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青薔薇の恋  作者: 藍村 泰
孤独の終
10/39


 ホーホーとふくろうの鳴き声が遠くから聞こえてくる。

 ルビーはぼんやりとブルーローズに渡された青薔薇水を手にして、外を眺めていた。

 鈴の音がして、窓辺にグレイが現れる。彼はいつものように食べ物と水を交換しようとする。

 ルビーはニヒルな笑みを浮かべてそれを拒絶した。水の入ったグラスを後ろにやる。

 グレイは驚いたようだった。彼の目が開く。まさか拒否されるとは思っていなかったのだろう。

 あまり表情の見えない彼が、傷付いた目をした。

「……食べないと、体が持たない」

 無理矢理手に持たせようとする果実を、勢い良く振り払う。果物はごとりと音を立てて床に転げた。

 少し罪悪感が浮かんだが、ルビーはきつい言葉を口にした。

「ブルーも不審だけど、私にとってはあんたもじゅうぶん不審なの。どっちも、信じられない」

 グレイは沈黙する。

 無表情な彼の感情を読むことは難しい。今だって、せっかく持ってきた果物を弾かれたりしたらルビーなら怒って喚いているだろうに、彼はそうしない。

 グレイは、深く考え込むように視線を外した。

 カバンを持って出て行こうとするルビーにグレイは声をかけてくる。

「逃げ出すつもりか?」

「そうよ。出口は昼間に確認したし、もうこんな変な館こりごりだわ」

 挑戦的に答える。

 するとグレイは首を小さく横に振った。

「やめておけ。道は開いてない」

「…………」

 ルビーはグレイの言うことを聞かずに窓から外へ出る。馬鹿正直に玄関から出ようとは思わなかった。

 ブルーローズにグレイが告げ口する可能性が脳裏に過ぎるが、そうなった時は致し方ない。ブルーローズがいつも夜は二階にある自分の部屋に閉じこもって本を読んでいることを、ルビーは夕食時の会話でリサーチしていた。激しい物音を立てない限り、見つからないはずだ。

 林檎の木を通り過ぎて右の角を曲がる。

 淡いランプの光に照らされた塀を辿った。

 しかし……。

「そんな馬鹿な……っ」

 昼間ブルーローズに案内してもらった時には確かにあったはずの入り口が、跡形なく消えていた。

 ルビーは目の前が白くなる。

 塀を力任せに叩いた。じんとした痺れが拳から腕全体に広がった。

「入り口が移動してるとでも言うのっ?」

 しばらくその辺りをウロウロしていたルビーだったが、やがて諦めて部屋へ帰ろうとトボトボ歩き出した。

 グレイが言っていたことは本当だった。

 全てが本当ではないにしても、このことに関しては嘘を吐いていなかった。

 ルビーは意気消沈気味に肩を落とす。

 ふと、薔薇園を横切るグレイが目に飛び込んできた。

 投げやりな気持ちのまま、気まぐれにグレイの後をつけてみる。

 わざとグレイの歩調に合わせて歩いた。ピタリとグレイは歩みを止めたが、ほどなくしてまた歩き出す。

 彼がルビーの気配に気がついているのは元より承知だ。なんとなく、ルビーは今一人でいたくなかった。

 湖の近くにあるしろつめ草のところまで来た。そこで初めてグレイはルビーを振り返る。

 彼はルビーの意気消沈具合に眉根を寄せた。しかし、何も聞かないでくれる。

 グレイはわかっているのだろう。ルビーが出口を見つけられなかったことを。だから、何も言わない。

 ルビーはグレイのいる場所から少し離れたところに腰を下ろした。しろつめ草が散る。

 静かだった。

 風の囁きしかそこにはない。

 しろつめ草で編まれた首飾りが、ルビーの首に柔らかくかけられる。丁寧に編まれた首飾りは、少し重かった。

「グレイ……ありがと」

 グレイは笑みも零さず、湖の奥へ歩いて行く。夜の帳に彼は消えた。

 ルビーは涙も零せなかった。

(あっけない)

