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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
22/39

番外編 連綿と紡ぐ想い《後編》


 同年の使用人達は子供のことや旦那の話に花を咲かせていた。

 ルビーの周りで結婚していない同年代の娘といったら、マドレアぐらいである。しかも、マドレアは大学へ通っているから結婚していないだけで。彼女も大学を卒業してしまえば、すぐにでも結婚するに違いない。

 恋愛結婚はもとより、知人からの口利き、恋愛結婚、出来ちゃった婚。様々なケースを見てきたルビーだが、一度たりとも結婚――いや、恋愛に関心が持てなかった。

 今になってみて、ようやく気がついた。グレイがいたから、別に恋人なんて要らないと思っていたことに。

 ルビーは手にしていたモップをバケツに突っ込んで重い溜め息を吐くと、窓越しの冬空を見上げた。

「今年は旦那以外の男性にバレンタイン・カード渡しちゃおうかしら」

「やだ! あなたのところの旦那さん、泣いちゃうわよ。愛してもらってるでしょ?」

「その言い方、厭味~」

 あと一日に迫ったバレンタインのことで盛り上がる使用人達を尻目に、ルビーは床のモップがけを再開する。

 刻々と時間は流れて行く。どんなに心の傷が癒えなくても、いつもどおりに世界は回る。

 毎年、黒猫のためにと手作りしていたバレンタイン・カードの材料は屋根裏部屋のトランクケースの奥へ隠した。きっと、見たら泣いてしまう。人は忘れる生き物だという。

 しかし――本当にそうだろうか。

 一日の仕事が終わったのは、夜の十一時過ぎだった。酷使し過ぎて疲労の溜まったふくらはぎを鞭打ち、引きずるように屋根裏部屋へ続く急な階段を上った。

「ルビー、おやすみなさい」

 階下から聞こえた声に、ルビーは下を見やった。ショールを巻いたグラン家夫人が眦を下げて微笑んでいる。

「おやすみなさい」

 どうにか顔の筋肉を吊り上げて微笑み返す。

 すると、夫人は安堵の溜め息を吐き、ゆっくりと寝室へ続く廊下を歩き出した。

 それと同時に、どっとルビーの表情が抜け落ちた。

 革靴越しに伝わってくる無機質な階段の冷たさに背筋が凍る。

 薄手のワンピースの袖を擦り上げながら、ルビーは屋根裏部屋の扉を開けた。

「…………」

 ベッドの上で、物体がダンスをしていた。昔経験した蛙のダンスではなく、グラン家が誇る箱入り娘が。

 ルビーは額に手を当てて首を横に振った。

「マドレア……あなた、何をしてるの?」

「あ、ああ……ルビー! これには深い事情があるのよ。最近、大学でダンスが流行っていてね。あたしも踊れなくちゃ恥ずかしいじゃない。でも、自分の部屋で練習してたら、誰が入って来るかわからないでしょ。だから、あんたの部屋を借りてたわけ」

