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消えた従兄1

兄のように慕っていた従兄が行方不明になった。そう母から聞かされたとき、足元の床が消えてなくなったような錯覚に襲われた。







 それから三年後。世間が謎の失踪を遂げた青年のことなどすっかり忘れ、いつまでもふさぎ込んでいる私に友人たちから同情の視線よりはおかしなものを見るような視線が増えてきた、それを露骨に感じるようになった頃のことだ。


「質問は一つだ」


 現れた男のひとは、椅子に座るなりそう言って、右手の薬指を立ててみせた。それから、「終わるまで、お前さんからの質問は受け付けない」と言った。二時間も待たせて詫びの一言もなかった。

しかし、このとき私は、黙って頷きだけを返した。

この人が不知火という通り名で、こういう人物だということは、彼の助手だという男性から事前に聞いて知っていた。彼が、彼の言うことに従わない一般人――彼のような特殊な能力を持たない人間をとことん嫌っているということも。それともう一つ。この不知火という探偵を自称する男が私の前に現れた、という時点で、お兄さんの身に普通の人間には解決できない何かが起こった。そう確信してよいと言い含められていた。


「よろしい」


 伸びた黒髪が顔の上半分を隠していて、ほとんど俯いたままなので表情はわからないが、彼は満足そうに息を吐いた。唇の色は少し紫がかっていた。チラ、と見えた前歯は、意外にもきれいに磨かれているようだったし、吐息から不快な臭いも感じなかった。なぜそれが意外かというと、不知火はとても整容に気を遣うような男には見えなかったからだ。伸び放題の髪の襟足は三次元的に散っていて、くたびれたスーツの肩にフケがたくさん落ちていた。


「さて、いなくなった従兄とやらの手がかりは一切ない。これに間違いないか」


 不知火が右手の薬指を折った。清潔とは言い難い風貌のその人は、左手で水滴が浮いて滑りやすくなった――氷もすっかり解けて、お冷というよりは冷房が効いた室温よりやや低いか同じくらいの水が入った――グラスを手に取り、ほとんど一息に飲み干してから口を開いた。

 グラスの中身を煽るとき、少しだけ彼の眼が見えた。黒目が大きくて、真ん中の虹彩がやけに目立って見えた。


「なにも。警察の方が調べてくれたそうですけど、やっぱりなにも」

「そういうことじゃあ、ない」


 私が首を横に振ると、不知火がグラスをテーブルに置いた。乱暴な置き方だった。音に反応してカフェの店員のお姉さんがこっちを見た。


「警察がもっている情報は、こっちも全てもっているんだ……俺は、お前さんがもっているてがかりはないか、と訊いている」

「はあ……そう、言われましても」


 失踪直前、お兄さんとは電話で話しをした。通話記録によれば、お兄さんが携帯電話を使用したのはそれが最後であり、その後彼の声を聞いた人も、姿を目撃した人もいない。会話の内容は、警察に何度も話した。


「お前さんは、失踪者にこう言ったそうじゃあないか。『お兄さんなんか、ファンタジーの世界に飛んでいっちゃえばいいのよ』と」

「ええと、はい。それがなにか?」


 言葉通り、不知火は私が警察に話した内容を知っているようだった。私と従兄の詳しい会話の内容までは報道されていなかったのだ。

あの日、大学生活を始めたばかりだった私は、二駅ほど離れたところに家族と一緒に住んでいるお兄さんに連絡していた。名目上は片付けの手伝いだったが、本当は久方ぶりに逢いたかったのだ。けれども、彼は「ゲームをやっているから」なんていう理由で頑なに断ってきた。それで、彼が言うようなことを言って電話を切ったことは事実だった。けれどもそれだけだ。警察も私たちの会話から、彼が姿を消したあとに立ち寄りそうな場所を割り出すことはできなかった。


「お前さん、部屋に何か特殊なものを置いていないか?」


 不知火は宣言通り私の問いかけを無視した。そして、質問は一つでは終わらないらしかった。


「特殊なもの……ですか」


 思い当たる節はなかった。ベッドとコーヒーテーブル、テレビにパソコン、洗濯機……最低限の家具と洋服、靴は当然ある。雑貨の類いもいくらか置いてはあるが、一人暮らしの女の子なら誰でも持っていそうなものばかりだ。


「なにか、あるはずだ。お前さん自身にはなんの力も感じられないし、従兄の部屋にもなにもなかった」


 すでにお兄さんの部屋にも行ったというのか。私が彼の助手に連絡したのは昨日の夕方だ。その時間から動き出したとしても早すぎるし、叔母さんが突然現れた警察でもない男を家に上げたとも思えない……

 私は不知火を盗み見た。長い髪のせいでやはりどんな表情をしているのかわからない。恐ろしくなで肩で、猫背だ。底知れない力をもっている、とはやはり思えない。とん、とん、とこちらを急かすように不知火の右手薬指がテーブルを叩いている。忍耐強くもないようだ。


「あの、力って」

「人間一人を、なんの痕跡も残さずにこの世から消し去るような力だ。お前さんあるのか」

「ま、まさか」

「なら、考えろ。そういう力をもっていそうなもの、だ」


 ダメもとで質問してみると、答えが返って来たので少々面喰ってしまった。結局、彼のペースで取り調べの様な会話は続いた。


「う~ん」


 腕を組んで、頭を捻って考えても、自分の部屋にそんな力を秘めたものが置いてあるとは思えなかった。


「ちょっと、わからないです」

「なら、部屋を見せてもらおう」

「ええっ」


 私が降参すると、不知火が席を立った。


「思いつかないなら、“現場”を見て探すしかない」

「い、いや、でも、そのぉ」


 恥ずかしながら、父親以外の男性を部屋に上げたことがなかった。それに、一人暮らしのマンションに怪しい黒スーツの男性と戻るところを大家さんにでも目撃されたら困る。


「そそそ、その、散らかって……ますし」

「気にするな」

「私が気にします! ぱ、パンツだって干してあるし!」


 事実だがこれは言う必要がなかった。お昼時を過ぎたとはいえ、人気のカフェには老若男女、様々な人種がそれぞれの時間を楽しんでいた。彼らの喧騒が私の発言を合図にピタ、と止んだ。


「……ちっ。あのなあ」


 不知火が面倒くさそうに頭を掻いた。「注目されるのは苦手なんだ。とっとと出るぞ」言うが早いか、風のようにカフェを出て行く不知火。テーブルには彼のフケと、伝票が残されていた。

 私は真っ赤な顔で会計を済ませ、彼の後を追うしかなかった。


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