溶けゆくもの
ユルヤナはカレンの錬金工房を視察すると「早く別れるんですよ!」と捨て台詞を吐いて帰っていった。
カレンはユリウスに待っていてもらい、先にティムに説明した。
「それじゃ、おれ、ポーションに使う素材を台無しにしちゃったってこと……?」
カレンの説明で自分が何をしたのか理解したティムは青ざめた。
これで二度同じ失敗を繰り返すことはないだろう。
「わたしのためを思ってやってくれたのはわかってるよ。だけど、これからはやめてね」
「……弁償、する」
ティムは思い詰めた顔で言った。
子どもを雑役人として雇ったときの一日の給料の相場は銅貨一枚から三枚だという。
どれぐらい価値のある金額かというと、銅貨一枚あればパンを二つ買えるので、一日生きられる、ということになっている。
到底まともに生きられる給料ではないが、孤児院長であるユッタとサラとカレンで協議のすえ、ティムとハラルドの給料は銅貨三枚ということになった。
これでも甘やかしすぎだとサラには怒られた解せない価格である。
ハラルドに関しては、給料は銅貨三枚ということになってはいるが、この給料をカレンが使ったポーションの対価として支払いたいそうで、実際は無給である。
カレンがハラルドに使わせたポーションは小回復ポーションひとつと無魔力素材ポーションが二つなので、カレンへの返済は金貨二枚と半金貨一枚と銀貨四枚。
これを日給銅貨三枚の仕事で返済するには、この世界の一年が四百日なので、四年以上無給で働く必要があるだいぶ無茶な契約である。
正直、事あるごとに何らかの理由をつけてボーナスでもあげて、さっさと返済させてあげたいとカレンはこっそり思っている。
それに比べれば、ティムが返済しなければならない金額は微々たるものだと言える。
これがシルクスパイダーの絹糸にでも魔力をこめられていたりしたら危ないところだったが、そうではない。
返済させてあげたほうが、ティムも気が晴れるだろう。
「わかった。ティムの給料からさっ引かせてもらうね」
「うん」
「これから何かするときは、ハラルドに相談するように。ハラルドも、ティムの相談に乗ってあげるようにね」
ハラルドはユリウスに食ってかかる危険性をわかっていたようだし、ティムが食糧品に魔力をこめるのについても余計なことをしているという認識があるようだった。
ハラルドに監視してもらえば、ティムの無茶は収まるだろう。
それに、実際はハラルドが年上なのから。
だが、ハラルドは不服そうにむっとした。
むっとしつつも「かしこまりました」とうなずく賢さがあった。
その仕草は見た目相応に子どもじみている。
カレンは寛大な気持ちでその態度を受け入れた。
心に積み重なった年月はあっても、肉体に引っぱられてしまうのだろう。
心と肉体の齟齬をこれほど理解できるのはこの世でカレンくらいかもしれない。現在実体験中である。
「それではユリウス様、お待たせいたしました! いつの間にダンジョンから戻っていらしたんですか? いえこれはっ、恋人だからって便りを寄越せという意味ではないですよ? 戻っていらしていたんだなあ、と思っただけでして!」
自分の言葉に意図しない意味が紛れ込みかけた気がして、慌てて弁解するカレンに、ユリウスは微笑んだ。
「ダンジョン攻略を中断してすぐに君に会いに来たよ、カレン。他のどこにも寄ることもなく真っ先に、何よりもカレンに会いたくてね」
「はわっ」
ますます照れてはわつくカレンに、ユリウスは笑みを深めた。
「サラから冒険者を使ってダンジョンの中まで手紙が届けられたんだよ、カレン。君の命をかけた実験の話を知らせる手紙がね」
どうやらはわついている場合ではないらしいと、カレンはそこで気がついた。
だが、何が起こっているのかはわからなかった。
カレンにわかることは二つ。
