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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
12/39

11

 次の日から、ルビーは息を殺して過ごした。

 ブルーローズとも何となく上手くやった。

「最近、調子はどう?」

「うん、大丈夫よ」

 このやり取りにも大分慣れてきた。ちっとも体調は良くなかったが、笑顔でブルーローズには接した。そうすることが、ルビーなりのせめてもの反抗だった。

 ブルーローズが嘘を吐いていると思うと苦しかったが、ルビーは顔に出さず乗り切った。

 グレイはまめに食糧を運んで来てくれる。

「いいか。満月の日まで、ブルーに青薔薇水を飲んでいないことを悟らせるな。空腹を感じても顔に出してはいけない」

「わかってるわ」

 毎夜、グレイにそう言われてルビーは指折り次の満月を待つ。外への出口が現れるタイミングは満月が空のてっぺんに昇った時だ。ここへ来た時と同じ状況になれば、きっと外界への扉が開かれるとグレイは教えてくれる。


 しかし、待ち望んだ大きな満月の夜。ことは起こってしまう。

 ブルーローズと居間で話している時、ルビーはあまりの空腹と渇きにお腹を押さえてしまったのだ。

 それを見て、ブルーローズの顔色がさっと変わる。彼は目を鋭くさせた。

 暖炉の前にいたグレイも目を細める。

「ルビー……」

 イスから腰を上げようとするブルーローズを前に、ルビーは素早く立ち上がって手を振る。

「やだ、ちょっとお腹が痛くなっちゃって」

 あははと乾いた笑いを上げるも、ブルーローズの疑いの眼差しは、ルビーから貼りついて剥がれない。

「ルビー」

 再びブルーローズが名を呼ぶ。

 ルビーは伸ばされた彼の手を、びくりとして避けた。

 重い沈黙が流れる。

 張り詰めた空気の中、満足に呼吸が出来ない。脱兎のごとく、ルビーは自室へ逃げ帰った。

(どうしよう、どうしよう)

 ルビーは、がくがくと膝が震えてその場に座り込んだ。顔の前に両手を組む。手も足も、体中が有り得ないくらい震えた。

 ばれた。絶対にばれた。

 今日が満月の夜なのに――。

 今日を逃せば脱出の機会はもう訪れないとグレイは言っていた。人がご飯を食べずに生きられる時間は限られている。いくらグレイが食糧を運んでくれるといっても、その量は微々たるものだ。

 死ぬ気配を見せないルビーに、ブルーローズは何か自分で食べているかと訊いてきた時、おいしそうだったから林檎の実を食べているという言い訳をしていたが、これからは使えない。林檎の木には実はもう生っていない。全てルビーが食べつくしてしまった。

(なんで、今日なのよ!)

 自分の不甲斐なさとタイミングの悪さに泣けてくる。

 コンコン、とノックの音が響く。

「!」

 いつもと変わらない音なのに、今日は威圧感を感じる。

 ルビーは窓辺に寄った。鍵のついていない扉は簡単に開く。

「…………」

 ブルーローズは能面のように無表情だった。

 手には青薔薇の水を持っている。

 彼は淡い微笑を浮かべる。しかし、目の奥は笑っていない。明かりも点けずにいることを不思議がられるかと思ったが、ブルーローズはそれに関しては何も言わなかった。

 ブルーローズは青薔薇の水をルビーに差し出す。

「寝る前に、これを」

 ブルーローズの持っている水には、幾重もの花びらが沈殿している。もはや、それは水の色をしていなかった。

 ぷんと甘ったるい匂いがルビーの鼻をねじ曲がらせる。良い匂いなのだ。しかし、それは痺れるような刺激臭でもあった。

 ブルーローズは部屋を見渡し、一点に目を止めた。

 彼はゆったりと歩き、窓辺にある観葉植物の葉を指で触る。グラスもそこに置く。

 そして、ブルーローズはルビーを見た。その瞳は焦燥感を宿していた。

「水、捨ててたの?」

 ルビーは、ごくりと生唾を呑んだ。

 まさか、観葉植物が枯れるとは思わなかったルビーは、昨晩そこにブルーローズからもらった青薔薇の水を捨ててしまったのだ。

『すぐに観葉植物を捨てろ』

 そうグレイには言われたが、あまりルビーは気にも留めずにいた。

 グレイは自分が捨ててくると申し出たが、明日朝一番に自分が処理するから大丈夫だとルビーは言った。すっかり捨てるのを忘れていた。今晩、ここから逃げ出すのだと思うと胸がいっぱいになって、観葉植物のことなど頭から飛んでいたのだ。