 居心地が悪そうに手遊びをするマドレアに対して怒りは湧かない。ただ、呆れて果てていた。

「床でやってよ」

「嫌」

「ベッドでダンスなんかされたら、埃が立つし下の部屋にも響くでしょうに」

「その時はルビーが謝ればいいじゃない」

「全くもう」

 尊大な態度で言ってのけるマドレアにルビーは苦笑を洩らす。

「それで、本当は何の用?」

 これでも長い付き合いだ。彼女が別の理由を抱えてここへ来ていることなど、ルビーにはお見通しである。

「えっと…………ド……を……」

 ごにょごにょと俯き加減でマドレアは呟いた。

「え? ドーナツを食べたい?」

 よく聞きとれず、ルビーはマドレアの口許に耳を近づけた。マドレアは唇を尖らせ、顔を真っ赤にして喚く。

「何よ、その聞き間違い! バレンタイン・カードを作るのを手伝ってって言ったの!」

 大きな声で叫ばれたため、キーンと鼓膜が震える。ルビーはよろめきつつ首肯した。

「オーケー……材料は持ってきた?」

「う、うん」

 マドレアは後ろ手に持っていた厚紙と色ペン、何枚かの美しい色紙を差し出してくる。

「今年はどんな飾りをつけようか」

「そうねぇ……ロイは派手なものが好きだから……思いっきり豪勢なのに仕上げたいわ」

「じゃあ、スパンコールでも貼り付けましょう。たしか、私持ってたはずだから」

「さすがルビー! 頼りになるわ」

「煽てなくていいから、給金あげて」

「はああああぁぁ。その可愛げな言い方……。さもお父様が給金をケチってるみたいじゃない。あんた、普通の使用人の倍は給金もらってるでしょ?」

「あらやだ。冗談よ、冗談」

 二人は和気あいあいと床にバレンタイン・カードの材料を散らして切り貼りする。

 フクロウが囁く深夜だというのに、ルビーもマドレアも眠気も催さずにカード作りに熱中していた。

 気付けば、ルビーもカードを作成してしまった。無意識とは怖いものだ。毎年、こうしてマドレアと共にバレンタイン・カードを作成しているのだが、今年はそれもしないと思っていたのに。

 ルビーの手の中には、黒猫の形に切り抜いた厚紙が収まっている。

 ぐっと喉が鳴った。

 マドレアの方は着々とカードを仕上げていく。真紅に虹色のスパンコールを散りばめたカードは、眩い光を発す。

 ルビーはマドレアの顔をそっと見た。彼女の顔は恋に身を投じる女特有のもので。決して美しいとは言えないマドレアの横顔が、とても美しく見えた。

 マドレアはルビーがどんな気持ちで見ているか気付きもせず、豚鼻を膨らませて尋ねる。

「ルビー、今年も黒猫にカードをあげ…………あ……」

 まずった、と言いたげに口許を押さえるマドレアにルビーは笑顔を向けた。

「はいはい、もうすぐカード完成するでしょ。手を休める暇があったら仕上げてよ。あなたと違って、使用人の私は朝が早いの」

「……うん」

 自分の放った言葉に落ち込んでいるのか、マドレアは肩を落とす。そんな彼女の背中をルビーは優しく叩いた。

 マドレアは故意的に黒猫の話をしたわけではない。ちょっとしたハプニングだったのだ。

「気にしないで。もう、大丈夫だから」

 短く言えば、マドレアは目のふちでルビーの顔色を窺ってくる。そして、無言のまま作業をし出した。


「出来た!」

 マドレアは頬を綻ばせ、カードを窓にかざした。月明かりを受けて、スパンコールがキラキラと輝く。その輝きは、窓際に置いている青薔薇に匹敵するほど眩しくて。

 ルビーは目を細めた。

「絶対、ロイは喜んでくれると思う」

「うん! 言っとくけど、あたしが作ったバレンタイン・カードをもらって喜ばなかったボーイフレンドはいないんだから!」

「そっか」

 今にも飛び跳ねそうなくらい喜んでいるマドレアを見ていると、深夜までカード作りを手伝った甲斐があったと思う。

「全部、ルビーのおかげよ」

 鼻を擦りながらマドレアは言った。

「うわあ、マドレアがそんな殊勝なこと言うところなんて、初めて見た」

 ルビーが盛大に驚いて見せると、マドレアは頬を膨らませた。

「フンッ、言ってくれるわね」

 彼女はカードの材料を手早く腕に抱えると、屋根裏部屋の扉前に立つ。

「おやすみなさい」とルビーはマドレアへ投げかけた。

 マドレアはくるりとターンし、真剣な面持ちで口を開く。

「…………ルビー、相談になら乗るからね。何の役にも立たないかもしれないけど。じゃ、おやすみ」

 言うだけ言って、マドレアは部屋を出て行った。

 一人きりになったルビーは、ほうと息を吐き出す。ストーブもないここは冷え切っている。カード作りのためにとランタンを灯していたのだが、それももう要らない。ルビーはランタンの灯かりを吹き消した。

