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夏の夜の冒険

 あれは3年前の夏に遡る。


 幼い頃以来、少々疎遠になっていた私達は、智治の妹の「キャンプへ行きたい」という希望を聞き入れてとある高原に来ていた。釣りをしたり、BBQをしたり、典型的なアウトドアを楽しんだ後、親たちはたき火を囲んで語り合っている。子供が聞くには退屈過ぎる、大人の会話というやつだ。朝からはしゃぎすぎた智治兄妹はすでにテントの中で眠ってしまっている。


「真理ちゃん、どこ行くの」


「しーっ」


 もう寝る、と言い置いてそこを離れた私を、華月が呑気に追いかけて来た。思いも掛けない出来事とその声の大きさに、私は慌てて華月の口を両手でふさぐ。さっさと戻りなよ、そう小声で言っても相手は一向に動こうとしない。自分の密かな計画がすでに潰れた事を知り、小さく溜め息をついた。


「ウチは一昨年もここにキャンプしに来たの。その時にタイムカプセルを埋めたんだ」


「……まさか、今からそれを?」


「さっすが、華月は察しがいいね」


 親たちには何とかうまく誤魔化しといて、と言って数歩歩くと背後から同じリズムの足音が聞こえて来る。振り返るとぴったりと寄り添うような華月の姿がそこにあった。


「……何してんの」


「一緒に行くよ。暗いから危険だし」


 もちろんすぐに一人でも平気だと断った。だけど華月は頑として首を縦に振らなかった。優しそうに見えてその実、頑固な男なのだ。仕方なく私は華月の同行を許した。ここで押し問答をするよりもさっさと行ってさっさと戻ってきた方が早いと判断したからだった。 


 キャンプ場を離れると明かりが全くない暗い道が続く。やっぱり懐中電灯だけじゃ足りなかったかもしれない。邪魔だと思っていた華月の息遣いが少しだけ安心材料になる。夏といえども高原の夜は冷える。虫の音や私達が立てる物音がとてもよく聞こえる気がした。星がきれいに見えるね、という声に空を見上げると、澄んだ空に数えきれないほどの星が見えた。チカチカと点滅するようにその輝きが揺れているのが分かる。夜空に光る星の光が地球に届くまでには何万光年もかかると教えてくれたのは華月だったっけ。中にはもう消滅してしまった星もあるそうだ。そんな事を語る華月の瞳の方がよっぽど星のようだった事を思い出した。


「どの辺なの?」


「えーと確かあの木の向こう……だったと思う」


 答える声に自信が無いのが自分でも分かる。何しろ埋めたのはまだ明るい時間だったのだ、これだけ真っ暗だと方向感覚も鈍るというものだろう。じゃあ何でこんな夜中に掘り起こしに来たのかと聞かれたら、気が向いたから、という答えしか返せない。きっと夏の夜の冒険という言葉に酔っていたのだろう。


「タイムカプセルに何入れたの?」


「内緒。確かこの辺だったような……、えっ……!?」


 一歩踏み出した足がずるりと地に吸い込まれる。雨でも降ったのかぬかるみに足を取られ、ずざざざざっと足元が滑り、穴に落ちる感覚が私を襲う。


「ぎゃああああっ、華月いっ」


「な、何、どうしたの?……うわあっ」


 無我夢中で掴んだのは、華月の足だった。急斜面を滑り落ちてようやくそこが穴では無く窪地だと分かる。


 強く打ちつけた腰を擦り擦り、華月の無事を確かめようとすると華月が肩を押さえて呻いていた。後から落ちたはずの華月が何故か私を包み込むように傍に居た。


「華月、血が……!」


 夜露に濡れているのかと思った。だけどそれはしっとりと温かく、懐中電灯で照らすと華月の腕に太い木の枝が刺さっていた。


「こんな傷くらい何て事ないよ。それより真理ちゃんは大丈夫? 怪我、してない?」


 腕を押さえながらそれでも自分ではなく私の事を心配する華月。


「馬鹿っ! 私の事なんて今はどうでもいいじゃん!」


 明日の朝まで我慢出来なかった自分が一番馬鹿だって分かってる。だけどそう簡単に認める事が出来なかった。


 私は傍に転がっていた懐中電灯を拾い上げ、今滑り落ちて来た斜面を見上げる。一人で上がるのは難しそうだった。周囲に明かりを向けると遠くにショベルカーのような車体のシルエットが見える。何の目的かは分からないけれど、どうやらこの穴を掘った犯人はアレらしい。当然、周囲に人の気配は無い。


