」


「と、盗賊って、俺盗みなんてしたことないですって!」

 大理石の床に黒いインクで描かれた大きな魔法陣。その中央に立つナナトが唾を飛ばす。

「そもそもそんな度胸ないですし!」


「はぁ……」

 しかし女神は閻魔帳から顔を上げず、気のない相づちを繰り返すだけだ。


「冤罪ですって、ちょっとマジに頼みますから!」


 この部屋にいるのはナナトと女神だけではない。ナナトが必死に無実を訴えれば訴えるほど、女神の斜め後ろに立つ大男がいぶかしげに目を細めていく。

 それは警備員といったスタンスの男――女神と同じく腰ひもで布を縛っただけの服、膝下くらいまであるやたらとストラップのついた革のサンダル、ブロンズの巻き毛に茶色い瞳、露出した左肩と左胸は筋骨隆々で彫刻みたい。そしてなにより、肩からベルトで吊られたアサルトライフル。男はなぜか弓矢でも刀剣でもなく、自動小銃を持っていた。


 そんなところだけ近代化しなくてもいいのに。ナナトは「い、違法ダウンロードだってしたことありませんから……」などと口ごもりながら、男からそっと視線をそらす。


 転送室と呼ばれるこの部屋もまた現代的であった。

 大理石の床、シミひとつない壁、ビルトインのエアコンにアルミのブラインド、L字型のオフィスデスクと高級そうな椅子、電話、時計。白を基調に統一された清潔感のある部屋は、魔法陣さえなければオシャレな社長室といわれても納得できる。自分の薄汚れた上下ジャージ姿がやけに場違いで、ナナトは居心地の悪さでいっぱいになる。


 帳面のとあるページで手をとめて、女神が続ける。

「しかし安直さん、ここには『グランメゾン・ファンタジー』にてシーフとして暗躍、その被害総額は五千八百億ゴールドにも及び、アイテム価格が暴落、世界経済を崩壊に追いこんだ、との記載がありますが?」


「いやいやいやいや、それネットゲームですし、リアルワールドの被害じゃないですし!」


「罪の重さにリアルもネットも関係ありません。あなたにアイテムを盗まれたユーザーたちは、皆不快な思いをしたはずかと?」


「ちょと、ちょっと待ってくださいよ。そんなことですら罪になるとか、マジみんな地獄行きじゃないれすか!」

 舌がもつれる。

「じゃあ、じゃあなら、俺の、俺の前に並んでたお婆ちゃん、あの人も地獄に落ちたんですか? オレオレ詐欺にあったとかで?」


「それはプライバシーがありますので答えられません。

 ……ですが、詐欺被害を受ける側にも責任があるという観点より、オレオレ詐欺被害者は頞部陀地獄に相当しますね」

 女神はやはり閻魔帳から顔を上げずに答えると、デスクの上の置時計の位置をわざとらしくずらした。

「あのー、後がつかえていますので、このくらいで――」


「いやちょっとちょっと、あの、あのですね。じゃああの地獄、地獄でなくて、異世界とかそういう、アナザーワールド的な世界への転生ってのは、……考えてもらえません?」


「無理ですね。では――」


「いやホント待って! なの、ならあの、ちょっと考えさせてっ!」


「はぁ……」


 ナナトは焦った。それこそ映画泥棒さながらに手足をくねくね動かし慌てた。ここに来るまで外の公園で一か月以上待たされた。この建物に入ってからも手前の待合室で一時間は待った。それなのに五分で地獄行きとはあんまりではないか。