 自分の人生こんなもんか、と思った。ルビーはここで、じわじわと追い詰められて死んでいくのだ。 生まれて初めて感じた死の足音は思ったより優しいものだった。

 嫌になったら逃げ出せばいいと甘く考えていた自分は、なんと愚かだったのだろう。

 蔑みしか心に浮かばない。

 両親に、ルビーは純粋過ぎるから何もかも信じすぎて心配だ、と幼い頃に言われたことを思い出す。

 環境の変化でルビーは子供の頃に比べて自分は変わったと思っていたが、実際には、何も変わっていない。ただの馬鹿だ。

 ブルーローズがルビーを殺そうとしているとしても、落ち度はルビーにある。ほいほいと見ず知らずの館に忍び込み、林檎を盗もうとした。もちろん、それだけで殺される原因になったとはいささか納得いかないが。

 浅はかな行為が自らの首を締め上げたのだ。

(あの時、マドレアの言うことなんか歯牙にかけなきゃ良かった)

 今更、そう思ったところで時間は戻ってこない。

 悲しくはなかった。ただ、無性に笑えた。

 そんな自暴自棄気味になっているルビーの耳に、にゃあ、と鳴き声が届いた。しろつめ草の中、目をこらすと白猫がいた。白猫はよたよたと覚束ない足取りでルビーの方へ寄って来る。目はヘーゼルで、とても小さい。まだ子猫だろう。

 子猫はルビーの膝もとまで来ると、可愛らしく後ろ足で顔を拭う。

「おまえも、迷い込んだの?」

 ふふっと笑って、ルビーは猫を抱き上げる。猫は違うと言いたげに二回鳴いた。

 白猫は噛みつきも引っ掻きもせず、喉を鳴らすとルビーの手を舐めてくれる。普通、あまり初対面で動物から懐かれることが皆無に等しいルビーは嬉しくなる。久しぶりに心が浮足立った。

