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「はい、そこまで!」
後ろからパンパンと手を叩く音がし、ルビーと向かい合っていたグレイスはギョッとして振り返った。
そこにはマドレアが鼻息荒く佇んでいた。彼女の後方には金髪の少年の姿もあった。驚くほどブラウに似ている彼はおそらく、カーティス公爵家の次男・ネイブだろう。ブラウと似た淡い金髪に少しだけ濃いブルーの瞳を持つネイブは、申し訳なさそうな目でグレイス達へ小さく頭を下げた。
マドレアは大股でグレイスとルビーの間に入ってくると、二人を引きはがした。
「全くもう、カーティス家の使用人は融通がきかないったら……。グレイス、あんたなんであたしやネイブに会うより先に、ルビーと会ってるのよ!」
「……たまたまだ」
むっつりとした表情で答えるグレイスに、マドレアは嘆息した。
「せっっっっかく劇的な再会をセッティングしてあげようと思ってたのに。ねえ、ネイブ?」
「ああ……うん」
ネイブは曖昧に笑う。どうやら彼自身はマドレアの計画に乗り気ではなかったらしい。きっと、無理矢理付き合わされたのだ。
「マドレア……」
額に手をやって頭を振るルビーに目もくれず、マドレアは鋭い眼差しをグレイスへ送ってきた。自由きままでわがまま放題の彼女に似つかわしくない大人びた表情を前にし、グレイスも己の顔を引き締めた。
「選びなさい、グレイス・ジョン=ワエブ」
マドレアのものとは到底思えない厳格な言葉が飛んだ。
「このままずっと、父親のいいなりになってずっと生きていくか、ルビーのために行動を起こすのか」
「マドレア、私は……」
「あんたは黙ってて」
横から割り込んでくるルビーを牽制し、なおもマドレアはグレイスへ言葉をぶつけてくる。
「中途半端が一番駄目なのよ。ルビーのためにも、ちゃんと白黒つけてちょうだい」
彼女の言うことは正しかった。中途半端な状況はルビーを一番傷つける。
「もし、グレイがルビーを悲しませるなら、ボクがルビーを幸せにするよ」
ネイブは無邪気に言った。
「あんたには十年早いわ」
「ひどいや」
マドレアの小馬鹿にした言葉に、ネイブは肩を竦めて見せた。
二人の掛け合いを見て、グレイスは少しだけ笑った。彼の笑顔を見たルビーも、花のつぼみが綻ぶように笑った。
◆
ヘンバールの町にあるワエブ伯の館は見る者を圧巻する雰囲気をまとってそびえ立っている。
グレイスはその門前にいた。
カーティス公爵家に一晩世話になったあと、グレイスは全ての決着をつけるためにここへ戻ってきた。逃げ続けたところで、何も終わらない。
グレイスは唇を一文字に引き締め、門を押し開けた。そして、驚いた顔で自分を見てくる使用人達に目もくれず、胸を張って目的地であるワエブ伯の自室を目指す。
「坊ちゃん!」
廊下を歩いていると、老執事を筆頭に数名の使用人が駆け寄ってきた。彼らは、グレイスがルビーの両親のもとへ行こうとするのを後押ししてくれた者達である。
「じい…………俺を行かせてしまって、父から叱責を受けたりしなかったか……?」
「ええ、大丈夫です。ただ、他の者ともども減給になりましたがね」
さらりと言い、老執事は軽くウインクした。
「俺のせいで……」
「坊ちゃん」
グレイスに向かって老執事は厳かに言葉を紡いだ。
「奥様が去った時も、親友でおられたブラウ様が亡くなった時も、わたしくしはあなたに何もしてあげられなかった。グレイス坊ちゃんを苦しみから解き放てるお手伝いが出来たのであれば、本望です」
老執事の後ろに控えている者達は一様に頷く。
「…………今から、父上と面会してくる」
「そうですか。きっと、グレイス様なら大丈夫でございますよ」
恰幅の良いメイドが朗らかに笑って励ましてくれた。
「もしこの邸より出ることになったとしても、薔薇の研究だけは続けて下さいましね。グレイス坊ちゃまの開発される薔薇は、他のどんな薔薇より暖かみに満ちておりますから」
