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記憶に残る、春

 そして四月になり、私達は中学三年生になった。


「マジ女って怖えーよな」


 いつもの公園のベンチに何となく集合した途端、智治が中年のオッサンみたいな深い溜め息をついた。

 華月は一度智治を見ただけで、すぐ手元の小説に目線を戻してしまう。話には入りませんよ、という意思表示だ。こうなったら私が話を聞くしかなく、貧乏くじを引かされた気分だった。

 智治は誰も返事していないのに、相談という名の愚痴を吐く。


「怒らないって言うから正直に話したのに、結局怒るしさー」


 その言葉に、私も深い溜め息をついて見せた。智治は分かってない。なーんにも、分かってない。


「あのね、一応言っておくけど、女が怒らないって言ってる時点で、すでにかなり怒ってるんだからね」


「え、じゃあ何でそう言わないんだ? 素直に怒ってるって言えばいいじゃん、訳分かんねぇ。どうすりゃいいんだよ。 ……ったく、自分でサバサバしてる方だって言ってたのに一度怒ると長引くんだよなー」


 いっちょまえに彼女が出来て、ちょっとは成長したかと思えばコレだ。


「馬鹿、自分はサバサバしてるって言う女子ほどサバサバしてないんだよ。もっと女見る目磨きなよ。将来変な女に騙されて結婚させられちゃうよ」


 サバサバしていると言う女ほどネチっこくいつまでの昔の事を覚えている、なんて常識だ。「私、ネチネチしてるよ」なんて言う女がいるわけない。アドバイスしながらも、こいつは将来ロクでもない女と結婚するんだろうなあ、と可哀想なものを見る目で見てやった。


 その時、智治のポケットから携帯電話の電子音が鳴り出した。そこに表示されている名前を見て、こちらにチラリと視線を寄越した。きっと噂の彼女からなのだろう。智治は分かりやすすぎる所が長所でもあり、短所でもある。


「もしもし。あー、うん。……え、今から?」


 電話口で彼女がぐずっているのか、智治が遠くへ移動しながら宥めている声が聞こえた。

 華月が本にしおり紐を挟んで閉じる。


「わり、俺行かなきゃ」


 面倒そうな声を出していたくせに、智治はテーブルの上に投げ出されたスポーツバッグを掴むと、私達の返事も聞かずに走って行く。


「どうやら尻に敷かれているみたいだね」


「全く、情けないッたら」


「うまくいってるみたいだし、良いんじゃないかな」


 あれでうまくいっていると言っていいのか。まあ本人が嫌じゃないならいいか。幸せの基準はその人次第だと言うし、虐げられるのが好きな人もいれば振り回されるのが好きな人もいるんだろう。周りがとやかく言っても浮ついている間は馬の耳に念仏だ。


「それよりも、真理ちゃん」


「何?」


 見ると、華月はにっこりと微笑んでいた。


「今は僕と一緒にいるんだから、僕の事を考えてよ」


「……っ」


 その場は途端に甘いムードに変わる。華月のこういう所に、私はまだ慣れない。

 そんな私の気持ちに気付かず、華月は更に私を動揺させることを言い出した。


「今から(うち)に来る?」


「えっ、華月の家に?」


「気が向かないならいいけど」


「いや、そういう訳じゃないんだけどさ、何か行きづらいって言うか……」


「昔はいつも来てたくせに」


「だって」


 昔と今じゃ全然違う。何しろ今は私は華月の“彼女”なわけで。華月の家に行くという事は、彼氏の家に行くと言う事なのだ。恰好は制服のままで失礼に当たらないだろうか。手土産は何にしたらいいんだろう。いくら「おばちゃん」「真理ちゃん」で呼び合う仲とはいえ、親しき仲にも礼儀あり、だ。


「んじゃ、来ないんだね?」


「行かないとは言ってない」


「素直じゃないなあ、真理ちゃんは」


 華月が小さく笑い、私は不貞腐れてそっぽを向いた。一度ごねるものの、結局は提案を受け入れる私の面倒くさい性格を、完全に読んでいるのだ。こういう点は幼なじみという関係性の欠点だと私は思う。




