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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
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 ブルーローズの館はとても古いものだった。

 初めて外観を見た時は夜だったためにわからなかっただけで、かなり老朽化が進んでいる。萎びた蔦がそこらじゅう這っており、外壁の付け根部分は長年雨ざらしにされて黒ずんでいた。

 もとは美しい白煉瓦で建てられていたと思われるが、見る影もない。しかし、内観は外観ほど損なわれていることなくあった。前の使用人の手がきちんと行き届いていたのだろう。虫も湧いていないし、カビもない。

「おいっしょっと」

 声を上げて、ルビーは館中の部屋にあるシーツをカゴいっぱいに詰め込んで庭へ出た。庭にあるホースで手洗いするのだ。シミなどはついていないが、薄っすら埃をかぶっているシーツを大きなバケツに突っ込む。固形石鹸で軽く擦って泡立てた。

 ルビーがブルーローズから頼まれたのは、館の中の掃除だけだった。他にもすることはないかと申し出るも、彼は柔らかく断った。ルビーがこの館にいてくれるだけでいい、と。

 ルビーは晴天に顔を向け、首を伸ばした。太陽の光に意識が霞む。今朝は起きるのが辛かった。だるいとでも言おうか。体の節々と胃がきりきり痛んだ。

 ちりん、と後ろから音がする。

(また来た)

 ルビーは眉根を寄せて、短い髪を振り乱して首を回した。

「――何よ」

 平坦な声で、自分の後ろに佇む少年に問う。彼は飄々とした顔をして林檎を取り出してルビーの鼻先に突きつける。

 ルビーは礼も言わずにそれを乱暴に受け取ると、しゃくりと咀嚼する。甘酸っぱい水分が乾いた喉を潤す。

 この館で働き始めて五日が過ぎた。

 ブルーローズからは買い出しなどはグレイや自分がするから、館のことを頼むと言われていたため、ルビーはその間一歩も外に出ていない。ぬかりなく掃除をして、余った時間は館内にある書庫で読書をしたり庭の散歩をしたりと非情に充実した暮らしを送っていた。

 グレイは毎日欠かさず、こうして仕事をしているルビーの前に現れては果物や水をくれる。ちゃんと三食摂っているから要らない、と初日こそ突っぱねていたルビーだったが、二日目からはカラカラに喉が渇いているのを我慢出来ずに不承不承、その恵みをもらっていた。

「毎日毎日、どうしてこんな持ってくるの。私のこと嫌いなんでしょ。放っとけばいいじゃない」

 つんとそっぽを向くルビーにグレイは困惑した表情を象ってみせた。

「嫌い、なわけじゃない」

「じゃあ、邪魔なんでしょう? ブルーとの平穏な暮らしを乱す私が疎ましいんだ」

 ルビーは自嘲の笑みを浮かべた。捻くれた言い方しか出来ない自分。それを一番疎ましく思っているのはルビー自身だ。

 もっと満面の笑顔で感謝の意を述べられれば、グレイとも仲良くなれるかもしれない。しかし、それが出来たら苦労はしない。

 はあ、と沈痛な溜め息を洩らす。

「…………ルビー」

 グレイの低い声がルビーの名前を呼んだ。微かに鈴の音が耳に残る。

「誰も疎ましいなんて思っていない。だから、あまり心にもないことを言うな。心を傷つけてしまう」

 ルビーは目を見張った。グレイは言葉足らずだ。彼の真意をルビーは窺い知ることが出来ない。ブルーローズのように、ルビーの体を気遣ってくれたり優しい言葉をかけてくれるでもない。

「あんたって、変なの」

 もらった林檎にかぶりつきながらルビーはぼやく。微かにグレイが笑った気がした。



 夜の帳が館を覆い尽くす。

 いつもとさして変わりない日常を終え、ルビーは居間でブルーローズとグレイと食事をともにする。

 ブルーローズと交わす今日あった出来事はどれも小さなことばかりだ。やれ、花園の薔薇に珍しい色をした蝶が止まっていたとか、夕立のせいでシーツが湿ってしまったとか、取るに足りないことばかり。

 普通の人なら、退屈に思ったかもしれない。

 しかし、今まで忙しなく働き狂っていたルビーにとって、のんびりとした日常は素晴らしいことこの上ない。自然、頬が緩む。

「じゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 ブルーローズは毎日ルビーの寝室まで就寝前に飲む水を持ってきてくれる。ルビーは笑顔でそれを受け取って彼に礼を言う。

 ばたん、とドアを閉めた。くらりと眩暈を覚える。最近、どんなに食べてもお腹いっぱいにならない。

 ルビーは揺れる小窓のカーテンを見やり、肩を竦める。

「いるんでしょう?」

 軽やかな音を立てて、グレイが客間へ侵入してきた。

 彼は夜になると決まってここへやって来る。しかも、ブルーローズからもらった水を強引にルビーからもぎ取って捨てるのだ。今日も彼は義務的にルビーの方へ近寄って来た。

 ルビーは咄嗟に水の入ったグラスを後ろに隠す。グラスを掴もうとしていたグレイの手が宙を彷徨った。

「理由を言って。こんなの嫌よ。なんでブルーが折角入れてくれた水を捨てたりするの」

 グレイは静謐な瞳でルビーを見ていた。彼はルビーの右手を優しく握る。

「わかった。そんなに知りたいなら、教えてやる」

 言うが早いか、彼はルビーを横抱きにして小窓から躍り出た。ルビーは思わず小さく悲鳴を上げる。

 手にしていたグラスから青い花弁と水が零れ落ちる。

 それはグレイの黒い服にかかり、色合いを紺に変化させた。

「ちょ……おろしてよ!」

 真っ赤になってグレイの胸を叩くが、彼は言うことを聞いてくれない。ルビーのか弱い力など痛くもない風だ。

「どこ行く気っ?」

「湖へ」

「…………湖?」

 ここいらに湖があるとは初耳だった。

 この町は自然を切り倒して造られている。森や湖などといった類の自然は完全に失われているはずだ。それらは町から出なければお目にかかることは出来ない。

 上目遣いでグレイを見る。彼の首筋が細い月に照らされて神秘的なラインを描いている。

 くらり、とまた眩暈がした。少しだけ頭も痛い。

「グレイ……ちょっと、眩暈が……」

「寝ていろ。少ししたら起こす」

 簡潔にグレイは言い放った。

 ルビーは言い返す気力もなく、瞼を閉じた。

 ちりんちりん、と鳴る鈴の音が子守唄のようにルビーを眠りへ誘った。





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