グレイスの教育係として長年邸に仕えている女史はキビキビとした口調で言った。彼女の言葉に、グレイスを取り囲んでいた使用人一同は優しく頷いてくれる。
「……ありがとう」
グレイスは小さな声で言った。
自分が気付いていなかっただけで、本当はこんなにも優しい者達に囲まれていたのだ。目を開けて、耳を澄ましてみればすぐに気付く柔らかな空気。息苦しいと思っていた我が家にはいくつもの日溜まりがあった。
グレイスは老執事達に見送られつつ父親のいる部屋へ歩を進めた。
そして、重厚な黒塗りのドアの前で止まった。
コンコン、と二回ノッカーで扉を叩く。
「――――入れ」
中からぶっきらぼうな声がした。
「失礼致します」
室内に入ると、ワエブ伯は窓際に寄せたアームチェアに深くもたれかかっていた。彼はグレイスの方を見ようともしない。
グレイスは胸ポケットからおもむろに手紙を取り出し、細かく引き千切る。紙を裂く音を不審に思ったワエブ伯は、首を捻ってこちらを見た。
「これは、廃棄します」
そう言ってグレイスは千切った手紙――ワエブ伯がプルチェット家を貶めた証拠たる手紙――をゴミ箱に入れた。ワエブ伯は顔に喜色を浮かべた。
「おお、グレイス……戻ってくる気になったのか」
いいえ、とグレイスは首を横に振る。
「あなたに媚びへつらうために燃やしたんじゃない。プルチェットさんが公表することを望まなかっただけです」
伯爵は、馬鹿な、と独白して空を仰いだ。
グレイスはそんな父親に向かって、初めて自分自身をさらけ出した。
「……父上、俺は……煌びやかな貴族の世界で生きていくことが出来そうにありません」
「なに……?」
「この家の相続権を、放棄します」
これは訣別だ。
グレイスはルビーを選んだのだ。家を捨てでもルビーと共にありたいと願う彼の瞳には固い決意が浮かんでいる。
ワエブ伯は、グレイスが発した本音に茫然自失とし、ひじかけを支えにして脱力した。
「わしが一体、誰のために……ここまで家を大きくしたと思っておるのだ」
「父上……」
「この、愚息が!」
グレイスから顔を背けた父親の背中が小さく見える。……今ならわかる。彼は彼なりに、グレイスのことを思っていてくれていた。
「去る身で願いを口にするのはおこがましいと思いますが……プルチェット一家に手出しはしないで頂きたい」
「手出しだと……? はっ、あのように落ちぶれた者をいたぶるほど、わしは暇ではない」
伯爵は、つっけんどんに答えた。その背中は小刻みに震えている。
「――――遠く、去るがいい。まかり間違ってここら一帯に立ち寄った時は……絶対に伯爵の地位を継いでもらうからな」
どことなりとも行くがいい。
言外に込めた父親の思いに、グレイスは初めて父親へと笑みを贈った。
「……ありがとう、父上」
ワエブ伯は何も言わなかった。
グレイスは深々と頭を下げ、部屋を後にする。
そして、開発室として使っていた部屋にある数少ない持ち物を手提げカバンに詰め込んで住み慣れた家を出て行く。
「若旦那様」
見納めに、と玄関外で家を振り返ったグレイスへ、若い使用人が声をかけてきた。彼女は祈るように指を組み合わせた。
「あの子を、幸せにしてやって下さいな!」
彼女はルビーのことをよく知っている。彼女がお茶を運んでくれる際によくルビーの話をしていたのだ。
「ああ……」
「さあ、早く行ってあげてっ」
そう言って若い使用人はグレイスの背中を押す。
どうしてそんなに急かすのかとグレイスは娘に問おうとして、やめた。
邸の前には一台の馬車が止まっていた。馬車の小窓から、プラチナブロンドの髪が見え隠れしている。
グレイスは娘が急かしてくる理由を察し、邸の前に待つ馬車の方へ歩き出した。
最近文章が荒れててすみません;
時間が出来たら修正したいと思います。
ちなみに、あと二話で完結します。
もう少しの間、ぜひおつきあい下さい!