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森の鳥達がいっせいに舞い上がり、しきりに騒ぎ立てている。
『どうしたのかしら』
両親に買ってもらったばかりの水玉のシフォンワンピースを着た、プラチナブロンドの少女は小首を傾げる。
少女の横で長い足を投げ出して木に凭れていた少年も、読みかけの本を閉じて鳥達が騒いでいる方向を見やる。
『さあ……来客かな』
『そうなの? じゃあ、私がお出迎えしてくるわ。ブラウはここで待っていて』
『ルビー、待って』
ブラウの制止を振り切り、ルビーは鳥達が騒いでいる場所へ急いだ。
鳥達が騒ぎ立てているのは、ルビーがブラウとよく行く森の入り口にある湖の近くだった。慣れ親しんだ場所のため、彼女が迷うことはない。
『…………!』
ブラウの役に立ちたい一心で息を切らし走っていたルビーの足が止まる。
湖の前に広がっている白つめ草が風に乗って飛んでいく。
白い花の合間から複数の少年達が何かを取り囲んでいる姿が見えた。少年達の中央には黒いものがうずくまっている。ルビーはそれを凝視した。
少年達が木の棒で叩いたり、足で思い切り蹴っているのは、毛糸玉くらいの小さな猫だった。
金色の目をした猫は、じっと場を動かずにそのひどい状況に耐え忍んでいる。その顔は悲しく歪んで見えた。
『やめて! 酷いことしないで!』
思わず金切り声で叫んだ。それは白つめ草が咲き誇る野原一面に響き渡る。
ルビーはチャコールグレイの瞳を揺らめかせ、黒猫と少年の間に割って入った。少年達はバツが悪そうに舌打ちする。
『ちぇっ、何良い子ぶってんだよ! 面白くない。行こうぜ、グレイ』
『あ……ああ……』
グレイと呼ばれた黒髪の少年は他の少年達が去った後も何か言いたげに場に留まったが、やがて拳を握りしめて走り去って行った。
少年達の姿が見えなくなったことを確認してからルビーはおろし立てのワンピースが汚れるのも厭わず地面に膝をついた。
『大丈夫? 猫ちゃん』
黒猫の前足から血が出ている。よほど強く殴打されたのだろう。ルビーはポシェットに入れていたハンカチで黒猫の前足の怪我を覆う。彼女の目に涙が浮かんだ。
黒猫は弱々しく、みゃあ、と鳴いた。
『私は酷いことしたりしないからね。私、ルビーって言うの』
ルビーは黒猫に語りかけ、そっと手を差し出す。強引に抱き上げて連れて行くことはしない。黒猫が自らルビーのもとへやって来るのを辛抱強く待った。
黒猫は毛を逆立てて警戒していたが、やがて、恐る恐る近寄ってくる。
『おいで』
木漏れ日のように優しく温かな声でルビーは言った。
そんな彼女と黒猫を見つめている少年がいた。
『あの……』
『!』
黒猫を抱えたルビーは軽蔑の眼差しを少年へ向ける。彼は、先ほど黒猫をいじめていたうちの一人だ。
黒髪に琥珀色の瞳を持った少年は走って引き返してきたのか、息を切らしている。
『あの……その猫…………怪我は?』
『何よ、あなたが怪我させたくせに! 近寄らないで!』
ルビーはぎゅっと黒猫を抱き込んで少年の視線から隠す。その目は嫌悪で満ち満ちていた。
『あ……ごめ……』
『もう、この子を傷付けさせないんだから! あっち行ってよ!』
少年はひどく傷付いた表情を垣間見せた。彼はぐっと下唇を噛みしめて踵を返した。
ルビーは自身と同じく小さな子猫を抱きかかえ、絶対に離さないと言うように頬ずりをする。
白つめ草が散る。
景色が白く塗り潰された。
◆
燦々と朝日がグラン家の屋根裏部屋へ射し込む。
埃っぽいベッドに横になっていたルビーは両目に手を当てる。
「どうして……?」
問いかけに答える声はない。
今更、どうして思い出すのだろう。
嫌な記憶だった。
愛猫・レイクをいじめていた少年達。彼らを追っ払ったことは覚えていたが、少年達の詳細など覚えていないと思っていたのに。
レイクをいじめていた少年が、グレイス・ジョン=ワエブ。彼はどこまで自分と繋がっているのだろう。
突然いなくなったレイクを一緒に探してくれたこと。
真摯な眼差し。
少しでも会話を続けようと、口下手なりに努力してくれるところ。
ルビーに毎回プレゼントしてくれる薔薇の花束。
全てが、ガラガラと音を立てて崩れて行く。
それでも心に浮かぶのは、土砂降りの雨の中でルビーへ手を伸ばしてくれた彼のぶっきらぼうな優しさで。
どうにもならないがんじがらめな状況に、ルビーは一人途方にくれた。