はじめての指導
晴れて師匠となったユルヤナがカレンの工房を見たいと言うので、カレンとユルヤナは馬車で錬金工房のある通りまでやってきた。
錬金工房の前には留守番を頼んでおいたティムと客人が一人、対峙していた。
「私はユリウス。カレンの恋人だよ」
「詐欺師だーッ!!」
「おばかーっ!!」
カレンはすっ飛んでいって叫ぶティムをどついた。
「すみませんユリウス様! うちの雑役人が失礼なことを!」
「構わないよ、カレン。ただ、こうして誤解されたのは君が私を様付けで呼ぶ打ち解けていない雰囲気のせいかもしれないから、これを機会に呼び捨てにしてみるのはどうだろう?」
甘やかに微笑まれて、カレンは「持ち帰って検討させていただきます」とカタコトで答えた。
「こんな綺麗な兄ちゃんがカレンの恋人なんてありえないだろ!? カレン、騙されてるぜ!?」
「悲しくなるからやめようか! 一応付き合っていただいているのはホントだからね!」
「目を覚ませよ、カレン! ぜってーありえないって!」
カレンは半泣きになった。ほとんど図星である。
まだ何か言いつのろうとしたティムを、ハラルドがその肩を掴んで制した。
「ティム、もう黙れ。カレン様が誰と交際されようと雑役人である僕たちが口出しをする権利はない」
「だけどさあ!」
「だけど、じゃない。カレン様がやめろと言ったことはすぐにやめろ。それができないなら今すぐ仕事をやめろ。おまえはまた同じあやまちを繰り返すつもりか?」
ハラルドに暗い目つきで言われ、ティムは怯んだ顔で言葉を飲みこんだ。
ティムは、ハラルドにしてしまったことは本当に申し訳ないと思っているのだ。
そして、カレンを心配してくれているだけでもある。
カレンは苦笑して言った。
「ティム、ハラルドの言う通りだよ。わたしがやめてって言ったことはすぐにやめてほしいし、お客様に失礼なことを言うなんてもってのほかだよ」
「でも……」
「ユリウス様は貴族だよ、ティム。お優しい方だからティムを許してくれると思う。だけど、他の貴族は許してくれないよ」
「貴族……」
ティムは怯えた顔でユリウスを見上げた。
貴族が恐い存在だという認識はティムの中にもあるらしい。
ユリウスは微笑んだが、その金色の目は冷たい光をたたえていた。
「私はカレンの恋人だからカレンに属するあらゆる者を許すけれど、そうではない貴族は詐欺師と呼ばれ毀損された名誉を回復させるために君を殺すだろう。そして、カレンはそんな貴族から君を守ることはできない。たとえカレンが守りたいと思ったとしても不可能なのだ。Eランクの錬金術師にそのような力はないからね」
本当に貴族が子どもに侮辱されたくらいで殺そうとするとは思えないし、万が一そんな事態になっても、カレンはどうにかするつもりはある。
だが、それをティムに教えて安心させることはティムのためにはならないだろう。
ユリウスの脅しめいた忠告に、ティムはごくりと生唾を飲んだ。
「だからさっさと中にご案内しろと言ったのに、馬鹿が」
ハラルドは冷めた目つきで吐き捨てたあと、カレンに愛想良く微笑んだ。
「カレン様、ご指示のあった清掃は完了しました。新しい仕事があればお申しつけください」
「ありがとう、ハラルド。ちょっと待機しててくれる?」
「かしこまりました」
ハラルドがティムを引っぱって家の奥に入っていく。
それを見届けると、カレンはユリウスとユルヤナの方を見やった。
「私ほどではないですが、確かに人間にしては美しい容姿です。というか、私たちって似ていませんか? 美しい容姿というものは均整が取れているものであるからこそ、そのように見えるだけなのでしょうか? それに名前も似ていません?」
「お初にお目にかかるようです。私はユリウス・エーレルトと申しますがあなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ユルヤナの発言を黙殺して、ユリウスは微笑んだ。
「私はエルフのユルヤナと申します。この度カレンさんの師匠となりました。どうぞよろしくお願いします、カレンさんの恋人の方」
「ユリウス、と申します」
「私、興味のない人間の名前は覚えられないんですよ。すみません」
ユルヤナのあんまりな言い分に、ユリウスは笑みを深めた。
「エルフにはそういう方が多いですよね。見た目の割にお年を召されているのは存じておりますのでお気になさらず。無礼だとは思っておりません」
「はい私、こう見えてあなたよりも遙かに年長者ですので、敬意を持って接していただけると嬉しいですねえ」
「お茶を入れてきま~す」
何故か漂う一触即発の雰囲気に耐えかねてカレンは逃げ出した。
初対面のはずなのに険悪な様子の二人に何があったのかと頭の上にはてなを浮かべつつ、台所でお茶を入れていたカレンは違和感に気づいた。
「あれ? 茶葉に魔力が通らない……?」
カレンは更に首を傾げつつもお茶をいれた。
ただの飲み物としてお茶をいれることはできたが、ポーションになった感覚がない。
何か余計なものが入っているというのとは違う。
根本的に、茶葉に魔力が入っていかなかった。
まるですでに他のもので埋まってしまっているかのように。