「……異世界じゃなかったら、せめて強くてニューゲームとか?」


「できないです」


「えーそんなぁ、マジで頼みますから!」

 ナナトが裏返った声を出し、魔法陣の中央から一歩足を踏み出すと、


「動かないで!」

 女神がはじめて顔を上げた。目が冴えるほどに碧い瞳。

「止まって!」


 隣の警備員が銃に手をやり、睨みをきかせる。


「す、すみません!」


「戻ってください」


「は、はいあの、せせせせ、セルフィーさんっていうんですか? 名前?」


 女神のデスクの上に置かれたネームプレート。そこには『死者審判局西東京支局長 セルフィー』と印字されている。


「……そうですけど?」

 ピンク髪の女――セルフィーは思いきり眉をしかめる。

「だからなんだって言うんですか?」


 警備員が今にも駆け出せるという感じで身構える。


「いや、あの……」

 ヤバイヤバイどうしよこれ。このままじゃマジで地獄に落とされる。とりあえずなにか言わなきゃ、なにか言ってしのがなきゃ。

「セ、セルフィーさんって無茶苦茶可愛いですよね」


「は?」


「いや、いやあの悪い意味じゃなく……」


 とっさに口をついた言葉はアホそのものであった。


「悪い意味?」


 碧い瞳の冷たさが増す。


「いやマジホント嘘偽りなくあの、なんていうか……この世のものではない、って感じっすよね。いや、いやここ、この世じゃないから当たり前なんですけど……」


 たしかに彼女の美しさは異常だった。目、鼻、口、眉と顔のパーツひとつひとつが極限のバランスで整っている。薄い布を突き上げる大きな胸。部屋の白さよりもなお白い細い腕。そして、現実離れしたピンクの長い髪。


「弁解が通用しないからって、今度はお世辞ですか?」


「そそ、そうじゃなくて……」


「ならセクハラですよね?」


 語気を強め、セルフィーが隣の男に目配せする。男はあきれた様子で肩をすくめ目を細める。ナナトはただもう震えるしかない。


「衆合地獄八百年も追加と――」


「さっきより酷くなってる!」


「当たり前でしょう。以上で審判を終わ――」


「や、待って待って待って、ほんとほんと待って!」


「今回の審判に納得いかない点があるのなら、死者審判審査会へ異議申し立てを行う権利があなたにはあります」


「審査会?」


「死亡者の権利として認められたものです。場所は駐車場を挟んで右隣の建物の五階、詳細は後ほど書面で――」


「へぁ? や、ならそれ、今すぐそれ、異議申し立てしたいです。させてください!」


「残念ですが、今すぐは無理ですね。地獄に行ってから再度ご検討ください。ま、たぶん二千年ほど待ちがあるでしょうが……」


「はあぁっ!?」


「大変申し訳ないですが、ルールですので」


「いい加減にしろよ!」

 さすがに堪忍袋の緒が切れた。ナナトはセルフィーに詰め寄り、デスクを叩く。

「ルールってなんだよ、んなの聞いてねぇし、お前ら人間ナメてんのか!」


 死んでからこれまで、死者で溢れかえる公園でナナトはなにもすることがなかった。話せる人間は一人もいなかったし、スマホもゲームも取り上げられて退屈の極み。楽しみといえば一日二回の炊き出しだけ。あれをまた繰り返すのはもうこりごりだった。


「安直さん、魔法陣から出ないでもらえます? 焦熱地獄に格上げしますよ」

 セルフィーは動じることなくナナトを見上げる。すぐそばでは警備員の銃口がこちらを向いている。

「速やかに魔法陣の中央まで戻っ――」


「な、なにが銃だよ、俺もう死んでんだぞ! って魔法陣! そうだ、ここから出たらっ!」

 ナナトはセルフィーに背を向け、つんのめるように駆け出した。こうなったらもう逃げるしかない。入り口の扉にすがりつく。しかしノブは回らない。オートロックなのか鍵がかかっていて開かない。


「なんで、なんでなんでなんで!」

 肩越しに振り返る。いかつい警備員が迫ってくる。


「それ指紋認証ですから」

 セルフィーは椅子に座ったままナナトの前にある扉横の装置を指さした。

「ちなみに今のあなたの肉体は我々が一時的に貸与しているだけです。この肉体は撃たれたら怪我もしますし痛みも感じます。そして死ねばあなたの魂は行き場を失い、虚無の中を永遠に彷徨い続けることになります」