 一気に全てが闇に包まれる。

 窓を開け放てば、満天の星がさざめいていた。まるで、月を呑み込むように幾千の星が瞬いている。

 ルビーは作成した黒猫形のカードを見つめ、白いペンで書いた『親愛なるグレイへ』の文字をなぞった。その文字がじわっと滲む。握っていたカードに皺が寄る。

 花瓶に飾られた青薔薇の花弁に滴が落ちた。


 ◆


 グラン家の庭にある薔薇園は、四年前からルビーが丹精込めて手入れをしている場所である。庭師も時々手入れの手伝いはしてくれるものの、ほとんどルビーが一人で管理しているようなものだった。

 ルビーは慣れた手つきでつる薔薇の古い枝を整理し、固定してある枝を全て外した。そして、残っている葉を全て取り除いたあと、枯れ枝や細枝を元から切り取る。

「目通りを」

「まーた来たの?」

 心底呆れたマドレアの声が聞こえてきた。

 どうしたのだろうか、とルビーは薔薇を整える手を休め、薔薇園からひょっこりと頭を出した。

 ルビーに気がついた訪問者は、迷いない足取りでこちらに向かってくる。

「随分、美しく咲かせているな」

 目を逸らしたまま、黒髪に琥珀色の目を持つ青年は言った。彼の瞳は一面に広がる薔薇を映している。

「ありがとう」

 褒められて嫌な気がする人間はいない。

 正直なところ、ルビーは彼に会いたくなかった。グレイと似た顔立ちの青年は、ルビーの心を激しく掻き毟る。

「今日はどんな用で……」

「謝罪に」

 即答した青年に、え、とルビーは首を傾げた。

「この間……青薔薇を譲ってくれと、君の気持ちも顧みずに言ってしまったから」

「ああ……別に平気よ」

「それなら、いいが」

 青年の表情が揺れる。

(ああ……彼はとても繊細なんだわ)

 自分が発した言葉でルビーが傷付いたと思って、わざわざ謝罪に来てくれたのだろう。

 にっこりと微笑んでみせると、青年は躊躇いがちに唇を開け閉めし、もぞもぞと背中に隠していたものを差し出した。

 芳醇な香りが鼻孔を刺激する。

 思わず、目を見張った。

「これ……青薔薇……?」

 ルビーは震える声で、一重の青薔薇に触れる。偽物レプリカではない。染色しているわけでもない。どこからどう見ても、青薔薇の花束に違いなかった。人工的には決して作れないはずの青薔薇。薄青紫色をしたそれは、とても美しく。

 青年はそっと青薔薇の花弁に触れながら呟く。

「正確に言うと、薔薇ではない」

「ふうん」とルビーは眉を上げた。薔薇でないと言われても、そうとしか見えない。彼女は不躾な視線を青薔薇の花束に注いだ。

「トルコギキョウを改良して、それらしく見せているだけだ。君の持っている青薔薇の純度からは見劣りするが、これも青い色素を持っている」

 レースのような一重咲きの青薔薇はルビーの心を掻っ攫った。鬱々とした気分が一気に吹き飛ぶ。

「綺麗」

 心からそう言うと、青年は薄い唇で弧を描いた。口許の黒子が上品さを添える。

「気に入ってもらえたのなら良かった。きっと、あの猫も喜んでくれるだろう」

「え……?」

「…………行くぞ」

「ちょっと――どこへ?」

 強引に腕を取られたルビーは眉根を寄せて尋ねた。青年は横目でルビーを見やる。

「……君の飼っていた黒猫の墓がある場所に」

「! ……………………嫌よ」

 目を眇め、ルビーは歯を食いしばった。そんな彼女の顔を青年が覗き込んでくる。

「……死を受け入れなければ、生きられない」

 青年の顔は真剣だった。

 ルビーは琥珀色の瞳から逃れたい一心で虚空に視線を彷徨わせた。

「あの黒猫とは訣別すべきだ」

 きっぱりとした青年の物言いが癇に障る。

 ルビーは目に力を込めて青年を睨み据えた。

「あんたに……何がわかるって言うのっ?」

 剪定ばさみを地面に投げつけ、ルビーは叫んだ。

「グレイは……私にとって、何ものにも代えがたいものなの! 他人のあんたに何がわかるって言うのよ!」

「わかるさ」

 青年はルビーの激しい口調に臆することなく反論してくる。

「俺だって……何者にも代えがたい……大切な人を亡くしたことがある」

 悲痛な表情で語る青年を前に、ルビーは押し黙った。

 彼は大切な人を亡くした経験があるという。だから、何だと言うのだ。同じ境遇にあるとでも言いたいのか。

(……わかってるわ)