 私達は、何度も行き慣れた道を辿って華月の家に到着した。

 チャイムを鳴らしても反応は無く、華月は鞄から鍵を取り出して玄関を開けた。家は静寂に包まれており、人気(ひとけ)が無い。

 華月は「お母さん?」と呼びかけながらキッチンに向かって、すぐに戻って来た。


「お母さん、出掛けてるみたいだ。買い物にでも行ったのかも」


 まだ玄関先に立っていた私に、自分の鞄を渡してくる。


「先に部屋に行ってて。お茶入れてくるから」


「……うん、分かった」


 おばさんの留守中に家に上がりこむのも気が引けるけれど、昔はそんな事ばっかりだったじゃないかと自分に言い聞かせて靴を脱いだ。

 久しぶりに入った華月の部屋は、以前とは違う空気があった。モノクロの家具も、アンティーク風の地球儀も、ぎっしり詰まった本棚も同じなのにどこかが違う。


「何立ってるの、早く座りなよ」


 いつも私の特等席だったベッドは避けて、ローテーブルの横に座った。一瞬何とも言えない雰囲気が漂ったものの、華月は何も言わずに私の前にお茶を置き、机の椅子に座る。こちらは昔から定位置だ。するとすぐに部屋に音楽が流れ始めた。華月の好きな、昔の洋楽だ。


 しばらく無言でお茶を飲んだ後、華月がはす向かいに移動してきて私の名前を呼んだ。


「早く、しよう?」


「はっ!? 何言ってるの!?」


 突然耳に飛び込んできた言葉に、私は思わず大声で叫んだ。

 しよう、だなんて。私達はまだ中学生なんだから、そんな事出来るはずがない。しちゃいけない。

 そりゃ、クラスの女子が“経験済みだ”と自慢していたのを小耳に挟んだことはある。高校生や大学生になれば大体の人が経験することなのだと理解もしている。きっと私もいつかは経験する事になるだろうと漠然と考えた事もある。

 だけど、それは(・・)じゃない。今はまだ、早すぎる。


「そ、そういうのはもうちょっと時間をかけてから!」


「でも、宿題に時間かけてたら夕飯の時間になっちゃうよ?」


「えっ、しゅ、宿題!?」


 そして私は自分が大変な勘違いをしていた事に気付いた。顔を背けて何とか心を落ち着かせる。背後では華月がくすくすと笑っていた。きっと私が誤解した事もお見通しなのに違いない。こいつ、わざとなんじゃないか、と腹が立ってきた。


「ねえ、真理ちゃん」


「何っ?」


 怒りもあらわに振り返ると、唇に何かが当たった。冷たくて、でも柔らかい。その正体は、華月の唇だった。

 顔が赤くなるのが自分でも分かる。体温が急激に上昇し、怒りがちょっとだけ溶けていく。我ながら単純すぎる。

 だけどこんなキスは予想していなかった。もっと他のタイミングがあっただろう、と違う怒りが込み上げてくる。場所とか、ムードとか、もう少しそういうのを考えろ、と。


「ちょっと、するならするって言いなよ」


「だって。『キスしていい?』って聞いたら、真理ちゃん絶対『だめ』って言うでしょ」


「……」


 確かに。そんな事を聞かれたら速攻で断るだろう。


「もしかして、(いや)だった?」


「……」


 私は黙ったまま唇を押さえて俯いていた。返事をしない私の胸の内も、きっと華月にはバレている事だろう。

 嫌じゃない。むしろ……嬉しい。だけどそれを直接言うのは恥ずかしすぎる。


「嬉しいな。真理ちゃんの初めてのキスは、絶対誰にも譲りたくなかったんだ」


 華月は「初めてのキスは」の「は」に力を込めた。……何を言っているんだろう。私の初めてのキスも、それ以上の事も、華月だけのものなのに。そんな事、絶対に言ってやらないけど。


 華月は、私が口を隠していた手を掴んだ。そして再び近付いて来る。二回目のキスだとすぐに分かる。


 だから私はゆっくりと目を閉じた。


 目を閉じる瞬間、華月の顔が少し寂しそうに見えたのは、――きっと気のせいだ。


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