プロローグ
大気は氷点下まで冷え込んでおり、空は雪雲を抱えながらも透明な色をしていた。
郊外の森にぽつねんと佇む館には、真白い薔薇園が存在する。
そんな館に向かって一人の少年が走っていた。息を切らし、青白い頬を血走らせて彼は走っていた。
覚悟を決めた琥珀の双眸は、前だけを見つめている。
かさり、と薔薇達がいっせいにさざめいた。黒髪の少年は立ち止まる。彼は白い薔薇が広がる花園を見、驚愕の表情を浮かべた。
白薔薇園の中、ちらちらと金糸が見え隠れしている。
まるで薔薇の棘に縫い止められたかのように、少年はその場から動かない。
しばらくのち、彼は恐る恐る薔薇園へ立ち入った。咲き綻ぶ薔薇を掻き分け、つぼみを押し倒す。潰れたつぼみから蜜が滴り、甘い香りが滴った。
白い薔薇が覆い隠していたモノを見つけた少年は整った顔貌を激しい動揺に乱す。切れ長の双眸は瞬くことをやめる。
「――――……?」
小刻みに震える赤い唇が動いた。少年の声に答える者はいない。
遥か高みから地表を包み込む太陽が少年と薔薇園を照らしていた。
常軌を逸した光景だった。
真珠よりも美しく淑やかに、陽光を浴びて薔薇は輝く。
白薔薇の花園を映し、透明な空さえも白く変色した。
少年の目は、薔薇達の中央一点に集中していた。彼が見つめる先にあるモノの横には、錆びついたブリキ缶と刷毛が置いてあった。缶の底には青い絵具がこびり付いている。
少年の腰が砕けた。そのまま薔薇の絨毯に座り込む。
「あ…………」
柔らかな陽射しを受けて、少年の瞳が金色に濁った。
――風が吹いた。
花びらのシャワーを降らせながら、白い薔薇は踊る。
手にしていた書面を握り潰して少年は歯軋りした。彼の太陽のような瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。その先にあった白薔薇を一輪、握り潰した。
雪雲が、静かに雪を降り注ぎ始める。
光と無音に包まれた世界は幻想的でいて美しく、そして冷たく悲しかった。
声にならない少年の悲鳴は、誰の耳にも届かない。