第6話 五分だけ
※本話は視点切替があります(「◇◇◇ ○○side ◇◇◇」で区切っています)。
※重い記憶(救急搬送の出来事)の描写があります。
◇◇◇ 悠真side ◇◇◇
「明日の夜。駅前のカフェ。窓側の席」
スマホを閉じても、その一行だけが胸に残っていた。
五分。
たった五分。
それなのに、体の芯が落ち着かない。
仕事の締め切り前より、ずっと。
俺は机の上を片づけた。意味もなく、ペンを揃える。領収書を角で揃える。
現実は、角を揃えると少しだけ安心できる。
でも、今日は揃わない。
•
夜。
自宅の蛍光灯が白すぎて、目が痛い。
俺はノートPCを開いた。外付けHDDも出した。
“会う”前にできることは、全部やっておきたい。
確認。
記録。
逃げ道の確保。
俺は新しいフォルダを作った。
【yui_検証】
中に、スクショを入れる。
DM。時刻。
同窓会グループ。結衣の「久しぶり」。
共有フォルダの「yui」。アップロード履歴の17:21。
ファイルが並ぶほど、心が落ち着く。
落ち着くほど、まぶたが重くなる。
……危ない。
俺はキッチンへ行って、水を飲んだ。
冷たさが喉を通る。現実の温度。
戻って、スマホを開く。
DMは増えていない。
代わりに、同窓会グループが流れている。
『集合時間どうする?』
『二次会、人数ざっくりで予約するね』
平和だ。
平和すぎて、俺の異常が浮く。
結衣は、その流れに混ざらない。
必要なときだけ短く返信して、それ以上は出てこない。
踏み込まない。
踏み込まないのに、俺を見ている。
俺は、昨日の彼女の文を読み返した。
『今は“思い出そう”としないで』
……思い出すな、と言われて、思い出さずにいられる人間がいるのか。
俺は、救急搬送の控えのPDFを開いた。
“要請 17:19”。
その数字を見るだけで、台所の破片が光る。
割れたコップ。
床。
蛍光灯。
固まった俺。
忘れたいのは、あの日じゃない。
床に散った破片を前に、固まった俺のほうだ。
俺はPDFを閉じた。閉じる手が、少し遅い。
「……会うんだろ」
独り言が、部屋に落ちた。
•
翌日。
仕事はいつも通り流れた。
いつも通りのつもりで、何度も時計を見た。
18:10。
18:22。
18:35。
数字に逃げても、時間は進む。
定時。
俺は席を立った。
早すぎないように。
でも遅れないように。
そのバランスが、いちばん苦しい。
•
駅前。
カフェのガラス越しに、明るい店内が見えた。
「窓側の席」
俺は視線を滑らせて、そこを探した。
いた。
窓側。
背筋がまっすぐな女。
黒髪。落ち着いた横顔。
顔は、すぐには見ない。
見たら、俺の中の“結衣”が勝手に上書きする。
俺は一呼吸置いて、近づいた。
女が顔を上げた。
「……黒川くん」
声が静かだった。
押しつけがましくない。
でも、きちんと俺に届く。
俺の胸が、変な鳴り方をした。
「……久しぶり」
それだけ言うのが精一杯だった。
女は、小さく頷いた。
「久しぶり。結衣だよ」
結衣。
現実の音として名前を聞いた瞬間、
頭の中の潮騒が、少しだけ引いた。
女——結衣は、座ったまま距離を保った。
手も伸ばさない。
触れない。触れさせない。
「時間、ほんとに五分でいい」
結衣はそう言って、テーブルの端にスマホを置いた。画面は伏せたまま。
“証拠”を見せるためじゃない。
“逃げ道”を残す置き方だった。
俺は座った。
椅子の音が、やけに大きい。
「DMの……yui」
俺が言うと、結衣は一度だけ目を伏せた。
「うん。私」
短い。
言い訳もしない。
俺の喉が乾く。
「なんで」
結衣は、すぐ答えなかった。
呼吸を一つ置く。癖みたいに。
「グループだと、みんなの目があるから」
それは分かる。
分かるのに、納得できない部分が残る。
「……割れたコップ」
俺が言った瞬間、結衣の指が、カップの取っ手を強く握った。
ほんの一秒。
すぐ力を抜いた。
「……ごめん」
結衣は、謝った。
また“ごめん”。
「怖がらせたよね。あれ、言うべきじゃなかった」
言うべきじゃない。
でも言った。
言ったから、ここに俺がいる。
「どうして知ってる」
俺は、同じ質問を繰り返した。
本当は、答えが欲しいんじゃない。
現実に繋がる糸が欲しい。
結衣は、視線を逸らさずに言った。
「今は、思い出さなくていい」
その一言が、胸に刺さった。
……その台詞、俺の中の結衣が言ってた。
上書きの中の結衣が。
なのに、目の前の結衣が、同じことを言う。
俺は、息が浅くなる。
結衣は続けた。
「黒川くん、今日だけは、覚えてるかどうかを競わないで」
競う?