 そう、ルビーだってわかっていた。グレイを亡くしてからというもの、自分は食事を摂ることすら億劫に感じている。それは生きる意識が希薄になっている証拠である。

 どこからか聞こえてくる死の呼び声の幻聴に、苛まれることもあった。

「行ってきなさいよ」

 明朗な声で言い放ったのはマドレアだった。彼女は腕組みし、後ろに大勢の使用人の少女達を引き連れている。

 皆、心配の色を宿した目でルビーの方を窺い見ていた。

「あんた、猫の墓参り……一度も行ってないでしょ」

「だって……」

 マドレアに問われ、ルビーは口ごもった。

 墓参りに行ってしまえば、グレイが死んだことを受け入れることになる。

 じわっと涙が滲んだ。喪失の傷は日増しに酷くなる一方で、回復の兆しを見せることがない。

 夢を見る。何度も何度も。乗り越えた――割り切れたものと思っていたブルーローズとの別れのことや、グレイを喪失した雨の日のことを。

 その悔恨はルビーの身に深く刻み込まれ、笑顔でいることさえ罪深きことのように感じてしまう。

「だってもくそもないわ。そこの人の言うとおりよ」

 マドレアは憤然とした面持ちで青年の方を顎でしゃくる。彼女の目はわずかに潤んでいた。

「飼い主だったあんたが、ちゃんと猫を供養してやらないと。どんだけあの猫があんたに懐いてたと思ってるの。猫だって、出来ることならルビーを残して死にたくなかったはずよ」

 ルビーは自分が手塩にかけてきた薔薇達を見つめる。どの薔薇も、行きなさいとでも言うように、優しげに揺れ動く。

「行きなさい」

「……行こう」

 ルビーはマドレアと青年の言葉に促され、ようやく頷いた。


 ◆


 町の外れにある小高い丘の上にそびえ立つ教会は、古くよりこの町を見守っている。

 昨年の暮れに真新しい白色に塗装されたばかりで、新築されたように見えなくもない。前までは重厚な漆黒だったのだが、あまりに重々しく見えるため白色のペンキで塗装されることになったのだ。

