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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
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「誰っ」

 自分でも驚く程に冷たく鋭い口調で、ルビーは外にいる何かに向かって叫んだ。

 ちりん、と再び小さな音がした。

 ルビーは揺れる林檎の木を目で追う。

 やがて、木の枝がしなると、一つの影が現れた。

 金色の瞳がルビーを射抜くように妖しく光っている。夜に溶ける闇色のざんばら髪が風にはためく。ひょろりとした少年が、枝に座っていた。

 動揺が閃光のように走り、ルビーは後ずさる。

 少年はじっとルビーを見つめていたが、何を思ったかひょいと窓から部屋へ乗り込んできた。

「ちょっとあんた! 勝手に入ってこないでよ!」

 了承も取らずに女の部屋へ入って来るなど、非常識極まりない。ルビーの中で恐怖より怒りが勝り、少年を指差してルビーは若干震える声で叫んだ。

 少年は首を左右に振って顔にかかった髪を払い、ドレッサーの上に置かれていた黒い紐で後ろ髪を縛る。器用に蝶々結びをする彼の両手には黒い手袋がかぶせてあった。

「人を呼ぶわよ!」

 脅してみるが、少年は顔色一つ変えない。ただ、冷静な金色の瞳を瞬かせる。随分背が高い。ルビーの頭二つ分はあるだろう。すらりとした体躯は、無駄なぜい肉や筋肉を全く感じさせなかった。

 何も喋ろうとしない黒髪の少年に対して苛立ちを覚えながら、ルビーは腰に手を当てた。

「この館の主人、すごく怖いんだから」

 はったりである。ブルーローズは見るからに優しそうな少年だ。しかし、侵入者に真実を教えてやる義理はない。ルビーは恐怖と動揺を胸に押し潰して挑むような目つきで少年を見やる。

「……ちがう」

 少年がようやく口を開いた。低く落ち着きのある声だった。

「何が違うって言うの」

「ブルーは、怖くない」

 ルビーは目を瞬かせる。少年はそれきり何も言わない。

「あんた……ブルーを知っているの?」

 ルビーの問いに、少年はこっくりと首を縦に振る。

「もしかして、この館に住んでる人?」

 少年はまた深く頷いた。

 彼はドレッサーの前に立ち、下に転がっていた林檎を掴もうとする。

 ルビーは慌ててその手を取る。少年は金眼を丸くしてルビーの顔をまじまじと眺める。真黒い長袖の服を着込んだ少年の袖口と黒い手袋の間から、浅黒い肌が見え隠れする。

「ガラスの破片が落ちてるんだから、危ないわ。怪我しちゃう」

「手袋をしているから、平気」

 ルビーはまなじりを吊り上げた。

「駄目よ」

 ぴしゃりと言えば、少年は薄い唇を引き締める。彼は黙ったまま林檎から手を放す。赤い林檎が小さな音を立てて床に落下する。

 ルビーは屈み込むと床に散らばった大きな鏡の破片を拾い集めてゴミ箱に運ぶ。バッグに入れていた二枚の布を取り出し、ローテーブルから滴る水を布に含ませて丁寧に拭った。

 細かいガラスの破片は、注意を払いながら布にくるんでゴミ箱に捨てる。その作業を何度か繰り返し、ルビーは額に浮かぶ汗を拭った。

 一連の動作をつぶさに見ていた少年は部屋から出て行こうともせず、すみに佇んで微動だにしない。

「さ、これで大丈夫。はい、どうぞ」

 ルビーは少年が投げ入れてきた林檎についた微粒なガラスをゴミ箱の上で払い、彼に手渡した。少年は掴みどころのない表情を浮かべてそれを受け取る。ただの林檎をじっと見つめながら彼は呟く。

「グラスと鏡を割ったのは俺だ。なのに、何故……」

「どう見ても、ガラスの片付けに関してあんたより私の方が慣れてると思ったから」

 ルビーは肩を竦めてみせる。

「ちょっと訳があってこの館に泊めてもらっている身だけれど、私は近くの邸で使用人をしているの」

「使用人……」

 少年の目がいびつに底光りした。ルビーは、うんと頷いて警戒心を解かずに少しだけ微笑を浮かべる。

 何と言っても、目の前にいる彼は客間へ林檎を投げ込んできたのだ。ルビーに当たらなかったから大事に至らなかったものの、もし当たっていたら相当な痛さだっただろう。

「私はルビーと言うの。あんたは?」

「……グレイ」

「グレイ、明日にはもうお暇するけれど、今夜だけここを借りることを許して」

「許すも何も、ブルーが決めたのなら俺が口出しすることじゃない」

 ぶっきらぼうで、他人を拒絶するようなグレイにルビーは眉根を寄せる。

 非友好的すぎる少年。いつもだったら張り手の一つくらいお見舞いしているところだが、グレイはブルーローズの館に住む者だ。失礼は出来ない。長い年月をかけて培われたルビーの使用人根性が、殴り倒したい衝動を必死にとどめる。

「そう。ねえ、グレイはブルーの親類か何か? ご兄弟とか?」

 ルビーの質問にグレイは、まさか、と目線をずらす。

「ただの同居人」

 言うが早いか、グレイは小窓に足をかけて林檎の木に飛び移った。ちりん、と鈴の音がする。いっさいの恐れを感じさせない動きにルビーは眼を見張る。グレイは金色の瞳でルビーを振り返ると、一瞬切なげな表情を垣間見せた。

「ルビー、なんで――逃げた」

 動悸が走った。何か得体の知れないものがルビーの中をうごめく。警鐘がルビーの胸のうちに響いた。グレイが言葉にしたことに、ルビーは思い当たるふしがない。なのに、何故か脳裏が熱くなる。

 ルビーは小窓に手をかけて身を乗り出し、グレイに声をかけようとしたが、彼は林檎の木から地面に飛び降りて花園の方へ駆けて行ってしまった。





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