表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

第6話 五分だけ

※本話は視点切替があります(「◇◇◇ ○○side ◇◇◇」で区切っています)。

※重い記憶(救急搬送の出来事)の描写があります。

◇◇◇ 悠真side ◇◇◇

「明日の夜。駅前のカフェ。窓側の席」

スマホを閉じても、その一行だけが胸に残っていた。

五分。

たった五分。

それなのに、体の芯が落ち着かない。

仕事の締め切り前より、ずっと。

俺は机の上を片づけた。意味もなく、ペンを揃える。領収書を角で揃える。

現実は、角を揃えると少しだけ安心できる。

でも、今日は揃わない。

夜。

自宅の蛍光灯が白すぎて、目が痛い。

俺はノートPCを開いた。外付けHDDも出した。

“会う”前にできることは、全部やっておきたい。

確認。

記録。

逃げ道の確保。

俺は新しいフォルダを作った。

【yui_検証】

中に、スクショを入れる。

DM。時刻。

同窓会グループ。結衣の「久しぶり」。

共有フォルダの「yui」。アップロード履歴の17:21。

ファイルが並ぶほど、心が落ち着く。

落ち着くほど、まぶたが重くなる。

……危ない。

俺はキッチンへ行って、水を飲んだ。

冷たさが喉を通る。現実の温度。

戻って、スマホを開く。

DMは増えていない。

代わりに、同窓会グループが流れている。

『集合時間どうする?』

『二次会、人数ざっくりで予約するね』

平和だ。

平和すぎて、俺の異常が浮く。

結衣は、その流れに混ざらない。

必要なときだけ短く返信して、それ以上は出てこない。

踏み込まない。

踏み込まないのに、俺を見ている。

俺は、昨日の彼女の文を読み返した。

『今は“思い出そう”としないで』

……思い出すな、と言われて、思い出さずにいられる人間がいるのか。

俺は、救急搬送の控えのPDFを開いた。

“要請 17:19”。

その数字を見るだけで、台所の破片が光る。

割れたコップ。

床。

蛍光灯。

固まった俺。

忘れたいのは、あの日じゃない。

床に散った破片を前に、固まった俺のほうだ。

俺はPDFを閉じた。閉じる手が、少し遅い。

「……会うんだろ」

独り言が、部屋に落ちた。

翌日。

仕事はいつも通り流れた。

いつも通りのつもりで、何度も時計を見た。

18:10。

18:22。

18:35。

数字に逃げても、時間は進む。

定時。

俺は席を立った。

早すぎないように。

でも遅れないように。

そのバランスが、いちばん苦しい。

駅前。

カフェのガラス越しに、明るい店内が見えた。

「窓側の席」

俺は視線を滑らせて、そこを探した。

いた。

窓側。

背筋がまっすぐな女。

黒髪。落ち着いた横顔。

顔は、すぐには見ない。

見たら、俺の中の“結衣”が勝手に上書きする。

俺は一呼吸置いて、近づいた。

女が顔を上げた。

「……黒川くん」

声が静かだった。

押しつけがましくない。

でも、きちんと俺に届く。

俺の胸が、変な鳴り方をした。

「……久しぶり」

それだけ言うのが精一杯だった。

女は、小さく頷いた。

「久しぶり。結衣だよ」

結衣。

現実の音として名前を聞いた瞬間、

頭の中の潮騒が、少しだけ引いた。

女——結衣は、座ったまま距離を保った。

手も伸ばさない。

触れない。触れさせない。

「時間、ほんとに五分でいい」

結衣はそう言って、テーブルの端にスマホを置いた。画面は伏せたまま。

“証拠”を見せるためじゃない。

“逃げ道”を残す置き方だった。

俺は座った。

椅子の音が、やけに大きい。

「DMの……yui」

俺が言うと、結衣は一度だけ目を伏せた。

「うん。私」

短い。

言い訳もしない。

俺の喉が乾く。

「なんで」