 まさか、一晩で植物が枯れるとは思わなかった。

「……どうして、飲まなかったんだい」

 ブルーローズのかすれた声が、ルビーの背筋を這いあがる。

「味がおいしくなかったの? それとも、青い花びらが入っていたから?」

 ブルーローズが詰め寄って来る。

 ルビーは問われ、答えに窮した。

「俺が捨てろと言ったからだ」

 ブルーローズの後ろからグレイが入って来る。ブルーローズはドアに寄りかかって腕を組んでいるグレイを振り返った。

 グレイは淡々と口を開く。

「それは毒薬だから、飲むなと言った」

「グレイ……キミっていうヤツは!」

 ブルーローズは髪の毛を逆立ててグレイの胸ぐらを掴んだ。

 ルビーは慌ててそれを止めようとしたが、グレイの鋭い視線に制され、その場にとどまる。グレイの目は、お前は手を出すなと語っていた。

「ルビーがこうして生きているのも、キミが手を貸してたからってわけ」

 吐き捨てるようにブルーローズが言うと、グレイは首肯する。

「そのとおり。水や食べるものを与えていたのは俺だ」

「……協力すると、言っていたじゃないか」

「何も言っていない」

「キミの無言は肯定と同じだ。あの時、たしかにキミはボクの考えに賛同していた」

「さあ、忘れたな」

 醜悪な顔でブルーローズはグレイを威嚇する。

 グレイは冷めた目でブルーローズを見据えた。

 ふっとブルーローズは笑顔になった。ぞっとするような完璧な笑顔にルビーは凍りつく。

 次の瞬間、ブルーローズはグレイの頬を殴った。グレイは反動で床に倒れ込む。

 天真爛漫さは、時として残酷なものだ。ブルーローズは何も感じていないのか、倒れたグレイを力いっぱい何度も蹴りつける。

 グレイは抵抗しなかった。呻き声一つ上げず、じっと蹲っていた。

 ルビーは今度こそ止めようとブルーローズの腕につかまるが、びくともしない。

 ブルーローズはグレイの髪の毛を引っ張って、

「いいさ。コイツは生前も同じような扱いを受けていたんだ。何も感じない」

と声高らかに言ってのけた。

「何言ってるの! 痛いに決まってるでしょ! 誰だって、傷付くのよ!」

 ルビーは必死に食い下がってブルーローズの腕にしがみつく。

 しかし、ブルーローズはグレイを傷つけ続ける。ブルーローズはグレイの首を掴むと、また顔面を殴った。グレイの口端に血が滲む。

「――ルビー……逃げろ」

 グレイは切れた口の端を拭いながら、言った。

 かっとブルーローズの目が開く。彼は観葉植物を持ち上げ、思い切りグレイに振りおろした。

「やめてっ」

 ルビーが悲鳴を上げたのとほぼ同時に、がしゃんと大きな音を立てて植木鉢はグレイの額に命中した。

 多量の血がグレイの額からあふれた。

 グレイは額を押さえてきつく目を瞑った。

 ブルーローズは狂気を孕んだ双眸をルビーに向けた。

「知っているかい、ルビー。一度死んだものが二度死ねば、天国へは行けなくなる」

 ルビーは頬に爪を立てた。云いようのない恐怖に表情がひきつる。ルビーは床に座り込んで、ブルーローズに頭を下げた。

「お願い……やめて」

 懇願した。もうこれ以上、グレイを傷つけてほしくなかった。彼は何も悪くない。ただ、ルビーを助けようとしたばっかりにこんな惨い目に合っているのだ。

「グレイをこれ以上、傷つけることはもうやめて」

 すると、ブルーローズは窓辺に置いてある青薔薇の水を指差した。

「あれをキミが飲むなら許してあげる」

 にんまりとブルーローズが嗤う。

 グレイはそれが聞こえたのか、薄く唇を開いて力なげに首を左右に振るが、ルビーは震える足で窓辺に近寄ってグラスを手に持った。そして、それを一気にあおる。

 瞬間、グレイの体が動いた。

 どこにそんな力が残っていたかは定かでないが、彼はブルーローズを突き飛ばして一心不乱にルビーのもとへ来た。

 グレイはルビーの手首を掴んで力強く自分の方へ引っ張る。水を飲み込もうとするルビーに彼は口づけた。驚きにルビーの目が丸くなる。

 全てがスローモーションになったかのようだった。

 グラスが床に落ちる。

「ん……っ」

 歯列を潜り抜け、咥内にグレイの舌が入って来る。冷たいそれはルビーが飲み込もうとしている水全てを奪い去った。

 全ての毒を吸い出したグレイは、よろよろとルビーから離れて口もとを拭う。水が彼の口端から零れて行く。ルビーは茫然としてグレイを見つめる。

 ルビーは若干口の中に残る痺れるような匂いにふらりとへたり込むが、何とか無事だった。

 死んでいない。ルビーはそっと胸に手を当てた。心臓は規則正しく脈打っている。

「あま……」

 そう呟くグレイをルビーははっとして見る。

 彼は腕で唇を覆っていた。その表情は実に苦しげだ。

 ブルーローズは、その場から動こうとしない。彼にも予想だにしていなかっただろう事態に、ただ立ち竦んでいる。

 ゴボッと音がして血が床に散った。

 思わずルビーはグレイに駆け寄る。彼はルビーの手を握って平気だでも言うようにと頷いてみせた。 薄っすら笑みさえ浮かべている。土気色に変色した彼の顔が、ことの深刻さを浮き彫りにさせる。

 どこが平気なものかとルビーは思った。

 額からも口からも血が噴き出ている。

 ルビーは泣きたくなった。

 ルビーはグレイの全てを信じていなかった。

 そんなひねくれ者を、グレイは身を呈して助けてくれたのだ。

「グレイ……ごめんなさい」

 涙が伝う。

 それをグレイは優しい動作で拭ってくれた。




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