首をひねりつつ台所から居間に戻ったカレン二人にお茶を出していると、ユルヤナが眉をひそめた。
「カレンさんはただのお茶さえポーションに変えるとナタリアさんからうかがっていたのに、これは普通のお茶なんですねえ。残念です」
「やっぱりポーションになってませんよね? おかしいなぁ。いつもはポーションになるんですけど、何故か茶葉に魔力が通らなくって」
「ふむ」
ユルヤナはお茶のカップをじっと見つめていたかと思うと、カレンを見やってにっこり笑った。
「先程の雑役人たちを呼んでください、カレンさん」
「はい、わかりました」
理由はわからずとも師匠となったユルヤナからの指示なので、カレンはそそくさとティムとハラルドを控え室から呼び戻した。
ユルヤナは二人をじっと見比べて、ティムの方を見て「あなたですね」と言った。
「君、この茶葉に魔力を込めましたね?」
「え? はい」
きょとんとしたままティムがうなずき、カレンはずっこけそうになった。
「な、なんでそんなことしたの?」
「へ? だって食べ物とか飲み物とか、魔力をこめると長持ちするって教えてくれたの、カレンじゃん? だからおれが魔力をこめておいてやったからな!」
カレンは頭を抱えた。確かに、ティムにも食材を長持ちさせる秘訣を教えたことがある。
よろよろと食糧棚に近づいたカレンは、ティムに尋ねた。
「もしかして、この中のもの、全部……?」
「ああ! おれ、魔力がありあまってるから遠慮すんなよな!」
「おまえ、余計な整理整頓をしていると思ったら、そんなことをしていたのか」
ハラルドがティムを胡乱な目で見やる。
カレンは決して遠慮しているわけではなかった。
つまりこの中のものはすべてティムの魔力に染まってしまったため、ポーションの素材にはできなくなってしまったということである。
カレンは震えながら次なる質問をした。
「ティム、錬金工房には入ってないよね?」
「うん。カレンが入るなって言ってたから、入ってないぜ」
それならば一応、魔力素材に関しては無事らしい。
不幸中の幸いである。カレンは胸を撫でおろした。
「カレンさん、師匠として弟子であるあなたにはじめての指導をしてもよろしいでしょうか?」
「は、はい。お願いします」
「まず、この役立たずな雑役人たちを辞めさせましょう」
「は!? なんでだよ!?」
「僕が何をしたというんですか!?」
混乱するティムとハラルドを見もせずに、カレンを見たままユルヤナは言う。
「その雑役人は私が見ている間だけですでに二度の失敗を犯しています。そして、片方はそれを止めることもできない無能です。このような愚か者たちにかかわるあなたの時間がもったいありません」
「あの、最初のはわたしを心配してくれただけですし、素材についてはわたしの説明が足りていませんでした。繰り返さなければ許してあげたいです」
「説明するあなたの時間がもったいないと言っているんですよ、カレンさん。人間は短命なのですから、時間を無駄にしてはいけません。手伝いが必要なら私の弟子になりたいと希望する錬金術師をあなたの元に派遣しましょう。私の命令ならなんでもする者がいるんですよ。錬金術には精通しているので無駄なやりとりをせずに済みます」
笑顔で無慈悲なユルヤナの言葉に困り果てて閉口したカレンの横に、そっと影が立った。
「ユルヤナ様、カレンは繊細な女性です。今は私と付き合ってくれているが、かつては私が近づくだけで気が散って錬金術ができなくなるからと私との交際を拒もうとしました」
「錬金術ができなくなる?」
顔をしかめるユルヤナに、ユリウスは続けて言った。
「その子は孤児院の子どもで、カレンにとってはかねてからの知人です。友人でもあるのかもしれません。そのような子どもとの関係の悪化はカレンの心をかき乱すでしょう。それもまたカレンの錬金術の妨げになりかねません」
「縁故採用、というやつですか。そういえば私はあなたたちの関係性を知りませんね」
「知らないのであれば性急な判断は早計であるとご理解いただけるのではありませんか? カレンの負担になる可能性がある、と」
「……カレンさん、ひどく思い詰めた顔をしていますねえ」
ユルヤナはカレンを見て溜め息を吐いた。
「なるほど確かに。今後ともカレンさんに気持ちよく錬金術をやっていただくために必要か不必要か、私はまだ正確に判断するための情報を持ってはいませんね」
「でしたら、指導は撤回していただいてもよろしいか?」
「わかりました。その雑役人の処分については保留といたしましょう」
「おれ、助かった? そもそもなんで怒られて――むぐっ!?」
ティムはわけもわからずハラルドに口を塞がれていた。
カレンはハラルドにいい仕事をしてくれたとうなずいた。
ユルヤナはぽん、と手を叩いた。
「では指導の内容を変更します。カレンさん、あなたの錬金術の類い稀な才能を守るためにも、気が散ってはいけません。今すぐ恋人と別れなさい!」
「絶対に嫌です」
「カレンさん~! 私はあなたの錬金術のためだけを思って言っているんですよ~!!」
カレン自身のことを思ってくれているわけではないようだったので、カレンは易々と師匠からのはじめての指導を拒絶した。