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消えた従兄2

「本当に干してあるとは、な」

「言ったじゃないですか! ていうか触らないで!?」

「おおっと」


 不知火は背が高い。百九十センチ近いだろう。ショーツを奪い取ろうとしても、頭上に掲げられると飛び上がっても届かなかった。


「聞いて見て、触ってみねば何も解らじ……探偵の鉄則だ」

「よくわからないですし、ショーツは関係ないと思います!」

「冗談の通じないやつだな……お前さんのガキっぽいパンツになど、興味はない」


 他人に、それも不潔な男の手によって汚されたイチゴをあしらったショーツが宙を舞う。慌てて床に落ちたそれを拾い、洗濯カゴに放り込んだ。


「さて……続けるぞ」


 興味がないなら触るなという私の言葉を完全に無視して、不知火はまったく無遠慮に部屋を物色し始めた。


「もう!」


 不知火は飾り棚を開け、中身を取り出しては首を振って床に放る。そこに無精をして出しっぱなしの起毛絨毯がなかったら、サボテンの形の一輪挿しが割れ、ブリキ製のおもちゃで床に傷がつけられていたことだろう。

 そこに何もないとみるやキッチンへ赴き、食器棚を物色し始めた。さすがに皿やグラスなどの壊れ物は投げこそしなかったが、元の位置へ戻すという概念を持ってはいないらしかった。


「……センセイ。千景さんは、失踪者と電話で話をしていたのですよ。“遺物”はその近くにあるんじゃないの」

「そうか」


 不知火が冷蔵庫を開けようとしていた手をスラックスのポケットに突っ込み、再びリビングダイニングへ向かう。すぐに固定電話の脇に佇む象の置物を手に取り、動かなくなった。目的のものを発見したのだろうか。長身の彼がいなくなったことで、ドアの上の明かり窓から陽光が差し込み、彼が立っていた辺りの床を照らした。そこにうっすらと足跡が付いているのを見つけ、背中の毛が逆立った。もう我慢の限界だ。


「ちょっと! 不知火さん!」

「ダメダメ。話しかけないの」


 柔らかい、しかし意外にも強い力を持った手が私の肘を掴んだ。

 私は、不知火に助け舟を出した男性を睨んだ。


「そんな顔をしないで……でも、そうね。センセイにはもう少し、レディの部屋に足を踏み入れるときの礼儀を知っておいてもらうべきだった」


 不知火の助手――宇喜田康平が細い指を私の顎に沿わせた。それで狐をつくって自分の口元にもっていくと、くっく、と目を細めて笑った。

 宇喜田は不知火とは対称的に上背がなく、私より少し高いくらいだった。太ってはいないが丸みを帯びた顔をしていて、目が大きく、それを縁どる睫毛が異様に長い。唇はぽってりとしていて、妙な艶があった。しかも声が高く、仕草や口調がいちいち女っぽいのだ。緩くウェーブがかかった黒髪は密でも垂らしたように艶めいている。着物でも着ていれば女形の役者かキャバレーのママにでも見えたことだろう。


「それはさておき。始まるわよ」

「なにがですか」


 宇喜田の流し目の先へ目をやると、不知火が置物を手にしたままの姿があった。先ほどと変わったようには見えない。いや、少し肩で息をしているようにも見える。


「先生の、“捜査”が」

「ええ!? 今からですか――!?」


 じゃあさっきまでの荒らし行為はなんだったの、という言葉を、私は息と共に飲み込んだ。


「不知火……さん?」


 像の置物を手に取った不知火の身体に起きていた異常を目の当たりにして、私は思わず声をかけていた。


「ご心配なく」


 そんな私の肩に優しく――馴れ馴れしくも手を置いた宇喜田が静かに言った。


「でも……大丈夫なんですか」


 光る人間なんて聞いたこともない。後光を背負った聖人の絵なら見たことがあるが、あんなものは誇大表現の一つに過ぎない。


「大丈夫。センセイは今、“力”を使っているだけ」

「力?」

「ええ。この大帝国で――いいえ。おそらくは世界でただ一人、彼だけが所有する特別な力」

「はあ……」

 

 涼しい顔を崩さない宇喜田が、怪しい科学雑誌の記者のようなことをいう。

 改めて視線を自称探偵――全身が鮮やかなオレンジの光に包まれた――に戻した。

 発光する生物といえばホタルとかイカ、クラゲくらいしか知らない。ホタルなんて、大戦後の好景気に沸く帝都ではほとんど見られなくなったし、珍しい動物や魚は貴族や大陸から渡ってきた華族なんかの上流階級の人が行くような娯楽施設で飼われている、としか聞いていない。私の様な一般階級の人間は、テレビや図鑑、初等科の頃の教科書でしかそういうものを目にすることはないのだ。