結衣は、すぐ答えなかった。

呼吸を一つ置く。癖みたいに。

「グループだと、みんなの目があるから」

それは分かる。

分かるのに、納得できない部分が残る。

「……割れたコップ」

俺が言った瞬間、結衣の指が、カップの取っ手を強く握った。

ほんの一秒。

すぐ力を抜いた。

「……ごめん」

結衣は、謝った。

また“ごめん”。

「怖がらせたよね。あれ、言うべきじゃなかった」

言うべきじゃない。

でも言った。

言ったから、ここに俺がいる。

「どうして知ってる」

俺は、同じ質問を繰り返した。

本当は、答えが欲しいんじゃない。

現実に繋がる糸が欲しい。

結衣は、視線を逸らさずに言った。

「今は、思い出さなくていい」

その一言が、胸に刺さった。

……その台詞、俺の中の結衣が言ってた。

上書きの中の結衣が。

なのに、目の前の結衣が、同じことを言う。

俺は、息が浅くなる。

結衣は続けた。

「黒川くん、今日だけは、覚えてるかどうかを競わないで」

競う?

俺は今、勝ち負けをしているのか。

現実と。記憶と。

結衣は、ほんの少しだけ声を柔らかくした。

「私、卒業してから連絡しなかった。できなかった」

それ以上は言わない。

言ってしまったら、踏み込んでしまうと分かってるみたいに。

「……なんで」

俺が言うと、結衣の口元が一瞬だけ揺れた。

笑いじゃない。痛みの形。

「それは、同窓会で。ちゃんと話す」

逃げた。

でも、逃げ方が丁寧だった。

結衣は、テーブルの上に指を置いたまま、言った。

「黒川くんは、自分のこと、起きてるって思ってる?」

俺は固まった。

起きてる。

俺は、起きている。

なのに、返事が遅れる。

「……起きてるよ」

結衣は、少しだけ安心した顔をした。

「よかった」

その“よかった”が、

俺の中の何かを、ゆるくしてしまう。

危ない。

俺は今、現実の結衣に救われそうになってる。

結衣は立ち上がった。

「五分、守るね」

俺も立った。

引き留める言葉が出ない。

結衣は最後に一言だけ言った。

「来てくれて、ありがとう。……黒川くんのペースでいいから」

それだけ言って、店を出た。

窓の外で、結衣の背中が遠ざかる。

遠ざかるのに、光だけが残る。

俺は座り直した。

足が少し震えていた。

現実は、こんなに冷たいのに。

結衣の言葉だけが、甘い。

俺はスマホを開いた。

DMの画面。

yuiから、メッセージが一件だけ増えていた。

『今日は、これ以上は言わない。ごめんね。』

たったそれだけ。

踏み込まない。

踏み込まないのに、俺の奥に触れてくる。

(続く)


◇◇◇ 佐藤side ◇◇◇

黒川さんが、定時で帰った。

珍しい。

いや、最近はそれが珍しくなくなってきてるのが怖い。

黒川さんは、仕事に穴を開ける人じゃない。

なのに今は、仕事より優先してる“何か”がある。

エレベーターの前で見た横顔が、少しだけ柔らかかった。

まどろんでるときの顔に似ていた。

起きてるのに、夢の中。

俺は、追いかけるのをやめた。

やめたのに、気になって仕方がない。

もし黒川さんが“現実の誰か”に会うなら、まだいい。

でも、もし“幻”に会いに行くなら。

戻ってこれない。

デスクに戻って、ふと黒川さんの机を見た。

ヘッドフォンが置きっぱなしになっている。

いつもなら、持って帰るのに。

俺は、胸の奥が冷えた。

(続く)

読んでいただきありがとうございます。

「五分だけ」のはずが、悠真にとっては“現実に触れる”には十分すぎる時間でした。

次話から同窓会に向けて、悠真の自己認識と、周囲(結衣・佐藤)の見ている悠真の差が、少しずつ露骨になっていきます。

続きが気になったら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