俺は今、勝ち負けをしているのか。
現実と。記憶と。
結衣は、ほんの少しだけ声を柔らかくした。
「私、卒業してから連絡しなかった。できなかった」
それ以上は言わない。
言ってしまったら、踏み込んでしまうと分かってるみたいに。
「……なんで」
俺が言うと、結衣の口元が一瞬だけ揺れた。
笑いじゃない。痛みの形。
「それは、同窓会で。ちゃんと話す」
逃げた。
でも、逃げ方が丁寧だった。
結衣は、テーブルの上に指を置いたまま、言った。
「黒川くんは、自分のこと、起きてるって思ってる?」
俺は固まった。
起きてる。
俺は、起きている。
なのに、返事が遅れる。
「……起きてるよ」
結衣は、少しだけ安心した顔をした。
「よかった」
その“よかった”が、
俺の中の何かを、ゆるくしてしまう。
危ない。
俺は今、現実の結衣に救われそうになってる。
結衣は立ち上がった。
「五分、守るね」
俺も立った。
引き留める言葉が出ない。
結衣は最後に一言だけ言った。
「来てくれて、ありがとう。……黒川くんのペースでいいから」
それだけ言って、店を出た。
窓の外で、結衣の背中が遠ざかる。
遠ざかるのに、光だけが残る。
俺は座り直した。
足が少し震えていた。
現実は、こんなに冷たいのに。
結衣の言葉だけが、甘い。
俺はスマホを開いた。
DMの画面。
yuiから、メッセージが一件だけ増えていた。
『今日は、これ以上は言わない。ごめんね。』
たったそれだけ。
踏み込まない。
踏み込まないのに、俺の奥に触れてくる。
(続く)
◇◇◇ 佐藤side ◇◇◇
黒川さんが、定時で帰った。
珍しい。
いや、最近はそれが珍しくなくなってきてるのが怖い。
黒川さんは、仕事に穴を開ける人じゃない。
なのに今は、仕事より優先してる“何か”がある。
エレベーターの前で見た横顔が、少しだけ柔らかかった。
まどろんでるときの顔に似ていた。
起きてるのに、夢の中。
俺は、追いかけるのをやめた。
やめたのに、気になって仕方がない。
もし黒川さんが“現実の誰か”に会うなら、まだいい。
でも、もし“幻”に会いに行くなら。
戻ってこれない。
デスクに戻って、ふと黒川さんの机を見た。
ヘッドフォンが置きっぱなしになっている。
いつもなら、持って帰るのに。
俺は、胸の奥が冷えた。
(続く)
読んでいただきありがとうございます。
「五分だけ」のはずが、悠真にとっては“現実に触れる”には十分すぎる時間でした。
次話から同窓会に向けて、悠真の自己認識と、周囲(結衣・佐藤)の見ている悠真の差が、少しずつ露骨になっていきます。
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