第5話 既読のまま
※本話は視点切替があります(「◇◇◇ ○○side ◇◇◇」で区切っています)。
◇◇◇ 悠真side ◇◇◇
送らないままの「……」が、画面の底に沈んでいた。
グループの結衣。
DMのyui。
二つの「久しぶり」。
俺はどちらにも返していない。
返せないまま、夜が明けた。
•
朝。
目を開けた瞬間、スマホを探した。
指が勝手にロックを外す。
通知が増えている。
同窓会グループ。
『黒川くん、ほんと久しぶり。来てくれてうれしい』
結衣。
文末に句点がある。丁寧で、公共の距離。
“黒川くん”。
俺の胸が、少しだけ痛む。
名前を呼ばれたのに、近づけない痛み。
その下に、別の通知。
DM。
『返事は急がなくていいよ』
『無理しないで』
短い。
押してこない。
でも、置いていかない。
その“置き方”が、いちばんずるい。
俺は返信欄を開いた。
「おはよう」
打って、止まる。
“おはよう”は、誰に言う。
グループの結衣か。DMのyuiか。
それとも、俺の頭の中の結衣か。
俺はスマホを伏せた。
伏せたのに、画面の光が残る。
まぶたが重い。
幻に沈むときは、いつも静かだ。
落ちるというより、眠りに誘われる。
俺は立ち上がって、洗面台の水を手にすくった。
冷たい。現実の温度。
顔を洗って、呼吸を整える。
「今日は仕事」
言ってみる。
言葉は固い。固いだけで、安心する。
•
出社。
エレベーターの鏡に映った俺は、ちゃんとした社会人の顔をしていた。
席に着く。PCを起動。
編集ソフトを開く。
タイムラインの上で、映像が流れる。
波。夕焼け。花火。
昨日の素材が、また俺を呼ぶ。
ヘッドフォンはしない。
しないのに、潮の匂いがする気がした。
俺は目線を逸らし、別のウィンドウを開いた。
同窓会グループの参加者一覧。
結衣のプロフィールを、そっと押す。
自己紹介欄は短い。
近況が数行。写真は海。
昔の結衣を、俺は知らない。
だから今の結衣も、知らない。
知らないはずなのに、指先だけが知っているような気がする。
それが嫌だ。
グループに新しいメッセージが流れた。
『みんな、二次会の花火どうする?去年みたいに海まで歩く?』
誰かの提案。
俺の喉が鳴る。
“海まで歩く”。
その言葉だけで、足裏に砂の熱が戻りかける。
危ない。
俺は、画面の右上を見た。時刻。
数字に逃げるのが俺の癖だ。
10:12。
その瞬間、結衣が返信した。
『海は……無理しない範囲ででいいと思う。人混み苦手な人もいるし』
無理しない。
またその言葉。
俺は、結衣の文を見て、胸が少しだけ緩んだ。
緩むのが怖いのに、嬉しい。
俺は知らないうちに、救われたがっている。
•
昼休み。
俺は社屋の裏のベンチに座った。
風が冷たい。
現実の冷たさは助かる。
スマホを開く。
DMの画面。
yuiの最後の文。
『返事は急がなくていいよ』
急がなくていい。
じゃあ、いつならいい。
俺は返信欄に、今度は長く打った。
「久しぶり。結衣、なのか。どうして俺のことを知ってる。割れたコップのことを——」
途中で止まる。
止まったまま、指が震える。
割れたコップは、俺の急所だ。
そこに触れた瞬間、現実が崩れる。
俺は文章を全部消した。
代わりに、短くする。短く。いつも通りに。
「久しぶり」
送信。
送ってしまった。
既読がつくまで、数秒。
その数秒が、無駄に長い。
既読。
そして、すぐ返信。
『久しぶり』
『……ごめんね。怖がらせた』
ごめん。
その一語で、胸の奥が痛む。
責めたいわけじゃない。
でも、許したくもない。
俺は、もう一度打つ。
「結衣?高校の?」
送信。
既読。
少し間が空く。
その間に、俺の中の結衣が勝手に顔を作る。
八重歯。潮の匂い。花火。
現実の結衣が、遠くなる。
返信が来た。
『そうだよ』
『高校の結衣』
『黒川くん、今は……起きてる?』
起きてる?