 そもそも、国営の娯楽施設なんてものは、労働者の血税を吸い上げるだけの――


「わかったぞ」

 

 非現実的な光景を見せられると、人は確からしいと思えるなにかに精神的なよりどころを求めるものだ。私の場合はサークルの先輩――指導者的カリスマがあって、憧れの人だ。彼の演説が脳内にリフレインしてきたとき、不知火の発光が止まった。こちらに歩み寄ってきたが、思わず一歩退いてしまう。不知火の肩やくたびれたスーツの裾に、光の残像が残っていた。


「どうですか。センセイ」


 しかし、いささか興奮した口調の宇喜田に手を引かれ、私たちは少々疲弊した様子の不知火に近づいた。


「こいつは、『自分はパールヴァティーとシヴァの子だ』といっている」


 不知火が「わかった」ことを口に出した。まるで置物と話をしたような口ぶりだ。


「なあんだ。ガネーシュ、ね」


 宇喜田が代わって象を受け取った。そして、拍子抜けしたというか、いささか残念そうに応じた。彼が言う通り、置物はガネーシュという名前の神さまを象ったものだ。大学の友人が印度に旅行に行った折に買ってきてくれたお土産である。たしか、「夢を叶える象の像」だとかつまらないことをいっていた。我が国でもこれを扱った小説がベストセラーになったことは記憶に新しい。


「なんだ、それは」


 不知火はガネーシュを知らないらしい。


「ヒンドゥー教の神の名前ね。万難を退け、富をもたらすという印度では大分人気の高い神サマよ」

「ほお。だが、象頭の神とはな。どちらかというと化け物の様相じゃないか」

「可哀想なことをいわないであげて。ガネーシュが象頭になった経緯には、世にも恐ろしい神話が伝わっていてね……」


 宇喜田によれば、ガネーシュが浴室の見張りをしていた折、現れたシヴァの入室を拒んだことで打ち首となったそうだ。それが自分の子であると知ったシヴァは、間に合わせで象の首を持ってきてガネーシュを復活させたらしい。


「嫌よねえ。自分の子供を首チョンパ、だなんて」

「ええと……はあ」


 お土産の置物のモデルとなった神さまにまつわるお話になど、興味がなかった。自分で披露した話で気分が悪くなったのか、眉根を寄せてこちらを見てくる宇喜田に曖昧な返事をした。


「で。どうする?」

「はい?」


 今度は不知火が私に向き直った。どうする、とはなんだ。そっちこそ、じっとり汗ばんだ足で私の部屋を踏み荒らして、どうするつもりなんだ。


「お前さんの親類を“連れ去った”のは、このガネーシュだ」

「はいい?」


 この人はなにを主張しているのか、自分で理解しているのだろうか。


「お前さんの願い――従兄をゲームの世界に飛ばすという頓狂な願いを叶えてくれたんだ。腐っても神だからな。そのくらいのことはやってのける」

「ええと……」


 私は返答に困り、助けを求めて宇喜田の方を見た。彼は、紫の風呂敷を拡げてその中央にガネーシュの像を置いているところだった。


「それ、どうするんですか」

「どうやって手に入れたのか知らんが、こいつは俺たちが預かる。お前さんの像は神が宿る危険な“遺物”で――」

「――ちょっと、待ってください!」

「千景さん。センセイは大真面目よ? あなたのお従兄(にい)さんは、ヒンドゥーの神サマの力で異世界に飛ばされたの。警察がいくら探しても、見つかりっこない」


 馬鹿だった。警察の捜査が完全に行き詰まり、ひょっとしたらお兄さんはもう……と思っていたことは否定できない。藁にもすがる思いで、心霊探偵のようなもの手を出したのだが。

 熱くなるめがしらにぐっと力を籠め、宇喜田の手から像を奪い取った。


「おい」


 不知火の手を乱暴に払う。こいつらはただのペテン師だ。お兄さんが神の力で異世界に連れ去られたなんて、奇譚作家でも書かないような与太話を誰が信じるというのだろう。捜査だとかいって私の家を物色し、像なら少しは金になるとでも思ったに違いない。さっきの光だって、なにかのトリックに決まっている。


「いいから、帰って! 憲兵を呼びますよ!?」

「千景さん……」


 立ち上がりかけた宇喜田を不知火が手で制した。


「無駄だ。宇喜田」


 なにか言いたげな宇喜田と違い、不知火はあっさりと私に背を向けた。宇喜田も悲しげに目を伏せ、風呂敷をたたむとそれに従った。





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