番外編 聖夜の奇跡
舗装されていない森の小路を一台の馬車が行く。そう大きな馬車ではない。小ぶりといっていい。黒塗りの馬車は一定のスピードで小路を走り続ける。
馬車の中には二人の少女が乗っていた。
真っ白な毛皮のコートを羽織っている少女は、手鏡を真剣な面持ちで覗き込み、しきりに髪型を気にしている。もう一人の少女はげんなりした表情で窓に凭れかかっていた。少し馬車酔いしているようだった。
「ああ、ルビー! あたしの髪型変じゃない?」
問われ、ルビーはプラチナブロンドのミディアムヘアを揺らした。チャコールグレーの瞳を瞬かせる。彼女は、ケバケバしい化粧を施したマドレアを横目で見やり、溜め息を吐いた。
「大丈夫だと思う。それよりも……ルージュをもっと柔らかい色にした方がいいと思うけど」
マドレアの髪型は、正直見られたものじゃなかった。まるでチョココロネのようだ。しかし、それ以上に化粧が酷い。
ルビーは馬車に乗る前、マドレアの化粧と髪型を整えてやったのだが、流行りじゃないから嫌だとマドレアは駄々をこねた。マドレアはルビーが止めるのも聞かずに夜会巻きを崩し、メイクもふき取ってしまった。
最近、マドレアの通う大学では濃いメイクが流行っているらしい。
派手なメイクはマドレアの膨らんだ顔をより膨らませる。鼻筋に入れるハイライトを入れ過ぎて豚鼻がより強調され、コメディアンのようだ。
巻貝をイメージしただろう洗練された髪型だって、人によって向き不向きがある。
真実を言ってやろうかと思ったが、それは失礼だろうと思いとどまった。
「もう、ルビーは古いんだから! そんなんだから、彼氏の一人も作れないのよ」
マドレアは、つんとそっぽを向く。
ルビーは肩を竦めた。彼女は膝に乗せた黒猫を撫でた。黒猫は低い鳴き声を上げる。
ルビーは微笑んだ。
ブルーローズの館にルビーが迷い込んだあの夜から、早三年の月日が流れた。ルビーは二十歳になっていた。
「別に、彼氏なんて要らないもん」
「ふんっ。強がっちゃって」
「マドレアを見てたら、彼氏作るのも大変としか思わないし」
「あんた……言うようになったわね」
それで、とルビーは頬杖をついてマドレアを見つめた。
「どこに行くつもりなの?」
マドレアは行き先を告げずに、ルビーを馬車に乗せた。マドレアの両親からも、「楽しんで来なさい」と笑顔で送り出されたルビーは、キツネに抓まれた気分だ。
マドレアは意味深に笑う。
「じゃーん」
ルビーは目と鼻の先に突き出されたカードに目を凝らす。
それは、クリスマス・パーティーの招待状だった。ルビーは目を丸くする。
「クリスマス・パーティーに、どうして私を連れて行くの?」
「いいじゃない。あたし一人で行きたくなかったのよ。ほら、あんたの分の衣装もあるから」
マドレアは早口で捲し立てると、横にあった大小三つの箱をルビーに差し出してくる。ルビーは戸惑いながらもそれを受け取る。
「でも…………パーティーなんて、久しぶりというか……覚えてないというか……」
「気後れしなくていいわ。ただの立食パーティーだから」
美味しいものたらふく食べられる絶好の機会よ、とマドレアは鼻息荒く言った。
ルビーはそんなマドレアに苦笑する。
遠い昔、父親に連れられてよくパーティーに出席していたルビーだったが、もう十年くらいブランクがある。マナーだって、申し訳程度しかない。
いくらマドレアと仲良くしているからといって、令嬢と同じパーティーや学校に通うことは許されない。身分相応の場で、ルビーは慎ましく暮らしていた。
しかし。
ルビーは箱の中から、青いシフォン生地のドレスを取り出した。青い花のコサージュがついている。
