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花咲く乙女たちの楽苑  作者: 扇智史
2・記憶たち
8/30

「待って、アズからLINEきてる」


 カラオケボックスの照明は、あまり手元をよく見るようにはできていない。ユメホは寄り目になりながら液晶ディスプレイをスワイプして、画面をスクロールさせた。


「ありゃりゃ、オリコちんたちリベンジされたってよ」

「まーじか」


 ユメホの隣で同じグループLINEを見ていたヒマは、大げさに天井を仰いだ。

 濃いアイラインでアーモンド型の目を強調し、赤みの強いチークを塗りたくったどぎつい化粧は、この安っぽいボックスではよけいに浮いて見える。素朴な女やかわいい女が好きな男はとっくに都会に行っているから、こんな街に居残っている男が好きなのはこういう顔だ、というのが、ヒマの雇い主の主張だ。


「リカちゃんやっぱやべっぞ。オリコちんとマミちんボコるとかコワない?」

「……グロ画像」


 長椅子の隅にうずくまったレニは、アズキの発言の下に貼られた室内の映像を見ているようだった。部屋の真ん中に倒れたオリコとマミ、そしてベッドで血を流す男の姿が六秒ごとにループする。そこについたレスは、敗北したオリコたちを笑うようなコメントとスタンプばかりで、オリコたちを心配する声はひとつもない。


 ユメホも、別にオリコのことなど心配していない。すなおにサリーさんの言うことを聞いて”仕事”していればよかったのに、無茶をするからだ。


「ま、これでアズキも懲りて戻ってくるっしょ」


 既読スルーしてユメホはスマホをテーブルに置き、チューハイを傾ける。未成年だが、そんなことはお構いなしだ。


「腹減らね?」


 言いながらヒマはビールをあおる。一月前には炭酸もろくに飲めなかったくせに、すっかり大人の味に慣れたらしい。彼女はテーブルにメニューを広げ、


「フラポにする? このパーティー何たらってやつ、から揚げも乗っかってっし」

「うちスイーツの気分かな。このパフェうまそうじゃん」

「そんなの酒に合わなくね? うえーってなりそ」

「別に呑まんでもいいし」

「あたし、ロコモコ」

「うっせーぞレニお前しゃしゃってくんなよそっちで寝てろ」


 ヒマの言葉遣いはとげとげしいが、それに対してレニは怒るでもなく、そのまま長椅子に寝転がった。一ミリも呑めないのにユメホたちにつきあってしまったのだから、自業自得だ。レニも自覚はあるみたいだし、ヒマにしてもレニのことを心配しているのだろう。唇をとがらすヒマの表情は、ちょっと安心したふうにも見えた。口は悪いが意地は悪くない。


「んー、まーいっか、両方頼んじゃおっぜ。どうせうちらの金じゃねーし」


 ヒマの提案に「さーんせーでーす」と手を挙げつつ、ユメホはリモコンでポテトとパフェのセットを注文する。ロコモコも頼んでおこうかと思ったが、レニが本格的に寝に入ったようなのでやめておいた。

 夜は長いし、金はある。こういうときにめいっぱい楽しまなくては、もったいない。


「ビールもう一杯頼んどいて」

「ほーい」


 ヒマのビールのついでに、ユメホは勢いで知らない銘柄のカクテルを注文した。頭がふわふわして、何でもかんでもおいしそうな気がしてくる。このままだとユメホまでレニの二の舞になりそうだったが、そんなこともどうでもよかった。

 困ったことは全部、椅子の下で寝っ転がっている男に押しつければいい。


 だらしなくシャツの前を開けたまま、ぐったり横になっている男は、いっかな目を覚ます様子がない。テーブルに残る男のグラスの中、半分残った透明なカクテルの表面に、小さな赤い実が浮いている。ヒマの”(けし)の実”が生み出した種だ。口にすれば、あっという間に酔いつぶれて記憶もすっ飛んでしまうという凶悪な麻酔薬になる。


 ”花”は論外にしても、この種のあくどい稼ぎは店では禁じられている。悪評が立てば商売に差し障るし、同業者にも目を付けられるからだ。床津のような後ろ暗い街だからこそ、同類の結束は固い。ユメホの住む高級マンションの住人たちとよく似ている。居住空間を平和に保つため、互いのことを熟知し、監視し合う関係。安全や安心のためだけに結託する、後ろ向きの仲間たちだ。

 そういう暗黙の了解を、ヒマたちは平然と踏みにじる。だって、それが彼女たちの任された”仕事”なのだから。

 未成年を違法に働かせて稼ぐ輩と、それを知って楽しみにきている客だ。遠慮なく陥れて、奪ってやればいい。それは翻って、正当な稼ぎといえる。サリーはそう、ユメホたちに言い聞かせた。


 ドアが開いて、ビールとカクテルとポテトのセットが届く。制服をだらしなく着崩した金髪の店員は、少女たちの発するアルコール臭や、椅子の下に転がされた男のことは何も言わず、速やかにテーブルに大皿を並べて出て行った。ユメホはヒマに耳打ちする。


「今の店員、わりとイケてなかった?」

「ユメホお前趣味悪いなー。深夜にカラオケバイトしてる野郎とかありえんし。それにあの面、あれ絶対女殴るタイプだろ」

「あんたよくそゆことぽんぽん言うな……」


 店で男を丸め込むのに慣れたせいか、ヒマはすっかり恋愛の達人気取りだ。実際のところ、彼氏とはひと月続いた試しがないらしい。


「それより食べよ。まぢ腹減った」


 大皿からは、ギトギトした油と塩分に満ちたいかにもカロリーの高そうなにおいが立ちのぼってくる。ユメホもその誘惑に負けて、カクテルといっしょにから揚げをつまんだ。


「いいことして呑む酒はうまいねー」


 ヒマはにこにこしながらポテトをかじる。その横から、いつの間にか起きあがってきたレニがポテトにマスタードをべったり付けて口に入れる。


「辛っ」

「そりゃそーだろレニお前頭悪くね? ほれ口っとこ真っ赤だぞ」


 ナプキンでごしごしとヒマはレニの顔を拭いてやる。仏頂面のレニだが、これでも彼女は喜んでいるのだと、ユメホも最近分かるようになった。ユメホは笑いながら、レニのぶんのドリンクを注文しようとリモコンを手に取る。と、リモコンのそばでスマホの画面がまた点滅した。


「お、今度はメイちゃんからだ、ってうお!」


 のけぞりながらユメホはヒマとレニに画面を見せる。黒いリムジンのボンネットに腰を下ろしたメイの自撮り画像だ。うっすら写る車内には、むさ苦しい黒こげの男どもが詰め込まれている。

 そしてメイの手の中には、つや消し塗装の銃が握られていた。映画のようにぎらぎらしていないのが、かえってリアルさを感じさせる。


「ひょー、密輸がどうこうって話マジだったん? メイちゃんヤバない?」

「本物、初めて見た。萌える」


 三人で画面をのぞき込みながら、ユメホたちは子どもみたいに気勢を上げる。自分たちが正義だなんて思わないけど、悪い奴をやっつける側にいる実感はあって、それはユメホたちがこの街で得られる最高の友情の証である気がした。

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