ユリウスがカレンに怒っているということだ。
そして怒っているユリウスからは常の穏やかな彼の姿からは想像もつかない色気が何故だか感じられるということである。
こんなことを思っていると知られたら嫌われるどころの話ではない。
カレンは様々な意味でごくりと生唾を飲んで弁解した。
「命をかけるだなんてそんな、大げさな。サラもどうしてそんな手紙をダンジョン攻略でお忙しいユリウス様にお届けしたのやら――」
「カレンの近況を定期的に届けてもらっているのだよ。そのうちの一つだ」
「えっ、ちょっと照れますね」
近況を逐一ユリウスに知らされていたとはまったく知らなかったカレンである。
ユリウスはカレンの反応に溜息を吐くと、目を伏せた。
「恋人が身を削るような実験をしたという報せを受けた私の気持ちが、君にはわからないのかい、カレン?」
「うっ」
伏せた睫毛の長さのせいか、あるいは愁いを帯びた頬のせいか。
それを見せられたカレンの心臓が痛むように計算され尽くした仕草に、カレンはまんまと胸を押さえてのけぞった。
カレンの様子にユリウスは金色の目を輝かせた。
その輝きの原因がその金色の瞳に膜を張った涙のように見えて、カレンは息を呑んだ。
「危ないことはやめてほしい。いいね?」
「……はい」
サラの小言はありがたくも嬉しかった。
だが叱られても、自分は錬金術師だという自負がカレンにあった。
だから、何を言われようとも錬金術のために必要だと思えばやるつもりだった。ナタリアに言われたって同じだった。
命をかけているつもりはなくとも、危ない橋を渡るくらいの覚悟はあった。
歴代の偉大な錬金術師たちだって、そうやって栄光を掴んだのだから。
それなのに、カレンはユリウスにうなずかされてしまった。
カレンはその事実に愕然とした。
「ティム、だったかな?」
「はいっ!」
ユリウスはカレンの様子には気づかずティムに向き直った。
「食糧棚のものすべてに魔力をこめるとは、君はそれなりに魔力が多いようだね?」
「はい、おれ、魔力量Cランク以上あります!」
「以上?」
「孤児院にある魔力計は低品質なので、魔力量が多すぎると計測できないのです」
ティムの曖昧な表現に首を傾げるユリウスに、ハラルドが無表情で注釈した。
「なるほど。であれば君に命じておこう。カレンが危険なことをしていたり、危険な目にあっているにもかかわらず、カレン自身がそのことに自覚がない様子であるときには、カレンのピアスに魔力をこめてくれ」
「ピアス?」
「あれは魔道具なのだよ。私の魔道具とつながっていて、あれに魔力をこめれば私に伝わる。私はすぐに駆けつけるよ」
「でもユリウス様って、ダンジョンに潜ってるんすよね?」
「カレンは自分の側から片時も離れない護衛騎士の男より、ダンジョンを攻略する誉れ高き英雄をより好む種類の人間だからね」
「えっ、カレンのために潜ってんの?」
目をまん丸にしてタメ口を利くティムに微笑むと、ユリウスは言った。
「カレンのためではない。カレンに好かれたいと思う己自身の望みのために潜っている。だからこそ、どのような手段を使ってでもカレンの窮地には戻ってこよう」
「本当に付き合ってたんだ。ごめん、じゃなくて……すんません」
頭を下げるティムに、ユリウスは言った。
「君の非礼を許そう。その代わり、私のいない間カレンを見守っていてほしい」
「男と男の約束、ってやつだな」
そう言ってティムはユリウスに拳を突きつけた。
きょとんとしたあと、ユリウスは微笑してティムの拳と拳を合わせた。
二人のやりとりを見て、ハラルドが慌てたように言葉を挟んだ。
「僕も身命をかけてカレン様をお守りいたします!」
「頼むよ、ハラルド」
友情を育む男たちをよそに、カレンは溶けていくものをかき抱くように胸を押さえた。