もう一つの箱には、マドレアとお揃いのコート――ルビーのものは黒色――が入っていた。
最後の箱にはエナメルの青いハイヒールと黒いタイツが詰め込んである。
思わず、マドレアを見た。彼女は照れているのか、頬を紅潮させて口を尖らせる。
「あんたのイメージ的に、暖色系で揃えようかなあと思ったんだけどね。あんた……青薔薇好きみたいだし――青で統一してみたの。気に入った?」
「マドレア! ありがとう!」
喜びが胸のうちより溢れて、ルビーはマドレアに飛びついた。マドレアはまんざらでもなさそうに鼻を鳴らした。
◆
「ここって……」
広大な森の中に佇む古い館。その館の手前には、薔薇園があった。
真冬の寒さに耳が赤くなる。しかし、ルビーは寒さなど全く感じていなかった。黒猫を抱く腕に力がこもる。黒猫も金色の瞳で、じっと館と薔薇園を見つめている。
「あんたが家出した時に来た館って、ここのことでしょ。本当、あんたが言ってたとおり……立派な薔薇園ね」
「――うん」
本当は違う。ルビーが見たのは、ブルーローズが造ったあの空間の薔薇園で。しかし、目の前に広がる景色は、今なお記憶の中で鮮明な輝きを放つ大切な思い出の景色で。
「おお、よく来たね」
皺がれた声がした。マドレアは颯爽と老人の前に進み出る。車イスに乗った老人は、使用人を従えて館の中から現れた。ロマングレーの髪色をした老人に、ルビーは見覚えがあった。
ブラウ=カーティスの父親――カーティス伯爵だ。
ルビーは瞑目する。瞼を閉じれば、青薔薇の瞳を持つ金髪の美少年の姿が浮かぶ。
記憶の中に残る彼は、悲しげな微笑でルビーに手を振った。
いまだ、心が疼く。ふとした瞬間に少年はルビーの胸を占領するのだ。
もうブラウは死んだのだと、どんなに自身に言い聞かせてみても、頭と心は別物だった。
ルビーは黒猫に自らの顔を埋めた。黒猫は心配そうに鳴く。
「今宵はお招きいただきまして、ありがとうございます」
可愛らしくドレスの端を摘まみ、マドレアはカーティス伯に挨拶をしている。
「今日はあたしの家に仕える使用人を連れて来たのです」
「はて、使用人とな……」
老人の視線がルビーに向く。瞬間、彼は目を丸くした。
ルビーは表情を硬化させ、会釈する。
「ルビー=プルチェット嬢かい?」
カーティス伯は車イスから立ち上がろうとして、使用人達に止められた。
「お久しぶりでございます」
ルビーは言葉を選んで、行儀良く挨拶する。伯爵は戸惑っていたようだったが、すぐに笑顔を取り繕ってパーティーを楽しんで行くよう声をかけてくれた。
ルビーは寒空の下行なわれているクリスマス・パーティーの中、手持無沙汰に佇んでいた。
マドレアはいつの間にか美しい貴公子と談笑している。ルビーも声をかけられなかったわけではないが、何となく喋る気分になれず、黙々とローストチキンやクリスマスケーキを頬張っていた。
「みゃあ」
黒猫がルビーの足にすり寄る。ルビーは食べる手を休めて屈み込む。
「どうしたの、グレイ」
黒猫はついて来いとばかりに走り出す。反射的にルビーは黒猫を追った。
冷たい夜風を切り裂き、猫は駆ける。ルビーも負けじとドレスを託し上げてその後に続く。ヒールを履いているので、爪先に痺れるような痛みが広がるが、構わず走った。
白つめ草が星の光に照らされている。
懐かしい光景に、ルビーの胸が熱くなる。
ふっと、視界が拓けた。
「…………っ」
声が出ない。上がった呼吸を整え、黒猫が見ている先の風景を眺める。
凍りついた湖だ。
幼い頃、ここでスケートをしたっけと彼女は頬を緩ませる。
「あれ?」
息が止まるかと思った。
