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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
14/39

13


 かつて、ルビーの父親が落ちぶれる以前――。

 ルビーはよく郊外の森に家族と出かけていた。その森の領主に当たるカーティス伯爵と父親は鉱山の発見などのことで親しかったらしい。

 カーティス伯爵には、一人息子がいた。

 ルビーより五つ上のその少年が社交界へ出向けば、いつも人々の目を独占するのだと父や母は話していた。社交界の人々は彼の持つ瞳をこぞって称賛し、『ブルーローズ《青薔薇》の君』と呼んでいたという。

 ルビーの周りにいる同年代の男の子達と比べて非常に落ち着いていて、優しくて――絵本の中にいる王子さまみたいで。ルビーは彼のことが大好きだった。

 彼の名はブラウ=カーティス。

 金髪に碧眼という貴族のステータスとも言える誰もが羨む容貌を持っており、どこまでも透き通った風の色をした肌が目を引く。ルビーは出会った瞬間から彼の持つ空気に惹かれた。

 森に行く度、ルビーは自分が拾った猫も連れてブラウと一緒に遊んでいた。


「こんにちは、ブラウ」

 いつものように、ルビーは丁寧に挨拶をしてお辞儀をする。ブラウは年下のルビーにも偉ぶることなく礼儀正しく屈託ない笑顔を見せてくれた。

「やあ。今日は天気が良いね」

 ええ、とルビーは心配そうにブラウを覗き込む。

「お外出ても大丈夫?」

「うん、体調が良いから大丈夫だよ」

 読んでいた本を閉じ、揺り椅子に凭れていた上体を引き上げてブラウはルビーに微笑む。ルビーの知らないことを何でも知っていて、それでいて頑固ではないブラウの難点を上げるとしたら、病弱なことだろう。彼は季節の変わり目や気温の差などですぐに体調を崩す。生まれつきらしいから治しようもなく、熱が出たら絶対安静。スポーツを行なうことは以ってのほかだった。

 優しいブラウの懐にルビーは飛び込んで、

「湖に行きたい」

とおねだりした。

 ルビーの足許にいた猫が自分に構えと言いたげに低く鳴いてすり寄ってきた。

 ブラウの世話係をしているメイド達は、ルビーの子供らしいおねだりに眦を下げて頬を緩ませる。

「わかった、行こうか」

「うん!」

 ブラウが了承してくれたことが嬉しくて、ルビーは飛び跳ねて喜んだ。

 それに呼応して、にゃあ、と猫が鳴く。

 ルビーは猫を腕に抱き、右手をブラウと繋いだ。

 ブラウは本当に色んなことを知っていた。

 湖のほとりにあるしろつめ草で花冠を編めたし、異国の物語を教えてくれた。友達と喧嘩になった時にどうやったら仲直り出来るかまで知っていた。

 猫はルビーとブラウの様子を見つつ、我が物顔でルビーの膝に乗っていた。ブラウが手招きしても猫はそっぽを向く。

 猫はルビー以外には全く懐かなかった。

「はい」

 ブラウは物語を話しながら編んだ花冠をルビーの頭にかぶせてくれた。

 ルビーも、彼が編んでいるのを横目見ながら真似て編んだ不格好の花冠をブラウにかぶせる。

「ルビー、お姫さまみたい」

「あなたは王子さまみたいだわ」

 そう言い合って二人は笑った。

 夏は木陰で涼しい風を受けながら昼寝をしたり、冬はたくさん服を着込んで湖に張った氷を見に行ったりした。

 ブラウの体調は日々変化するから、寝たきりの時もあった。高熱を出すこともあった。

 そんな時、ルビーは彼の部屋で高いイスによじ登って彼の顔を見ながら覚えたての文字で書かれた物語を朗読してやっていた。途中、わからない単語や文章が出てくると適当に話をでっち上げてブラウを大いに笑わせたものだ。