 棒読みだった。手慣れている、そう思った。


「ですので大人しく指示に従ってください」


「や、やだいやだいやだ!」


「はぁ……快慶、今日時間ないからさっさとやっちゃって」


 警備員が無言でライフルを背中に回し、拳を鳴らした。

 快慶――ギリシャ風の男は見た目に反し、やけに和風な名前だった。近くで見るとより一層デカくてヤバい、ヤバさしかない。


 壁伝いに窓際へ逃げる。しかしあっというまに距離を詰められ、部屋の隅へと追いやられる。

 もう逃げ場などどこにもなかった。この部屋からの脱出路はさっきの扉と、セルフィーの後ろにある扉、それとブラインドの下りた窓だけなのだ。


 抵抗虚しくナナトは快慶に捕獲される。


 なんなく片手一本で両手首をねじ上げられると、セルフィーの言うとおりメチャクチャな痛みを感じた。腰にゴツい腕が回る。香水だろうか、シトラス的な爽やかさの中にエキゾチックな刺激のある匂いが鼻先が掠める。この男、妙に体温が高い。安々と浮き上がる自分の身体。男にお姫様抱っこされるとか最悪だ。


 男は無言でナナトをセルフィーのほうへと連れていく。魔法陣をこえ、デスクを回りこんで、セルフィーの後ろの扉へ向かって進んでいく。


 セルフィーも椅子から立ち上がった。そのまま背を向け後ろの扉横にある入り口と同じ装置に人差し指を当てる。

「汚れた罪人を滅ぼす紅蓮の猛火よ、神の名のもといざ我が前に、大焦熱地獄!」


 セルフィーの詠唱とともに扉が開く。扉の向こうには怪しげな虹色の波が渦巻いている。


「えっ、そっち? 魔法陣関係ないじゃん!」


 魔法というより、ど●でもドアみたいな仕組みのようだ。そしてこのドアも指紋認証だった。無駄にハイテクだった。もしかすると今の詠唱にも大した意味はないのかもしれない。


「雰囲気作りが大事ですからね」


 お姫様抱っこは土嚢を運ぶような雑な肩掛けにかわり、ゆっさゆっさと揺られながらナナトは扉へと運搬されていく。白い壁に切り取られた不気味な渦。こちらにいても、あちらからの焦げつく熱さが伝わってくるかのようだ。


「マジうそマジ? やだ、やめてくださいお願いですから!」


 快慶が息を吸いこみ、重心を落とす。ナナトの身体がガクッと上下に揺れる。もはやここまで。いまにも地獄に放りこまれようかという瞬間、彼の手は快慶の腰元に伸びていた。完全に無意識の行動であった。

 扉の一歩手前で、ナナトの身体が床に転がり落ちた。


「えっ?」

 両手にずっしりとした重みを感じた。目をやると、自分の手の中にライフルがあった。


「ひゃだっ! どうして!」

 甲高い男の声にナナトは顔を上げる。

 快慶が目を大きく見開いてわめいている。

「どどど、どうしてアンタがアタシの銃を持ってるの!?」

 なぜかオネエ口調だった。


「ええっ!!」

 自分でもわけがわからず、反射的にそれを構える。


「きゃ、こっち向けないで、撃たないで!」

 快慶が両手を上げ、くねくねと身をよじりだす。キーの高い声が頭にキンキン響く。


「ちょっとなにこれ……」

 セルフィーも取り乱している。

「快慶、どうなってんのこれ!?」


 ナナトだって頭の中は真っ白だ。


 留め具の外れたベルトが床で擦れる音にビビりまくりながら、ナナトは銃口を快慶に向けつつ立ち上がる。無意識のうちにに片手でセーフティを外し、脇を締めしっかりと構えなおしている。『グラメゾ』でレベルカンストしたシーフスキルだけでなく、無駄にかじったミリタリー知識もオートで機能しているようで、自分でもちょっと怖くなった。


「お、落ち着いてください」

 起立してハンズアップのセルフィーが震える声で言う。

「撃たないで、銃を下ろして」


 自分にはそんな気などまったくないのに、緊迫感だけが加速度的に増していく。


「いや、あのえとその……」


「やーよ! まだ死にたくないわ!」


「い、命だけは!」


「えーっと、あー……」


 ナナトも泣きそうになっていた。

 自分にだってなにがどうなっているのかよくわからない。でもとりあえずは地獄行きは免れたのか? かといってこれからどうすればいいのか?


 ――あーもう最悪だ、わけわかんねー!


「と、とりあえず、死にたくなかったら、俺を異世界に連れて行ってく……いや、連れていけ!」



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