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第4話 出どころ

※本話は視点切替があります(「◇◇◇ ○○side ◇◇◇」で区切っています)。

◇◇◇ 悠真side ◇◇◇

電車の揺れが、やけに優しかった。

スマホは閉じている。

閉じたはずなのに、文字だけが残る。

『コップ、割れたよね。あの日』

割れた。

床に散った。蛍光灯の光を拾って、やけに綺麗だった。

知っているのは俺だけだ。

少なくとも、そう思って生きてきた。

なら、やることはひとつしかない。

「出どころを潰す」

声に出すと、言葉が仕事の手触りを帯びる。

編集は素材の出どころが分からないと怖い。混ざったノイズは、まず源を探す。

俺は駅を降りて、家とは逆の方向へ歩いた。

自宅でやると、潮の匂いが戻る。現実を確かめたいのに、幻に引っ張られるのが嫌だった。

夜でも開いている小さなコワーキングスペースに入り、ブースを借りた。

蛍光灯。薄い木の机。静かな空調。

現実の匂いだけがする場所だ。

ノートPCを開き、外付けHDDを繋ぐ。

由比ヶ浜の写真。

8月15日 17:21。

まず、ファイル名。

当てにならない。俺は昔から保存するときに名前を変える癖がある。日付とフォルダ名を付け足して、安心したふりをする。

次に、元データの出どころ。

昔の俺は、気持ち悪いくらい几帳面だった。保存した理由や、共有者の名前をメモしていることがある。

フォルダを潜る。

「高2」

「夏」

「クラス共有」

「メモ」

テキストファイルが見つかった。

【memo_201X_クラス共有.txt】

開くと、短い行が並んでいる。

リンク、日付、ひとこと。

今の俺が見ても、息が詰まるくらい執着がある。

その中に、例の写真に対応する一行があった。

「8/15 海 写真(夕方、後ろ姿)」

そして括弧の外に、追記がある。

「upload: yui」

——yui。

俺は一度、呼吸を止めた。

偶然だ、と脳が言いかける。

でも指が先に動く。俺はログを掘る。

当時の「クラス共有」が何だったのか。

LINEのアルバムか、クラウドか、適当なファイル共有か。記憶は曖昧だ。

曖昧だから、俺は残している。

残しているはずだ。

パスワード管理アプリを開く。検索。

「class」

「201X」

「drive」

「album」

出てきた。

俺はログインした。

画面に、古い共有フォルダが開く。

サムネイルが並び、青春が圧縮されたみたいな色の洪水が目に刺さった。

そこに「海」というフォルダがある。

心臓が一拍遅れて鳴る。

遅れてくるのは、いつも俺だ。

クリック。

夕方の砂浜。花火。屋台。海水浴。

俺がいなかったはずの世界が、整然と保存されている。

例の写真を探して開く。

右側に情報が出る。

アップロードしたユーザー名。

アイコン。

短い英字。

「yui」

それだけ。

名前はない。

顔もない。

なのに、背中に潮の匂いが一滴落ちた気がした。

俺はアップロード履歴を開いた。

8月15日、17時台。連続して何枚か上がっている。

そして、例の写真。

時刻は——17:21。

一致した。

胃の奥が冷える。

証拠は揃っていくのに、現実だけが薄くなる。

俺は、さらに一歩踏み込んだ。

“yui”のプロフィールを開けないか。連絡先に繋がらないか。

……ない。

匿名に近い。ここから先は見えない。

見えないのが、妙に“優しい”と思ってしまった。

踏み込まないように、線が引かれている。

「ここまで」と言われているみたいに。

その瞬間、スマホが震えた。

DM。

『……見つけちゃった?』

句読点も絵文字もない。

なのに、指先をそっと引くみたいな文だった。

追い込むためじゃない。

止めるための言葉に見えた。

俺は、返信欄を開いた。

「お前は誰だ」

打って、消した。

「結衣なのか」

打って、消した。

名前を出すのが怖い。

名前を出した瞬間、現実の誰かに触れてしまう。

俺は今までずっと、そこを避けて生きてきた。

結局、返信はしないままスマホを伏せた。

伏せたのに、画面の光がまぶたの裏に残った。

まぶたが重くなる。

……危ない。

俺は机の角に指を押し付けた。

痛みで現実に戻す。いつも使う小技だ。

戻ったところで、やることは変わらない。

同窓会。

参加者リスト。

現実側から、結衣を探す。

俺は、招待状の封筒を鞄から出した。紙の感触が、現実の固さを思い出させる。

スマホを取り出し、同窓会の案内にあるリンクを押した。

グループに参加する。

表示される参加者一覧。

懐かしい名前。読める漢字。読めない漢字。

みんな、ちゃんと大人になっている。アイコンが家族写真だったり、犬だったり、会社のロゴだったりする。

その中に、いた。

「結衣」

アイコンは、海。

心臓がまた一拍遅れて跳ねた。

遅れてくるのは、いつも俺だ。

参加した瞬間、グループ内に通知が一件。

『黒川くん、久しぶり』

結衣から。

……久しぶり?

俺は、返事を打てない。

久しぶりと言われるほど、会ってない。会ってないはずだ。

なのに、指先だけが覚えている。

手をつないだ感触。汗。熱。花火。

俺のスマホが、同時に震えた。

DM。

『悠真くん、久しぶり』

同じ文。

同じタイミング。

違う場所から。

俺は画面を見比べた。

グループの結衣。DMの“yui”。

二つの線が、一本に寄っていく。

息が浅くなる。

視界の端が、少しだけ滲む。

まどろみだ。

起きているのに、夢のほうへ沈む。

現実を確かめに来たのに、幻のほうが甘い。

俺は、ようやく一文字だけ打った。

「……」

送らない。送れない。

送ってしまったら、俺の現実が変わる。

変わるのが怖いのに、変わってほしい自分もいる。

スマホの上で、二つの「久しぶり」が光っていた。

(続く)


◇◇◇ 佐藤side ◇◇◇

黒川さんは、今日は定時で帰ると思っていた。

顔色は悪かったけど、いつも通り「大丈夫です」で終わらせる顔をしていたから。

そういう人だ。困ってても、困ってないふりが上手い。

でも、席が空かない。

時計が進んで、フロアの人が減っていっても、黒川さんのモニターだけがついている。

作業してる音がしない時間が長い。

俺は様子を見に行った。

「黒川さん、まだ……?」

声をかけた瞬間、黒川さんがびくっと肩を跳ねた。

起きてるのに、起こされたみたいな反応だった。

画面は、何かのフォルダ。

海の写真が並んでいる。

その横に、小さな英字。

「yui」

黒川さんの目は、その三文字に吸い付いていた。

口元がほんの少しだけゆるんで、まぶたが重い。

寝不足の顔じゃない。夢を見ている顔だ。

俺が来たのに、視線が戻らない。

「……すみません」

黒川さんはそう言った。謝る内容じゃないのに謝る。

そして笑った。薄い笑い。

幻を追っている、というより。

幻に撫でられて、気持ちよくなっているみたいだった。

起きているのに、まどろんでいる。

俺は、これ以上踏み込めなかった。

踏み込んだら、黒川さんが戻れなくなる気がした。

(続く)

読んでいただきありがとうございます。

「yui」と同窓会グループの「結衣」――二つの線が、同じ言葉で悠真を呼びました。

次話は、悠真が“現実側の結衣”に触れようとして、逆に自分の記憶の曖昧さを突きつけられます。

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