 ブラウは本を全部暗記していただろうに、嫌な顔一つせずルビーの朗読を最後まで聞いてくれ、最後には決まって盛大な拍手を送ってくれる。


 そして、月日は流れ、あの日がやって来た。

 ルビーの父が事業に失敗したことを伯爵へ告げに行く際、ルビーもブラウとお別れを言うために無理矢理連れて来てもらった。

 ブラウはルビーが訪れたその日、体調がすぐれなかったようだが、ルビーの顔を見た途端、検温をしていた医者を押しやって起き上がろうとした。慌てて医者がそれを止める。

 ルビーは精一杯の笑顔でブラウにあいさつをする。頬が引き攣らないよう、精一杯努力した。

 状況を察し、医者はブラウの部屋を出て行く。

 医者がドアを閉めたのを見計らって、ブラウはベッド脇に立つルビーの手を取る。彼の手は少し震えていた。

「久しぶりだね、ルビー。全然来ないから心配してたんだ」

「あ、ごめんなさい」

「いいよ。謝るようなことキミはしてないだろう。……あれ? あの猫は?」

 いつもルビーの足許にいた猫はその時、既にいなかった。ブラウを威嚇するような鳴き声を聞くことはもう出来ない。

 じわっとルビーの目に涙が光る。

「いなくなっちゃった」

 ルビーは崩れ落ちるように座り込んで、ブラウの膝の上で泣いた。

 ブラウは、そっとルビーの頭を撫でてくれる。

「私が、置いて行っちゃったの」

 不幸は一気にやって来る。一つ一つ、順を追ってやって来たりしない。続けざまに起きるのだ。

 まず猫がいなくなり、家がなくなった。人々のルビー達一家を見る目が冷たくなった。

 ようやく泣き止んだルビーは、わざわざ父親についてここへ来た理由を思い出し、ドレスの裾を強く握りしめた。ブラウの顔はまともに見れそうもない。

 見れば、助けてと言ってしまいそうだった。

 優しいブラウにそう言えば、彼は必死でルビーを助けようとしてくれるだろう。しかし、ルビーはブラウに負担をかけたくなかった。

 ただでさえブラウは体が弱いのだ。その上、ルビーのことも背負ってしまえば、体に支障をきたしてしまう。

 ルビーは震えそうになる声を奮い立たせて言った。

「私、もうここには来られない」

「え……どうして?」

「家にね、知らない人達がいっぱい来て、私達のもの全部持って行っちゃって。今度お引っ越しするの。そしたら、こうして遊びに来られないってお父さまが言ってた」

 そんな、とブラウは掠れた声で呟く。失望感がブラウから滲み出す。

 ルビーは赤くなった目をこすった。

「どこに、引っ越すの?」

「同じ町なんだけど、ボロボロの小屋。昨日下見に行って来たわ」

 ブラウは俯く。その顔は酷く悔しそうだった。

 ややあって、彼は正面からルビーを見る。

「ボク……ボク、絶対キミを迎えに行くから。だから、それまで挫けず頑張って」

 ルビーは、彼は王子さまみたいだと思った。真摯な瞳にはルビーだけが映っている。

 ルビーは弾けんばかりに笑った。

「ええ、任せて! 私、物語の主人公みたいに優しくて心の綺麗な女の子になるから、迎えに来て」

 ブラウは頷いて、ルビーの両手を握る。

「……うん」

 ルビー、と階下から父親が呼ぶ声が聞こえる。ルビーは泣かないよう我慢して笑顔を絶やさずにいた。

 最後の別れが涙顔だったなんて、ブラウに心配をかけると思ったのだ。

「あ、お父さまが呼んでる。もう行かなくちゃ。じゃあね、ブラウ」

 ルビーはブラウの手からするりと逃れると、大きく手を振って部屋を出て行こうとする。

「ルビー!」

 心臓に負担がかかるからという理由から、大声を張り上げたりしない彼が突然叫んだことにルビーは驚いて振り返った。

「どうしたの?」

「すぐに助けてあげられなくて……ごめん」

 ボクがこんな体じゃなかったら、と小さくブラウは呟く。

「いいのよ! 待つこともロマンチックだわ」

「キミは、今でも十分優しい。出来ることなら、ボクにそれだけの力があったら、今この場からキミを救ってあげるのに」