質問が妙だった。
まるで俺が、寝ているみたいに。
俺はスマホを握りしめた。
「起きてるよ」
送信。
既読。
『よかった』
『じゃあ、ひとつだけ。今は“思い出そう”としないで』
思い出そうとするな。
でも、忘れるな。
矛盾じゃない。
“今は”という言い方が、優しいのに残酷だ。
俺は打つ。
「じゃあ、いつ」
送信。
既読。
少し間。
『同窓会の前に、五分だけ話したい』
『電話じゃなくて、会って』
『黒川くんのペースでいい』
黒川くん。
DMなのに苗字。
距離を一段戻した呼び方。
踏み込まない。
踏み込まないのに、手だけは差し出してくる。
俺は画面を見つめた。
視界が少しだけ滲む。
まどろみだ。
現実の輪郭が薄くなって、幻のほうが甘くなる。
俺は、甘いほうへ行きたい。
行ったら戻れない気がするのに。
スマホが、もう一度震えた。
『場所、由比ヶ浜じゃないよ』
『安心して』
……読まれている。
俺の恐怖を、読まれている。
俺は返信欄に「わかった」と打った。
送信寸前で止まる。
指が動かない。
“会う”。
それは現実だ。
現実は、編集できない。
俺の背中に汗が出る。
それでも、送った。
「わかった」
送信。
既読。
すぐ返信。
『ありがとう』
『じゃあ、明日の夜。駅前のカフェ。窓側の席にいるね』
明日。
既読。
少し間。
『同窓会の前に、五分だけ話したい』
『電話じゃなくて、会って』
『黒川くんのペースでいい』
黒川くん。
DMなのに苗字。
距離を一段戻した呼び方。
踏み込まない。
踏み込まないのに、手だけは差し出してくる。
俺は画面を見つめた。
視界が少しだけ滲む。
まどろみだ。
現実の輪郭が薄くなって、幻のほうが甘くなる。
俺は、甘いほうへ行きたい。
行ったら戻れない気がするのに。
スマホが、もう一度震えた。
『場所、由比ヶ浜じゃないよ』
『安心して』
……読まれている。
俺の恐怖を、読まれている。
俺は返信欄に「わかった」と打った。
送信寸前で止まる。
指が動かない。
“会う”。
それは現実だ。
現実は、編集できない。
俺の背中に汗が出る。
それでも、送った。
「わかった」
送信。
既読。
すぐ返信。
『ありがとう』
『じゃあ、明日の夜。駅前のカフェ。窓側の席にいるね』
明日。
急に現実が加速した。
俺はスマホを閉じた。
閉じても、明日の予定だけが胸に残る。
(続く)
◇◇◇ 佐藤side ◇◇◇
黒川さんは、昼休みに外へ出るタイプじゃない。
いつもはデスクで、コンビニのパンを食べながら画面を見てる。
それが黒川さんの“休憩”だと思ってた。
今日は違った。
俺が給湯室から戻ると、黒川さんの席が空いていた。
机の上にヘッドフォン。スマホはない。
戻ってきたのは、昼休みの終わりかけ。
黒川さんは、廊下を歩いてるのに、ちょっと眠そうに見えた。
目の焦点が合ってない。
口元が、ほんの少しだけゆるんでる。
悪い夢じゃない。
いい夢に引き込まれてる顔。
「黒川さん、大丈夫ですか」
声をかけた。
黒川さんは、びくっとして、それから遅れて笑った。
遅れてくる笑い。
「大丈夫。……ちょっと風に当たってただけ」
風。
それでそんな顔になる?
黒川さんは席に座って、スマホを伏せたまま動かさなかった。
画面を見ないのに、手だけがそこに置かれてる。
大事なものを、逃がさないみたいに。
俺は怖かった。
黒川さんは、誰かを好きになったのかもしれない。
でも、それが“現実の人”なのか、“幻”なのか。
外からは分からない。
分からないのに、黒川さんだけが、どんどん深く沈んでいく。
(続く)
読んでいただきありがとうございます。
「会う」が現実になってしまいました。
次話は、悠真が“会う前”にできる最後の確認をしようとして、逆に自分の中の甘い上書きに足を取られます。