 その教会の裏手に小さな十字架が無数に立っている。そこは町の人々が可愛がっていたペットを埋葬するために使っている共同墓地である。

 ルビーは竦む足を奮い立たせ、一番新しい十字架の前に立つ。銀色の十字架は夕陽を受けて金色に輝いていた。

 カサリとわずかな音と共に、墓前に青薔薇の花束が手向ける。

 ルビーは指を組んで、祈りを捧げる。

 何故だろうか。ここに来るまではあんなに荒んでいた気持ちが、驚くほど凪いでいた。

 別れを受け入れるとはこういうことなのか。

 ルビーは薄く目を開いた。

 さよならは終わりじゃない。

 青薔薇の館でブルーローズとさよならをしたように、グレイともさよならをしただけ。胸にぽっかりと空いた穴はいずれ埋まるのだろう。

 ――グレイと作った思い出はなくなったりしない。ルビーの心にはずっと生き続けていく。そういうものなのだ。

 ルビーはずっとポケットに入れていたバレンタイン・カードを取り出し、それに口づけた。彼女は黒猫の形をしたそれを、グレイの墓に供える。

「……これで、猫も浮かばれる」

 ぼそりと呟いた青年をルビーは振り仰いだ。彼の顔はどこか苦しそうに見える。

「どうして、ここまで良くしてくれるの?」

 自然、疑問が口をついた。

 赤の他人であるはずのルビーに対し、青年がここまでする義理はないはずだ。ただ、雨の中で出会って共に黒猫を探しただけの関係。なのに……。

 青年は虚を突かれた顔をし、おずおずと視線を合わせる。

「どうしても、気になってしまう」

 ざっと強い一陣の風が吹いた。ルビーは髪を押さえた。

「昔、会ったことがあるような。……懐かしい記憶が……」

 青年の真意を探るべく、ルビーはじっと青年の瞳の奥を覗き込んだ。そこには一抹の邪な感情はなく、口説いている様子もない。いたって、彼は大まじめだった。

 それが何だかおかしくて、ルビーはクスリと笑った。

「何、口説いてるの?」

 ルビーが青年を下から覗き込むと、青年の頬に朱が走った。彼は腕で顔を庇うようにして後ずさる。

「ちがっ……別に口説こうとしているわけでは……っ」

 初々しいその反応がツボを刺激し、我慢しきれずルビーは声を立てて笑った。

「変な人」

「……悪かったな」

 青年はムッとしたのか鼻に皺を寄せて低く唸った。

「――…………ありがとう」

 ルビーは久しぶりに表情筋を動かすだけでなく、心を動かしながら微笑んだ。そして、手を差し伸べる。

 青年は戸惑いがちに琥珀色の視線を彷徨わせる。ルビーは手を差し伸べたまま、その手を青年が取ってくれるのを待った。

 ――グレイと初めて出会った時もそうだった。

 相手がこの手を取ってくれるのをじっと待つ。

 決して、強引に手を掴んだりしない。そんなことしたら、きっと相手は心を閉じてしまうだろう。

 青年がゆっくりとルビーの手を掴んだ。小刻みに震える彼の手が、あまり他人に関わることに慣れていないことを物語っている。

 そんな彼がルビーの手を取ってくれたのだ。素直に、嬉しかった。

 ルビーは表情を輝かせると、青年の手を上下に何度も振った。彼は目を瞬かせる。

「あなたとは、色んな話をしたいわ。青薔薇の研究の話とか……聞かせてくれる?」

「……もちろん」

「じゃあ、お近づきのしるしにあなたの分のバレンタイン・カードも作ってあげる! 行きましょう! 急がないと夜になっちゃうわ」

 ルビーは彼の手を引っ張りながら飛び跳ねた。

 そんな彼女を前にして、青年は不器用に笑う。薄い唇の隙間から真白い歯が見え隠れした。

 ルビーと、グレイに似た青年の交流はここから始まった。


 ◆


 夕陽が山間に沈んでいくほんの刹那、世界は金色に包まれる。空気中に舞う微粒子が光を屈折させて全てを輝かせるのだ。

 プラチナブロンドの髪を持つ少女に引きずられながら黒髪の青年が小高い丘を下って行く。

 教会のステンドグラスは凹凸に合わせて光を収束し、裏手にある墓へ虹色の輝きをばらまく。

 青い花束が供えられた十字架の前に、一匹の黒猫が現れた。

 丘から町の中心部へ続く小道を歩く――飼い猫との別離を受け入れ、明日みらいへの一歩を踏み出した少女の背中を、黒猫はじっと見つめていた。茜色の雲が少女の上に薄くかかる。

