負債の対価 ハラルド視点
孤児院を一の鐘の頃に出た。
早朝はまだ真冬のように寒く、ハラルドはなけなしの上着をきつく体に巻き付けた。
カレンは仕事開始は開門時間の二の鐘からでいいと言っていたが、院長のユッタは仕事を覚えていないうちは誠意だけでも見せるために早くから仕事をはじめるべきだと言っていたし、ハラルドもそうするべきだと思った。
ティムはせっかくカレンが二の鐘からでいいと言っていたのにとぶーぶー言っていたが、それでハラルドがひとりで錬金工房に行こうとすれば、寝ぼけ眼でついてきた。
「今日の仕事はなんだろうな~、な? ハラルド?」
「……」
ハラルドは話しかけてくるティムを無視した。
こいつに関わるとろくなことがない。
先日は毒を飲まされた上に魔力量が少ないことをバラされたし、この間はこいつと連帯責任でせっかくの仕事を辞めさせられかけた。
なんとか首の皮一枚で辞めずに済んだが、これからはティムが何かをするたびにハラルドが止めなくてはならなくなった。
魔力で何かされても、ハラルドにはそれを理解する方法も、止める手段すらないというのに。
考えるだけで悔しさがこみ上げてきて鼻の頭がつんとしてきて、ハラルドは考えるのをやめた。
カレンに情けない顔は見せられない。
錬金工房に到着すると、ハラルドたちは玄関ではなく庭に回り、庭から勝手口のベルを鳴らした。
「は~い。おはよう。朝から御苦労様だねえ」
すでに起きていたカレンがハラルドたちを出迎えて最初の指示を出した。
「それじゃ、まずはお風呂に入って着替えてくれる?」
「うう~、こんなに寒いのに~」
ティムはまた文句を言う。ハラルドの中の暗い感情が頭をもたげる。
「わたしがさっき入ったばかりだから温かいお湯が残ってるよ。それ使っていいからきちんと全身洗うんだよ」
「えっ、お湯を使っていいのか?」
「というか、お湯を使わないと汚れが落ちないでしょ? ちゃんと使ってね?」
そう言って、カレンはむーっと唇を尖らせる。自分では恐い顔をしているつもりらしい。
脅しのようでいて、ハラルドたちにお湯を使わせてくれようとしているだけだとわかる。
ティムはこの恵まれた環境に感謝をするということを知らないのだ。
魔力量がCランク以上あり、その気になればここではなくともどこででも生きていけるから。
「ここは錬金工房で、何がポーションに影響するかわからないし、今後貴族も訪れる可能性が高いからね。身ぎれいにしてもらわないとわたしが困るんだよ。石鹸も使っていいからね」
「石鹸も使ってよいのですか?」
「いいよー。って、わたしが言わないとわからないか。絶対使って! 家の中に汚れを持ち込まれるの、わたしが無理だから!」
ハラルドたちを風呂に入れるということ自体はカレンにとっての必須事項で、親切の意図ではないらしい。
ハラルドはうなずくと、それ以上カレンをわずらわせることがないようティムを引っぱって風呂場に向かった。
「このお湯、使ってもよかったんだなー。おまえが使うなって言うから前は掃除のときに流しちゃったじゃん。もったいねーな」
「使ってもよいと許可を得てから使うべきだという話だ」
ハラルドたちは服を脱ぐと冷え切った体に湯をかけた。
「あ、あったけ~」
ティムが嘆息する。ハラルドも、油断をすると涙が出そうだった。
孤児院では体を洗うために温かい湯を使わせてもらうことなどなかった。
体を湯で流したら、カレンが用意してくれている石鹸を慎重に使って体の汚れを落としていく。
店でやわらかい石鹸が売られているのを見たことあるが、この石鹸はそれより高価なものらしい。
どちらにせよ手の届かないハラルドたちが使うのは慎重になるべきだった。
だというのに――
「おー! 何度も体にこすりつけてたら、すげー泡立ってきたぜ!」
「おまえっ、これがどれだけ高価なものだと思ってる!?」
「カレンは昔から潔癖だったから、石鹸をケチってきれいになりきらないより、使いすぎてきれいになった方が喜ぶって」
最悪なことに、カレンについてはハラルドよりティムの方が詳しい。
そしてティムが馬鹿げた勘違いや思い違いをすることはあっても、嘘を言わないことはハラルドもよくわかっていた。
「……嘘だったら許さないからな」
ティムが嘘を吐かないことは理解しつつもそう言い、ハラルドも歯を食いしばって体にこびりつく汚れを落とすために石鹸を消費した。
何よりティムより不潔なのが我慢ならなかった。
体を洗い終えるとタオルと服が用意されていた。カレンが用意したこの錬金工房のお仕着せだった。
ハラルドたちの普段着が汚すぎるので、それで店頭には出せないといわれて用意されたもので、カレン的にはこれも親切ではないらしい。
「至れり尽くせりだな!」
「本当なら僕たちが自分で用意しないといけないことだ」
呑気に言うティムが憎たらしかった。
負債が積み重なっていくようで、ハラルドは空恐ろしくてならなかった。
必ずやカレンに役に立つ雑役人だと思わせなくてはならない。
これだけの手間暇をかけてでも、今後も側に置いておきたいと思わせなくてはならない。
決意もあらたなハラルドが風呂場を出ると、居間にいたカレンがエプロンを外しながら言った。
「朝ご飯できてるよ~」
「おれたちの分もあんの?」
「こんなに朝早くから来ちゃったら朝ご飯も食べてないでしょ? だからつくったよ。一緒に食べよ」
「やったー!」
ハラルドは更に増えた負債に目眩を覚えてよろけつつ、それでも空腹には勝てずによろよろとカレンの待つ食卓に向かった。