「ここで先に登って真理ちゃんを引っ張り上げられたらかっこいいんだけど。ちょっと無理みたい」


 華月が力なく眉を下げる。体格差がほとんどない私達じゃ、どちらかがどちらかを持ち上げるのは難しい。ましてや華月は怪我をしているのだ、腕を上げるのも辛いだろう。


「僕はここで待ってるから誰か呼んで来てくれない?」


 華月が背中を向けてしゃがむ。その肩に足を乗せろという意味らしい。


「でも、」


 こんな暗闇に華月を置いていく事を一人ためらっていると、華月が早く、と言った。その声には切実な響きがあり、私はためらいを捨てて頷いて見せる。迷っている暇は無い。一刻も早く怪我の手当てをしなくては、その思いが挫けそうになった気持ちを奮い立たせる。


「華月、乗るよ」


「……っ!」


 片足を乗せると反対側とはいえ傷が痛むのか、華月が声にならない悲鳴を上げた。手探りで頑丈そうな草木を掴み、えいやっと弾みをつけて斜面を上りきる。腕に痛みが残る。だけど華月の痛みはこの比じゃないだろう。荒い息を吐きながら、窪地に蹲る華月を振り返る。


「すぐ戻るから、待ってて!」


 華月が小さく頷くのを確認して私は来た道を逆走した。気持ちが先走り過ぎて、二度ほど転んだ。膝から血が出た。だけど痛みは全く感じなかった。


 戻って来た泥だらけの私を見た両親達は一様に驚いた顔をしていた。華月が、華月が、としか言えない私を見て、抜け出したことを叱るのもそこそこに表情を引き締めて各々ロープやタオルなどを持ち案内を命じる。騒ぎを聞きつけ、智治がテントから寝ぼけ眼で顔を覗かせたのが見えた気がするけれど、そんな事に構う余裕は無く、私は息つく暇も無く引き返した。


「華月!」


 くたりと倒れるように斜面に寄り掛かる華月を見て、ぞっとした。―――死んでるんじゃないかと思って。……縁起でもない。

 私の呼びかけによろよろと顔を上げた華月の細面の顔には、すぐに安堵の表情が浮かんだ。私のせいでこんな状況に陥ったのに、来てくれてありがとう、なんて言わないで。その言葉は自分の軽はずみな行動を責められるよりもずっと胸に刺さった。


 無事に救出された華月は緊急病院に運ぶ事になった。毛布に包まれ車に乗り込んだ華月が、「真理ちゃんは僕の命の恩人だね」と言って嬉しそうに微笑む。


 ……逆だよ、逆。


 私一人だったらきっと誰にも見つけてもらえずに朝まで怪我の痛みと孤独に打ち震えなきゃならなかった。怖くて手足が震えたけれど、私は孤独を感じなかった。それもこれも、華月がここまでついて来てくれたおかげだった。私がほとんど怪我をしなかったのも、転げ落ちる瞬間、咄嗟にかばってくれたからだろう。お礼を言うのは、私の方。華月は私の恩人だった。




 幸い、傷は出血量ほどにひどくは無く、何針か縫っただけで済んだそうだ。もちろん私のすり傷や転んだ時に出来た膝の傷もすぐに癒えた。あの夏から私は結局華月にごめんもありがとうも言えていない。タイミングを見失った、とでも言うのだろうか。都合のいい話かもしれないけれど、華月がその話題を避けていたようにも感じる。決して口に出さない、だけど、いつでも胸の一番中央にあり続ける記憶。あの夏の出来事は私にとってそのくらい重要な位置を占めていた。


 結局、タイムカプセルを見つける事は出来なかった。だけどそれよりももっと大切なものを見つけたと思った。絶対に私を一人にせず、守ってくれる存在。―――そう、華月という存在を。


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