 ――キミのルビーに対する想いは、限りなく愛に近い恋だった。

 風鳴りか。

 ハスキーな少年の声が聞こえた気がした。青薔薇の瞳を持つ、今はいないはずの少年。

 黒猫の墓に手向けられた一重の青薔薇の花束が舞い上がり、墓の周りを彩る。

 一重の薔薇の花言葉は、静かな愛。愛する人を献身的に支え、想うだけの愛。ひっそりと、息を潜めているだけの愛。

 黒猫は低く可愛げのない声で鳴いた。

 ――もう、キミがいなくても……ルビーは大丈夫だよ。だから心配せず、ゆっくりお休み。

 くしゃりと黒猫の頭を風が撫でる。黒猫は心地よさげに目を閉じた。

 猫は先ほど少女の隣にいた青年のことを思う。

 これも運命の巡り合わせなのだろう。

『おい、グレイ』

『何だよ』

『この黒猫見てみろよ。お前と同じ目の色してるぞ』

『毛色もグレイそっくりだな』

『あはは、黒猫なんかに似てるなんて、グレイも可哀想に』

『な……っ』

『やーいやーい、にゃんこちゃん!』

 グレイと呼ばれた、黒髪に琥珀色の目をした少年が悔しそうに俯く。そして次の瞬間、彼は手近にあった棒で黒猫を殴った。

『変な目の猫め! あっちへ行けよ!』

 今にも泣き出しそうな顔をした少年が、思い切り黒猫の体を棒で叩く。彼の唇の端には黒子があった。

 面と向かって向けられる嫌悪を前にして、黒猫はその場から一歩も動けなかった。

『やめて! 酷いことしないで!』

 金切り声が響いた。

 プラチナブロンドの巻き髪の少女は、チャコールグレイの瞳を揺らめかせて黒猫と少年の間に割って入ってきた。

『ちぇっ、何良い子ぶってんだよ! 面白くない。行こうぜ、グレイ』

『あ……ああ……』

 黒髪の少年は仲間の少年と共に、拳を握りしめて走り去った。

『大丈夫? 猫ちゃん』

 そっと黒猫の目を覗き込んでくる少女は綺麗なワンピースが汚れるのを厭わず地面に膝をついた。そして、ハンカチで黒猫が怪我している部分を覆ってくれる。

『私は酷いことしたりしないからね。私、ルビーって言うの』

 ルビーと名乗った少女はそっと手を差し出してくれる。彼女は強引に黒猫を連れて行こうとはしなかった。

 黒猫が自らルビーのもとへやって来るのを辛抱強く待っていてくれた。

 その時、思ったのだ。人間に対して不信感が消えたわけじゃない。しかし、少しだけ――本当に少しだけ、ルビーを信じたくなった。

『おいで』

 木漏れ日のように優しく温かな声で少女は言った。


 鮮明な記憶は心に停滞する。

 あの時から、既に全ては始まっていた。


 ブルーローズが青薔薇の館へルビーを招き入れた時、黒猫の姿のままいれば、自分がレイクだということにルビーが気付いてしまうと思った。だから、猫以外の姿になる必要があった。

 そこで真っ先に思い浮かんだのが、グレイと呼ばれていた少年だった。

 同じ色を持った――自分を棒で殴った少年。彼は自分にとって大嫌いな人間の一人だ。

 しかし、彼以外に詳細な容姿を思い浮かべることが可能な者はおらず。

 黒猫は複雑な思いを抱きながら、青薔薇の館にて少年の名前と姿かたちを拝借した。そして、ルビーと再会したのだ。


 ……遠く、離れて行くルビー。


 これでいいのだと思う。いつまでも自分やブルーローズの影を追っていては、彼女自身の幸せが遠のいてしまう。

 あの少年とルビーが出会ってしまったことは複雑だけれど。

 黒猫は迫りくる黄金の輝きの中で人型を取った。襟足の長い黒髪が揺れる。金目が湖面のように波打った。

 彼は泣きそうな笑顔を象る。

「…………途方もないくらい、好きだった」

 その手には黒猫形に切り抜かれたバレンタイン・カードが握られていた。

 夕闇の中、黒猫は姿を消した。



  〆




最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。

これにて、『連綿と紡ぐ想い』は完結です。

拍手でコメントくれた方、読者登録してくれた方、ここまで読んでくれた方……皆様の存在が執筆の糧でした。

まだ未回収の伏線とかもろもろあるんですが、ひとまず『青薔薇の恋』は完結と致します。


とりあえず、青年の名前はグレイです。本名か愛称なのかは内緒です(あ)


別れの後には出会いがあって、また別れが来る。そして、また新たな出会いが――。

題名はそんな思いからつけました。


ここまでお付き合い頂きまして、本当に感謝しています!

ありがとうございました☆





あと……。

構想段階なのであれですが……『青薔薇の恋』の続編、考え中です。

でも、ブルーもグレイも出て来ません。それでも読みたいとおっしゃって下さる優しい方が一人でもいたら、アップしようかなぁと思ってます。



ではでは、このへんで!





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