聞き覚えのあるハスキーボイスに、ルビーの鼓動は一気に上昇する。
ゆっくりと振り返った。
そして、口許を両手で覆う。
ブルーローズがいた。金髪に青い瞳。ビスクドール然とした美貌の少年。
少しだけ首を傾げて、薔薇色の唇から白い吐息を洩らす彼は間違うことなくブルーローズだった。
「どうしてこんなところに――」
「……ブルー!」
少年が言い終わらないうちに、ルビーは彼に抱きついた。彼は目を白黒させる。
「お、落ち着いて」
少年はルビーの肩を掴んで、自分から引き剥がす。
「お姉さん、ボクは兄さんじゃないよ」
「え……?」
「ボクは、ネイブ=カーティス。カーティス家の二男です」
ルビーはまじまじと少年を見た。よく見たら、瞳の色が微細ながら違った。ブルーローズの瞳よりも深い青――深海の色をしている。
それに、まだ十二歳前後だろう。どう考えてもブルーローズなわけがなかった。
ルビーは顔を真っ赤にさせて謝罪する。
「ご、ごめんなさいっ。確かめもせずに……」
ネイブは気さくに笑った。悲しいくらい、笑顔も似ている。
「いいよ。兄さんのこと写真でしか見たことないけど、自分でもよく似てるなと思っているから」
優しい声音と言葉が、じんと心に染みる。
「本当、ごめんなさい」
気にしないで、とネイブは困ったように微笑む。
ルビーは泣きそうになった。
「じゃあ……ボクはこれで」
「あ――はい」
ネイブは純粋そのものの笑顔をルビーと黒猫・グレイに振りまき、手を振った。ルビーがあの青薔薇園で見た――ブルーローズの最期の笑顔ではなく、満ち足りた笑顔。
思わず、顔を背けた。これ以上彼を見ていたら、色んな感情が溢れ出して泣いてしまう気がした。
黒猫がルビーの腕に飛び乗った。彼女は黒猫を強く抱きしめる。
雪が降り出した。
雨と違い、無音のまま大地に降り注ぐ雪は、雲間から見える星々に照らされて光の粉のように見える。ルビーの睫毛に、雪が落ちる。それはすぐに雫となって弾けた。
「幸せに、ルビー」
ぽつりと呟かれた言葉。
「え……」
ルビーが振り向いた時には、ネイブは既に駆け出していた。
粉雪の合間に揺れる少年の背中にルビーは手を伸ばす。決して届かない。わかっている。
先程の言葉は幻聴に違いない。それでも、幸せだと思う。
「ブルー、ありがとう」
ネイブの後ろ姿を見送るルビーの興味を引きたいのか、黒猫がしきりに鳴いた。しょうがないな、と彼女は猫に視線を落とす。
ルビーは息を詰めた。
地面に青い花弁が落ちていたのだ。震える手で、それを拾い上げる。
ルビーはそれを空へかざした。
彼女の頬に涙が伝った。彼女は嗚咽を殺して笑顔を象る。
「……メリークリスマス」
ある年のクリスマスに起こった、小さな奇跡。
〆
長い間、放置していてすみません。
というか、その間にもお気に入り登録が増えていて嬉しかったです……(感動)
皆様、ありがとうございます!
この話は、本編終了してから三年後のクリスマスの話になります。
本編完結後、この話を書くつもりで連載中のまま放置してました(おい)。
ブルーローズを復活させるのは、ちょっとどうかなと思ったので……読者の方々にゆだねる形で終わらせました。
弟はブルーの生まれ変わりだとでも、いやあれはルビーの幻聴だとでも、クリスマスということでサンタからのプレゼントだとでも……。
どういう風に捉えて頂いてもOKです。
あと一本番外編書いたら【完結済み】表記にするつもりです。
次の番外編は、ルビーとグレイの話になります。
【聖夜の奇跡】から一年後の話になる予定です。バレンタインの時期に合わせてアップする予定ですので……よろしくお願いします♪