「……白猫か」

 グレイが湖の奥から戻って来る。

 グレイの手には大きな葉で器用に作った水の入った入れ物と野いちごが握られている。それを彼はルビーに差し出す。

 ルビーは、今度は素直に受け取った。

 やせ我慢してもしなくても、もうここからは逃れられない。それなら、少しでも腹が膨れた方がいい。

 ルビーは一旦、白猫を膝に下ろして水を飲んだ。野いちごを頬張れば、酸味の強い味がする。

 グレイは白猫に手袋をした指を近づけた。猫はしっぽを立てて警戒を露わにして彼の指を引っ掻く。黒い手袋がすこし破けた。

「………………」

 グレイは驚いた顔で子猫を見つめている。子猫は警戒を解かずにグレイを睨んだ。毛並みが逆立っている。

「グレイが怖い顔してるからよ。ちょっと見せて」

 ルビーはグレイの手を取り、手袋の破け具合を見た。大きく裂けているわけではない。すぐに繕えるだろう。

「繕おうか」

 申し出るが、グレイはかぶりを振ってそれを拒否した。

「でも――破けたままにしてたら、そのうちどんどん大きく裂けるわよ」

「いい。あとで自分で縫う」

 親切を無碍にするグレイにルビーは肩をすくめる。

 グレイはその後も白猫を手懐けようとしているみたいだったが、白猫は逃げる。彼は森に去って行く白い毛色をした猫を目で追いながら、

「かわいいな」

と呟いた。

 ルビーは自慢げに腰に手を当てる。

「さっきの猫も結構かわいかったけど、私が飼っていた猫の方が、あの猫の何十倍もかわいかったわ」

 ルビーはそう言い放った。

 グレイは途端に体を硬直させる。

 ルビーは瞼を閉じて、飼っていた猫とよく遊んだ光景を思い出してみた。

 その瞬間、ハッとした。

 この場所は、ルビーが飼っていた猫と出会い、そして遊んでいたところに似ていた。

 グレイにここへ連れて来られた時に感じた既視感は、そのためだったのだ。

「なんか見覚えがあると思ったら、ここは昔その猫とよく遊びに来てた森に似てるわ」

 話し出したら、封印していた記憶があぶくのように次から次へ溢れてくる。

 ルビーは昔飼っていた猫の自慢話をした。

「とても頭が良い猫だったのよ。私が言うこと全部理解してくれてたんじゃないかしら。……私、本当にその猫が大好きだったの。でも――」

 ルビーの声色が影を落とす。

 ルビーは猫がいなくなった時の悲しみを思い出し、胸が苦しくなった。ぎゅっと胸もとで拳を握りしめる。

 どんなに探しても名前を呼んでも、ついに見つからなかった猫。

『猫を置いてちょっとおいで』と言われたルビーは、素直に両親のもとへ駆け寄った。すると、父はルビーを抱き上げてそのまま森から去った。猫をおきざりにして。

「両親に騙されちゃって、離れ離れになっちゃった」

 ルビーは食事も摂らずに大泣きしたが、両親は森に連れて行ってはくれなかった。何日か経って、ルビーは両親に頼んでも無駄だということを悟って、勝手に家を抜け出して厩にいた御者に頼み込み、やっとのことでその森へ行くことが出来た。あとで怒られてもいいから、と懸命に頼むルビーに御者は根負けしたらしかった。

 ルビーは必死で猫を探した。しかし、見つからなかった。森の入り口に広がっている湖の周りに自生したしろつめ草の中で、元気に駆け回る猫の姿はその日を境になくなった。

 ルビーは指を交互に重ねて月を仰ぐ。

「あとで知ったんだけど、ほら……十年くらい前って、魔女狩りの全盛期だったじゃない。異端尋問を恐れた両親は猫を捨てようと思ったみたい。猫は魔女の使い魔と言われていたから、飼ってるってバレたら私達家族は魔女の一族だと思われちゃうから」

 ふーっとルビーは息を吐く。

「一生懸命探したんだけど、どうしても見つけられなかったの。悲しくて、猫に申し訳なくて、毎日泣いたわ。父さん達とは目も合わせたくないと思った」

 事実、ルビーはそれから一ヶ月程、ろくに両親と口を利かなかった。

 ルビーは猫が異端尋問官に見つけられないことを毎日神に祈っていた。

 グレイは唇を震わせた。金色の目が揺らめく。

「もしもその猫を見つけ出すことが出来たなら、連れて帰ったか」

と彼は訊いた。

 ルビーは憤慨する。

「あら。あんた、その猫を手なずけるのに私がどれだけ時間を要したと思ってるの。捨て置くなら、懐くまであんなに辛抱強く世話したりしないわ」

 グレイはルビーの言葉を聞くと、泣きそうなくらい儚げに微笑んだ。

 ルビーの胸が跳ね上がる。

「その猫は、幸せものだ」

 グレイの顔に翳が落ちる。

「ルビーから慈しまれて、とても……感謝していると思う」

「あんたが優しいと、調子が狂うから……そんな慰め言わないでくれる?」

 言いつつ、ルビーはどこかで温かさを感じた。

 にゃあ、と気まぐれな白猫が再び姿を見せる。猫は小首を傾げてグレイにすり寄る。さっきまであんなに警戒していたのが嘘みたいだ。

 グレイは白猫の喉を優しく掻いてやり、手で猫を持ち上げると包み込むように優しく抱きしめた。

 グレイの目に涙が光った。

 ルビーは慌てふためいて、どうしたらいいのかわからず口を開いたり閉じたりを繰り返した。

「グ、グレイ。私……なんかした?」

 ルビーがオロオロしながら尋ねると、グレイは涙を流したまま首を横に振る。白猫がその涙を小さな舌で舐めとる。

「いや、ルビーは……ルビーなんだなと思って」

 よくわからないが、グレイが泣いたのはルビーが粗相をしたせいではないようだった。わざわざ持ってきてくれた果物を床に落としたり、あんたなんて信じないと言ったりしたことで、今になって悲しまれたかと思ったルビーはホッとする。

 白猫はルビーとグレイを交互に見て、満足げに一声鳴いた。




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