「ブラウ……。私、待ってるわ。ずっと、ずっと、待ってるわ』

 ――最後の邂逅の折、かれはきっとルビーを迎えに来ると約束してくれた。

 あの頃のルビーの中で、王子さまとはブラウのことだった。

 しかし、待てど暮らせどブラウは一向に迎えに来てくれなかった。

 かなしくて、やるせなくて、ルビーはその記憶ごと闇に放り投げた。


 ◆


「…………思い出したんだね」

 静かなブルーローズの言葉に、ルビーはこくりと頷く。

 ブルーローズの姿が青い薔薇に覆われる。風が薔薇を散らせる。その真ん中に佇んでいたのは、ルビーの記憶にあるのと寸分違わない少年だった。

「そう、ボクはブラウ=カーティス」

 思い出す記憶のあたたかさにルビーは涙を流す。

 ブラウのはにかんだ笑みや優しさに胸が詰まる。

「どうして……来てくれなかったの? 私……待ってた。ずっと、待ってた」

 ルビーの非難にブルーローズは顔を歪める。

「あの後、すぐにワエブ伯爵に手紙を出した。彼がプルチェット家失脚の首謀者だという噂があったから。でも、ワエブ伯爵は知らぬ存ぜぬを押し通した。せめてキミに会いたいと思って、父に何度もルビーの住んでる場所を教えてくれと頼んだけど、『もう、あの子のことは忘れなさい』としか言ってくれなくて……手がかりもなかったんだ。でも、ずっと探してた」

 ブルーローズはぐっと胸を押さえた。

「そのうち病気が悪化してきて、ボクは外へも出られなくなった。……キミと最後に会って三年経った頃、信頼出来る使用人に頼み込んで……どうにかキミの居場所を突き止めたんだよ。本当に、どうしても会いたくて。キミの居場所がわかったという報せを聞いた瞬間、ボクは皆が止めるのも聞かずに雪が降りしきる中、外へ出たんだ。御者にキミのもとへ連れて行って欲しいとお願いに行こうと思った。でも――」

 ブルーローズの顔が歪む。

「その時、既にボクの体は限界の悲鳴を上げていてね。御者がいるところまで歩いていけず、薔薇園で死んでしまった」

 ルビーはブルーローズの話に言葉が出なかった。

 ブルーローズは悲しげに首を少し傾けた。彼の目は潤んでいる。

「迎えに行けなくて、ごめん」

 ううん、とルビーは手で口を覆って泣き続けた。

「…………ルビー、もとの世界に帰りたい?」

 初めてブルーローズがルビーの意思を聞いてくれた。

 ルビーは嗚咽をこらえて頷く。

「逃げたくないの。ひどいことをしてしまった人にもちゃんと謝りたい」

「現実に戻ったら、また昔の暮らしと比較して悲しくなるかもしれないよ」

「大丈夫」

 ルビーは胸に手を当てて泣き笑いした。

「ブラウとの思い出があるもの。辛くなったら、それを思い出して頑張る」

 ブルーローズは胸に何か詰まったように肩を上げ、涙をにじませた。すぐに顔をそむける。涙の雫が青い薔薇の中に落ちた。花弁がその雫を弾く。

「――――行きな」

「……ブラウ……」

 かたい声でブルーローズの名を呼ぶルビーを見ずに、ブルーローズは薔薇園の果てを指差した。

「もうすぐここは崩れるから、早く。グレイ、道案内をしてやって」

「わかった」

 グレイはルビーの手を取ると走り出す。

 後ろ髪引かれる思いでルビーはブルーローズを振り返った。

 月光を浴び、ブルーローズは儚げに笑って手を振った。

 何も考えず、昔のように彼の懐に飛び込みたいと思う自分を押しとどめ、ルビーは前を向いた。




ルビーとブルーローズの過去は、この話を作った頃から念頭に置いてました。わかりにくくならないように配慮しましたが……もしわかりにくかったらごめんなさい;

物語はクライマックスに突入してます。もうしばらく、お付き合い下さいませ。


p.s.

評価下さった方、ありがとうございます☆

お気に入り登録してくれている方々も、ありがとうです!読んでくださってることが励みになってます……っ。



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